#50 白と黒の夢


 ふと気付くと、見覚えのない場所に立っていた。


 そこは辺り一面真っ白な空間で、遠くを見てもぼんやりとした不思議な場所だ。

 視界の先には一人の女の子が寝転がっていて、クレヨンを持って画用紙に絵を描いていた。

 その表情はとても楽しそうで、女の子が幸せに生きているのが分かる。

 アタシにもあんな頃があったなぁ。

 無性に懐かしい気持ちが浮かんで来てしまうのは、今が幸せだと思えないからなのかもしれない。


『■■~。帰って来たぞ~!』

『あ、お父さん! お帰りなさーい!』


 そんな感傷を懐いていると、どこからともなく男の人が入って来た。

 スーツ姿と声で辛うじて男性だって分かるけど、首から上は鉛筆で塗り潰された様な影が邪魔をしていて顔が見えない。

 女の子の名前を呼んだはずなのに、そこだけノイズが掛かって全く聞き取れなかった。

 

 その違和感はアタシだけにしか無かった様で、女の子は男の人をお父さんと呼んで飛び付いていく。

 女の子の行動に驚きつつも、彼女の父親はしっかりと愛娘を抱き留めた。


『ふふっ。■■ったら、本当にお父さんが大好きね』

『うん!』

『お父さんも目に入れても痛くないくらい■■が可愛いくて好きだぞ~』


 そこに今度は女の人が出て来た。

 男の人と同じく顔に影が掛かっていて見えないけれど、口調はとても優しげな雰囲気がする。

  

『お父さん、明日のピクニック楽しみだね!』

『そうだな。でもお父さんはお母さんと■■が一緒なら、どこでも楽しいぞ』

『うんうん。私もそう思う』 


 そんな話をして、三人は楽しげに笑い合う。

 仲睦まじい親子……その言葉がそのまま当て嵌まる光景だった。

 

 出来ればずっとその幸せが続いて欲しい。

 思わずそう願ってしまうくらいに、女の子の家族は眩しかった。

 

 だけど、真っ白な空間がブレーカーが落ちた部屋みたいに、突如として暗闇に包まれてしまう。

 ビックリして慌てて周りを見渡すけれど、真っ暗で何も見えない。

 女の子の家族も、最初から居なかったかの様に消えていた。


 突然の事に動揺していると、暗闇の中にぽつんと明かりが照らされる。

 そこに目を向けると、姿を消したと思っていた女の子の家族が、一つのテーブルに集まっていた。

 

 だけど三人揃って、さっき見せていた幸せそうな顔はしていない。

 小さい女の子ですらそんな表情を浮かべているのだから、大人二人が顔の裏側に秘めている感情が計り知れなかった。


『なんで……』


 不意に、疑問を口にする声が聞こえた。

 それは女の子の母親の声だ。

 でもさっきの優しげな口調とは違って、尽きそうにない憎悪が込められている様に感じた


『なんで浮気なんてしたのよ……!』


 実際、その認識に違いは無かった。

 女性が発した『浮気』の言葉に、アタシは自分の見ている光景が何なのかを察する。

 きっとあの人は父親を愛していた。

 その愛情の分だけ、裏切られた事で強烈な恨みに変化したんだと思う。


『すまない』


 そんな殺意とも取れる恨み言に、男性は黙ったまま頭を下げる。

 言葉だけ聴けば、言い訳はせず自らの行いを反省している様に聞こえるかもしれない。


 だけどアタシは知っている。

 

 奥さんと娘より大事なモノを優先した事に対する謝罪であって、二人と生きていく気がサラサラ無いという事を。

 だって『要らない』のを捨てないと『新しい』のは手に入らないから。

 男性の中では女の子と母親はもう、要らないモノの枠組みに入っている事も。


 家族が一緒の幸せを簡単に捨てられる醜い人だって。


『イヤだよ、お父さん……どこにも行かないで……』

『それはもう出来ないんだ■■。お父さんの事は、もう忘れなさい』


 涙を流しながら離れたくないと懇願する女の子を、男性はゲームのセーブデータを消す様な軽さで突き放す。

 酷く滑稽な言葉だ、なんて嘲りたくなる。


 いじめとかトラブルと同じ……やられた方は忘れたくても忘れられないのに、やった方はケロッと忘れるヤツだ。

 本当に……反吐しか出なくてイヤになる。

 この将来懐くであろう女の子の不快感が、手に取ると突き刺さって痛いほど分かってしまう。

 

 そこからはもう階段から転がり落ちるくらい、簡単に幸せが遠退いていく。


 女性と女の子は男性の家を追い出されて、アパートに住むことを余儀なくされる。

 女の子の母親は、女の子のためにたくさん頑張って働き出した。

 昼間も夜も働いて、せめて自分の元に残った愛娘を大事にそうと身体を酷使し続ける。

 

 そうして身も心もすり減らしていって、母子家庭となって二年目に入った頃についに限界が訪れてしまう。


『それでね、ゆきちゃんが──』


 それは女の子が学校であった出来事を、仕事帰りの母親に嬉々として話していた時だった。

 親子の会話としては何もおかしくない。

 女の子からすれば、母親に元気だと伝えるための手段だった。


『──なんでアンタはそんな風に笑えるの?』

『え……?』


 でも、この時だけはそれが裏目に出てしまう。

 黙って話を聞いていた母親から、別の生き物を見た様な言葉が出て来たのだ。

 当然、心当たりがない女の子は驚きを隠せない。


『私が毎日毎日働いてる時に、アンタは学校で友達と楽しむだけで良いわよね』

『お、お母さん……?』

『お金もご飯も住む所も全部私が用意したモノを受け取って行けば、何不自由なく生きていけるんだから。子供は楽で羨ましいわ……』


 アタシはまだ大人じゃないから、彼女がどれだけ辛いのかは分からない。

 確かなのはあの人にとって、自分の子供が庇護する存在から煩わしい存在に変わった事。

 

 そして……。 


 この日を境に女の人は──アタシのお母さんはアタシを見なくなった。

 そう、女の子の家族の話はそのままアタシの過去の話だ。

 それを夢として見ているんだと思う。


 ご飯の作り置きを段々しなくなって、今ではお金しか置かない。

 洗濯も掃除も間隔が空くようになった。

 連絡が付くようにスマホは渡してくれたけど、メッセージを入れても返事が来た事は今でも無い。

 

 極め付けは……小学五年生に上がった頃に、男の人を連れ込んだお母さんがその人とエッチしている現場に遭遇した事だ。

 初めて見たエッチは、本当に訳が分からなかった。

 

 アタシの前だと不機嫌な顔しかしなくなったお母さんが、知らない人の前だと別人みたいに幸福に浸った顔をしていたんだから。

 なんとなく子供が見ちゃいけないモノだとは思いながらも、アタシの視線は交わる二人に縫い止められてしまう。

 

 それを一度だけじゃなくて何度も。

 その度にアタシはドアの影でひっそりと眺めていた。


 まぁそんな事を続けている内に見つかっちゃったけどね。

 男の人は大慌てで家を出て行って、お母さんには頬を叩かれるくらい怒られた。

 なんでも、相手に自分が子持ちだって話してなかったみたい。

  

 こんな事があって、お母さんは滅多に帰って来なくなった。

 自慢するワケじゃないけど、こーたよりも早く一人暮らしをするしか、アタシが生きる方法はなかったのでした~ってね。


 お父さんが居なくなってお母さんには無視されて、独りぼっちになったアタシはとにかく人肌が恋しくて堪らなかった。

 学校でクラスメイトと仲良くしてたのはそういうこと。

 それが次第に、お父さんと違って絶対に裏切らない理想の恋人を求めるようになって、今がある。

 

 本当は解ってるんだよ。

 無理に男子と付き合って別れる今の状況が、理想から遠退いて行ってる事なんて、アタシが一番理解してる。

 

 でも、そうでもしないとアタシはずっと独りのままだもん。

 寂しいのはイヤだから、エッチをしてでも孤独を埋めたかった。

 なのに付き合う人はみんなアタシの事を見てくれなくて、身体にしか価値を求めなくなって行くから寂しさが拭えないまま。


 こーたとも関係もそう。

 アイツの優しさに甘えてばかりで申し訳が無いのに、アタシが返せるのは身体しか無くてセフレなんて関係を押し付けた結果、こーたを縛って恋人が出来ない様にしてしまった。


 眞矢宮さんが怒るのも当たり前だよね。

 今でこそ友達になってくれたけど、いつかアタシに愛想を尽かして離れていくかもしれない。

 

 二人が離れたら、今度こそひとりぼっちだ……。


 でも……独りは嫌だなぁ。

 ねぇ、どうしたら独りじゃなくなるのかな?


 ねぇ、教えてよ。

 アタシはどうしたら良いの?

 

 誰か教えてってば。

 誰か……。


 ……。


 ……。


 気付けば目を覚ましていた。

 身体は変わらず熱くて重いから、風邪は治ってないみたい。

 

 熱に浮かされた頭で、今が何時なのか確かめようとゆっくり身体を起こして……違和感に気付いた。


 アタシが寝てる場所が居間の床じゃなくて、和室の布団になってる。

 寝惚けて動くクセはないから、誰かに移動されないとこうはならない。

 

 お腹には濡れたふきんが落ちていた。

 多分だけどこれ、額に乗せられてたんじゃないの?

 触ってみると少し温いから、乗せてから少し時間が経ってるみたい。

 

 改めて時計に目を向けると、午後になったばかりだった。

 一体誰が看病してくれたんだろう……。


「お。起きたのか」

「ぇ……」


 どういう事なのか困惑していると、久しぶりに聴く声が耳に入ってきた。

 この時だけは身体の怠さも熱さも忘れて、呆然としながら声の方に顔を向ける。


「──こー……た?」


 ──そこには、湯気が立っている鍋を両手に抱えたこーたが立っていた。


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