#51 寂しがり屋の看病


 起きたら制服姿のままでマスクを付けてるこーたがアタシの家に居た。 

 二年前とは違って招き入れたワケじゃないのに、どうしてここにいるのか分からない。


 アタシが起きた事に気付いたこーたは、両手で持っていた鍋を床に置いて、アタシの前に腰を下ろす。


「な、なんで……こーたがここに?」

「今朝のHRで星夏が風邪を引いたって聴いて、早退して来たんだよ」

「早退って……」


 なんてことの無い様に返って来た理由に、呆れを通り越してただ混乱するしかない。

 だって今日は平日だから普通に授業があるんだから。

 それも今朝の時点で……意味が分からない。


「別に……休んだら治るんだし放って置いても良かったのに。わざわざこーたが早退する程じゃないでしょ……」

「アーホ。お前が母親から無視されてるの知ってて、そんな楽観視が出来てたまるか」

「うっ……」


 早退させてしまった事を遠回しに非難するけど、アタシの家庭事情を教師より深く知ってるこーたには通用しなかった。

 なんでここに来たのかって事はとりあえず分かったけど、そうなるとおかしい点が出て来る。 


「鍵が掛かってたはずなのにどうやって入れたの?」

「大家さんに彼女の見舞いに来たってていで入れて貰った。勝手な設定を作って悪かったな」

「いや別に良いんだけど……口で言って良く信じて貰えたね?」

「そこはスマホで撮ってた写真を見せたんだ。んで入ったら星夏が床で倒れてたから心臓が止まるかと思ったぞ」

「それは……ゴメン」


 思い返すと確かに誤解を与えかねない光景だったと思う。

 こーたは優しいから、特にビックリさせちゃったかもしれない。


 心配を掛けてしまった事を謝ると、こーたはまた大きなため息を吐いた。 


「風邪を引いた病人が謝るな。まぁなんで床で寝てたのかって疑問はあるけどな」

「実は昨日ね、久しぶりに帰って来たお母さんがこの布団を使ってて……」

「マジか……」


 アタシの返答に、こーたは顔を手で覆って項垂れた。

 一度だけ会った時の会話を思い出してか、お母さんに対して呆れを通り越して声に混ぜた怒りを隠そうともしない。

 

 けれど、こーたは急に顔を上げて、何かに気付いた様な表情を浮かべ出す。

 

「待てよ。昨日ここで寝たって事は、少なくとも今朝まで居たってことだよな? まさかとは思うが……風邪を引いた娘を病院に連れて行くどころか、看病もせずそのまま出て行ったのか?」

「あ、え、えぇっと……」

「──っっ! っ、はぁぁぁぁ~~……なんっっでアレがお前の母親なんだよ……」


 的中と言っても良い正確な推測を前に言い訳出来ず、事実だと悟ったこーたは盛大に呆れた。

 こーたは二年前に一回お母さんに会って以来、ずっとあの人を嫌っている。 

 もしこの風邪だってお母さんから移ったって事を知ったら、形振なりふり構わずお母さんを殴りそうなくらいだ。


 そう考えたら、呆れながら軽蔑するだけまだ我慢している方だと思う。


「お、お母さんの事はもう良いよ。それより、布団とか色々ありがとーね。後は自分でするからこーたは──」

「無理。俺、星夏が風邪をあまり引かない分、引いた時には症状が重く出る質なの知ってるからな? 母親が出て行った後に自力で布団に行けなかったみたいだし、今もかなりしんどいはずだろ」

「うっ……」


 話題を変えつつさりげなく帰宅を勧めたけれど、すかさず返された反論に何も言えなくなってしまう。

 こーたの家で風邪にうなされた時、インフルエンザと誤解されるくらいに高い熱が出て、かなり迷惑を掛けた事があった。

 あの時は本当にお世話にしかならなかったし……。 


 それを経験したからこそ、こーたは早退してまでアタシの看病に来てくれたんだと思う。

  

「俺に帰って欲しいなら、さっさと風邪を治してからまた言え。それまでは黙って看病されとけ」

「──っ……うん」


 ぶっきらぼうな口振りなのに、どんな励ましよりも心が安らいだ。

 こーたの優しさが本気だと伝わったからなのかもしれない。


 ここまで言われて反対出来るはずもなく、アタシは素直に従うしか無かった。

 

 =======


「ところでその鍋って何?」


 こーたの看病を受け入れると決めて早速、床に置いている鍋の詳細を尋ねた。

 さっきから視界の端にチラチラと映ってて、妙に気になってたんだけど……。


「ん」


 その問いを聴いて、こーたは鍋の蓋を開けて中を見せてくれた。

 

 鍋の中身は──お粥だ。

 それもただのお粥じゃない……鮮やかな緑の刻みネギが混ぜられていた。


 しかもなんか良い匂いがする……。

 風邪で鈍っている嗅覚でも分かるくらいの良い匂いだった。

 

「おいしそー……これ、なんの匂いだっけ?」

「ショウガだな。ネギと同じで風邪に効くんだってよ」

「へぇ~……」


 感心を余所に、内心では意外と驚きを隠せないでいた。

 別にこーたが料理出来ないと思ってたワケじゃなくて、というか出来る方ではあるんだけど。

 風邪に効く食材を選んで混ぜるという、看病に対する意識の高さに驚いたワケでして。 

 

 それだけ心配掛けたって事だよねぇ~……。


「食えそうか?」

「食欲はあんまり。身体起こすので精一杯だから腕も使えないし……」

「分かった。じゃあ食べさせるから口を開けろ」

「っ、あ~い」


 空腹感はあまり無いけど、匂いで少しだけ食べてみたいとは思った。

 それにこーたがせっかく作ってくれたモノを台無しにしたく無かったから。

 だから恥ずかしさはあっても、言われた通りに口を開けられた。


 こーたはスプーンで掬って、少し冷ましてから差し出す。

 それをパクりと頬張った。


 味は……正直分からないけど、ショウガの風味はなんとなくする。

 何というか、もっと元気な時に食べたかった残念さを覚えてしまう。


「どうだ?」

「味は分かんなかったけど、うん……まだ食べれると思う」

「なら良かったよ。ほら、次」

「ん」


 不味いワケじゃないと知って安堵した様な表情を浮かべながら、続きの二口目を差し出される。

 まだ頭がボ~っとするせいか、なんかこーたの顔が赤くなってる様に見えてしまう。

 マスクをしてるから、本当に赤いかどうかはよく分かんないけれど。 


 そんな事を考えながらパクパクと食べ勧めていくけれど、風邪で食欲が減ってるから半分くらいで限界が来た。

 勿体ないけど、これ以上食べたら具合が悪くなってしまう。


「ありがと。もうお腹一杯になっちゃった」

「そっか。残りは冷蔵庫に入れて、また晩に食べられる様にしておくよ」

「あ、うん。お願い」


 申し訳ない気持ちでギブを伝えたら、こーたは特に気にした素振りも見せずにそう言ってくれた。

 そっか、冷蔵庫に入れておけば良かったんだ。

 簡単な事も思い付かないあたり、風邪で鈍った思考は思った以上に働いてくれてなかった。

 それにしても……。


「ショウガ食べたから身体が熱い……」

「熱出てる上にもう六月だからなぁ」

「う~汗でじっとりして気持ち悪い……」


 ショウガの作用で全身が熱くなっている。

 汗でおでこに髪が張り付いてるし、パジャマの袖を捲っても熱さがなくならない。

 

 まぁそれだけショウガの効果が出てるってことだもんね。

 だからこーたを責めたりなんてしない。


 ともあれ、アタシの言葉にこーたは少し考えてから口を開く。


「ならタオルとお湯を用意するから、それで身体を拭けよ。その間は外に出てるから終わったら呼んでくれ」


 なるほど。

 アタシは動けないからシャワーを浴びれない。

 こーたに手伝ってもらおうにも相手は男子……いくら見慣れてるとは言っても、女子アタシの裸を見るワケにいかないって気を利かせてくれたんだ。

 

 確かにその気遣いは完璧だと思う。

 ラブコメ漫画ならヒロインの好感度アップ間違いなしだ。


 けれども……アタシは違った。


「こーた」

「ん?」


 身体を拭く準備のために、お風呂場に向かおうとしたこーたを呼び止める。

 その表情はこれからアタシが言おうとしている事を、微塵も予想していない様な顔で先を促す。


 自分でも相当おかしい事を口にしようとしているのは分かっている。

 それでも、アタシはこーたの気遣いの中でどうしても許容出来ない事があった。

 言われた通りにしたら、せっかく落ち着いた気持ちがまた落ち込みそうだと直感したんだもん。


 多分、普段だったらこんな事は絶対に言わない。

 でも……今は風邪を引いている。

 アタシは病人でこーたが看病してくれるって言うから……。


 だから……ちょっとだけ甘えても良いかな?


「──一人に、しないで……」

「え」

「外にいるって分かってても部屋で一人になりたくない。だから……こーたがアタシの身体を拭いて?」

「──」


 そう言った瞬間、こーたは真顔になって硬直した。

 なんだか言葉を飲み込むのに時間が掛かってるみたい。

 だって本当に普段なら言わない事だもんね。 


 もちろん、そうさせた張本人のアタシも顔が赤いと思う。

 まぁ風邪で元から赤くなってるから、カモフラージュになって分かりづらいかもだけど。

 

 それはともかく、こーたはしばらく固まった後に……。


「は?」


 ようやく言葉を飲み込んでも、やっぱり理解出来ない様な表情を浮かべていた。

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