#52 身体を拭くだけだから


 風邪で上手く動けないアタシの身体を拭いて欲しいというお願いに、こーたは真っ赤な顔で仕方なくって感じに頷いてくれた。

 

 いくら何でもムチャクチャなお願いなのに、きいてくれるのは思わなかったからちょっとビックリしちゃったけどね。


 ともあれ、アタシはパジャマの上だけを脱いでナイトブラも外した状態で、濡れタオルを手に持つこーたに背を向ける姿勢になった。

 中途半端に着ているせいか背中だけとはいえ、ある意味で全裸より恥ずかしい。

 お互いのホクロの位置まで知り尽くしてるから今更だ、と湧き上がる羞恥心を押さえ付ける。 


「ほ、本当に拭くぞ?」

「こっちがお願いしたんだから当然でしょ。むしろ、こーたに迷惑掛けて悪いなぁって……」

「星夏が頼ってくれるなら、これくらい迷惑でも何でもねぇけど……」

「え~アタシの裸なんて見飽きてるくらいでしょ? もしかして照れてんの~?」


 迷惑じゃないなら何を躊躇ってるのか分からなくて、もしやと自分の内心を棚に上げて軽くからかった。

 ここでこーたが『照れてない』って返してくれたら、多少は緊張も和らぐかなと思ったんだけど……。


「見飽きるなんてあり得ねぇよ。真っ白で細くて綺麗な背中してるし、星夏はもっと自信を持って良いぞ」

「ふぇっ!?」


 全く動揺しないばかりか、疑念の余地も挟ませない勢いで褒め倒して来た。

 まるで予想していなかった返しに、らしくもなくあからさまに狼狽えてしまう。


 な、なんなの急に!?

 こーたってこんな歯の浮く様な事言うヤツだったっけ!?

 

「じゃあ拭くぞ」

「へ、ちょま──ひゃんっ!?」

「うおっ」


 冷め止まぬ動揺に混乱する中、唐突に生温かい感触が背中を走った。

 ゾクリと酷く遅い早さで背中に電気が通った様な、そんな感覚だ。

 何も心構えが出来なかったから、反射的に声を出してしまう。


 その声に驚いたのか、こーたの手の動きが止まった。

 アタシは顔だけ後ろに向けて、こーたをジロリと睨み付ける。


「い、いきなりはやめてよ……」

「ちゃんと声を掛けたぞ。それより、どんな感じだ?」

「それよりって……まぁ気持ち良いけど」

「なら良かった」


 なのにこーたは全然余裕そうだった。

 さっき頭の中でパニックになってた自分がバカみたいだ。

 それが無性に悔しく思ってしまう。


「……こーたのバーカっ」

「なんで急にバカにされるんだ」

「ちょっとは自分で考えてよバーカっ。ほら、早く拭いて」

「へいへい」


 相当面倒くさい発言をしてる自覚はあるけど、こーたはやっぱり普段通りに返すだけだった。

 そうしてしばらく無言のまま、タオルで背中を拭いていく。

 決して力任せじゃなくて、かといってこっちを気遣って弱々しくもない、絶妙な力加減で擦ってくれるから気持ちが良い。


 背中から感じる心地よさに、自然と安らいでいると不意にこーたが手を離した。

 どうやらもう終わってしまったらしい。


 なんだか名残惜しい気分……。

 

「ねぇ、前は拭いてくれないの?」

「えっ!?」


 もっと続けて欲しくて、そんな事を口走ってしまう。

 驚愕するこーたを見てやっちゃったと後悔するけれども、後に引けない気持ちもあってさらに続ける。


「姿勢はこのままで良いよ。あ、でもエッチな触り方したらチューするからね?」

「遠回しに風邪を移すって脅すなよ。病人に欲情する程盛ってないっつーの。大体、前って言っても谷間とか下側も拭く必要があるんだから、どうしても無理だろ」

「触るなとは言ってないでしょ~? あからさまに揉んだりしないなら気にしないから。お願い……」

「はぁ~……分かったよ」


 え、マジでやるの?

 ここまで来ると優しいとかの次元じゃなくない?


 呆れながらも受け入れてくれたこーたに、自分から言っておいて失礼だけどそんな驚きが頭を過った。

 でもここで日和って『やっぱやめ』って言ったら、混乱させて迷惑掛けちゃうかもしれない。


 そんなワケで、前もこーたに拭いてもらう事になったんだけど……。

 

「んっ……」


 温かいタオルがお腹を撫でる度に、小さく身動いでしまう。

 違う、決してエッチな気分になってるワケじゃない。

 これは風邪を引いた時、布団の中で動くだけで全身がゾワゾワするアレだ。

 元々敏感なのが鋭敏になっているせいだと思う。


「お腹、相変わらず細いな」

「そ、そう? 眞矢宮さんの方が細いと思うけど……」

「俺からすれば星夏も細いって。白いし柔らかいしスベスベで──」

「ちょ、ストップ! スト……ぅ、げほっ、こほっ!」

「っと、悪い」


 またも唐突に褒め倒され始めたのを察知して、慌てて制止の声を出したら思ったより声が大きく出てむせ込んでしまう。

 ビックリさせたのは悪いと思うけど、元を辿れば恥ずかしい台詞を平気で言うこーたが悪いよね?

 

「もう……お世辞でもいきなり褒めるの禁止! 黙ったまま拭いてよね」

「本当の事しか言ってないんだが……分かったよ」 


 またサラッとそう言う事を……。

 口に出そうになった反論を、またむせるワケにいかないから咄嗟に飲み込む。

 

 そうして再開して、次はおっぱいを拭いてもらう事になったものの……。


「──ふ、ゃ……っ、んっ」


 正直に言うとお腹を拭かれていた時より感じちゃって、一番気まずい事になっちゃった。

  

 お腹とか脇で反応したんだから、性感帯でもあるおっぱいを拭かれたらこうなるに決まってる。

 特に……先の方にタオルが触れた時が一番ヤバい。

 そこが擦れる度に、どんなに我慢しても声が漏れちゃうんだもん。


「あっ、ぅ……」

「っ」


 おまけに、アタシが声を出すと毎回の様にこーたの手が揺れるから、ただでさえ敏感な状態のおっぱいが揺らされる事になって、余計に声が大きくなっちゃう。

 ぶっちゃけこの変態チックな雰囲気に酔ってるんだけど……そうと分かっていてもアタシはやめてなんて言わなかった。


 だってこーたは何度声を出しても聴かなかった振りをして、性欲に負けずにアタシの身体を一生懸命に拭いてくれているんだから。

 今なら流されてエッチしても良いかなって思ってるのに、アイツったら拭く前に注意した事やさっき黙って拭くって事も律儀に守ってるんだよ?

 そう考えたら勝手に発情しかけてる自分が情けなくなって、何も言えなくなるに決まってるじゃん。


 そんな考えから身体を拭き終えるまで、何とか堪える事が出来た。

 下の方は案の定、汗とは違う要因で濡れてたから自分で拭いたけどね。

 

 その間、こーたには背を向けて部屋に居てもらった。

 なんか汗ばんだ身体を拭くだけだったのに、随分とエッチな事になってた気がする。

 別のパジャマに着替えながら回想しつつ、背中合わせのままアタシは口を開いた。


「ごめんね、こーた。変なお願いを聴いてもらって……」

「全く気にならないって言ったら嘘になるけど、あれくらいならいつものセックスより軽いもんだよ」


 謝罪の言葉に対して、こーたは冗談めかしてそう返して来た。

 前々から思ってたけど、たかが腐れ縁のセフレに対してこーたは甘すぎな気がする。

 家に入り浸っても全然文句言わないし、バイト終わりにエッチを誘っても基本的に断らないし、看病するために学校を早退するなんて明らかにやり過ぎだと思う。

 

 というか今になって思い出したけど、アタシとこーたは半ば喧嘩状態だったはず。

 別に激しい口論があったワケじゃないものの、意図的に距離を開けてたんだった。


 散々甘えて世話になっておいて自分から離れたヤツ相手に、わざわざ看病に来るなんてやっぱ優しすぎるよ……。


 ここまでしてくれるのは、きっとあの時に交わした約束があるからだと思う。


 二年前のこーたにはアタシ以外の味方が誰も居なかった。

 だけど今は違う。

 吉田君と枦崎君みたいな友達が居て、眞矢宮さんが好意を持ってくれている。

 誰がどう見ても幸せに違いない。


 だから……もう約束で縛る必要も無いよね。

 二年も続いたこの関係も、もう終わりにしなきゃ。


 寂しいのは確かだけど、ずっとこーたの優しさに甘え続けるワケにもいかない。

 胸に走る寂寥感を堪えながら、アタシは布団の脇に置いてあったカバンを手に取って、ある物を取り出す。


「こーた。こっち向いて」

「ん?」


 唐突な呼び掛けに、こーたは何の疑問も持たず振り返ってくれた。

 そんな彼にアタシは手に握ったソレを差し出す。


「ぇ……」


 手の平にあるソレを見た瞬間、こーたの目が大きく見開かれた。

 そうなるのも当然だと思う。


 だってアタシが差し出したのは、約束の証として受け取ったこーたの家の合鍵なんだから。


 この二年間大事にして来た鍵を差し出した意味はただ一つ。

 それが分かったから、こーたはこんなにも驚いているんだと思う。

 驚かせてしまった事を心の中で謝りながら、アタシは告げる。


「鍵、返すね。だから……約束もおしまい。もう無理してアタシの傍に居なくても良いんだよ」


 ──こーたが自分の幸せを見つけられるまで傍に居るという、約束の終わりを。


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