#49 二ヶ月振りの会話

【星夏視点】


 眞矢宮さんから借りた傘を差して自宅があるアパートに着いた頃には、午後七時を過ぎていた。

 時間も遅いし今日はレトルトにしよっかな~なんて考えながら、居間の床に腰を下ろす。

 初対面の時に嫌われたと思ってたのに、シャワーと制服が乾くまで着替えを貸してくれたばかりか、友達になって欲しいなんて考えもしなかったなぁ。

 

「友達、かぁ……」


 こーた以外の……ましてや同じ女の子の友達が出来た実感が遅れてやって来る。

 噂が立った時にこーた以外は離れていったから、同性の友達は一年振りだった。

 

 その相手がこーたを好きな眞矢宮さんだなんて、昨日までの自分に言ったらビックリしちゃいそう。

 アタシ達の過去を知ったから、あんな風に言ってくれたのかな。

 一番隠したがってたこーたが話したのは驚いたけど、眞矢宮さんからすれば好きな人の事だもんね。

 知りたいと思うのも当たり前だよ。


「……今度こそ、上手くやらなきゃ」


 眞矢宮さんみたいな良い子を、アタシの噂に巻き込みたくない。

 彼女に良くない噂が立たない様に、アタシがしっかりしないと……。


 密かにそんな決意をした時だった。



 ──ガチャ。



 不意に玄関の扉が開かれた。

 突然鼓膜に響いた音にビックリして反射的に顔を向ける。


 が目に映った瞬間、息が詰まる様な胸の苦しさに全身が固まった。 


 部屋に入って来たのはアタシのお母さんだ。

 仕事で着ている綺麗なドレスじゃなくて、薄緑のチュニックとジーンズ姿で髪色に反して地味に見えるし、よく見ると化粧も薄い気がする。

 いつもは凄く手間を掛けていると知っている分、今の軽装が不思議で気になった。

 それに、この時間は仕事中のはずなのにどうして家に帰って来たんだろう……。

 

 分からない疑問だらけではあるけど、この場で言うべき事はハッキリしている。


「──っあ……ぉ、かえり……お母さん……」


 緊張で凍り付いた喉から、絞り出す様にその言葉を発する。

 小さい頃はこう言うと、笑みを浮かべてアタシを抱き締めてくれた。 


 けれど……。


「……ッチ」

「──っ」


 お母さんは私に気付くと、何の感情も込められていない冷たい眼差しで睨みながら、わざと聞こえる大きさで舌打ちをした。

 その視線の鋭さに胸の奥がチクリと痛んで、小さく肩を揺らして身を縮み込ませる。

 

 ……大丈夫。

 こんなの、いつもの事だもん。


「今日は、早いんだね?」

「……けほっ。熱が出たから早退しただけ」

「あ、そう、なんだ。か、風邪かな? だったら早く──」

「うるさい」

「──ゃ、っ……ぇと、ごめん、なさい……」


 今にも射殺しそうな視線を向けながらそう言われて、アタシは二の句を飲み込んで謝った。

 うん、風邪で体調が悪いんだから機嫌が良くないのも仕方ない。

 そんな時に嫌いなアタシが話し掛けたら、怒るに決まってるよね。

 

 でも身体の具合が悪いなら何とかしたい……。

 そう思ってアタシは立ち上がって、キッチンの戸棚にある米を取り出す。


「お、お粥作るね! そうしたら早く治ると思うし──」

「いらない。うるさいって言ったのが聞こえなかった?」

「ぅ……」


 目を合わせないまま拒絶されて、手の動きが止まってしまう。

 語気には怒りが滲んでいて、本気で疎ましく思っているのがイヤでも伝わって来る。


 お母さんはアタシに助けられるのはイヤだったみたい。

 風邪を引いた時は食欲が沸かなくなるから、本当にいらないんだと思う。

 そんな事に気付きもしないなんて、ダメな娘で申し訳なくなる。


「……フン」


 アタシが黙り込んだのを見て、お母さんは隣の和室に敷いてあった布団に寝転がる。

 それは昨日までアタシが使っていた布団だ。

 仕方ないよね……お母さんは風邪を引いているんだから、新しく布団を敷く余裕なんて無いもん。

 

 傷付いた自分を少しでも励ますためにそう言い聞かせて、改めて夕食を用意して食べた。

 寝ているお母さんを起こさない様に、出来るだけ大きな音を立てずに洗い物を済ませてから、今日の寝る場所はどうしようかと考える。


 音は立てられないから、タオルケットだけ取り出して床で寝るしかない。

 そう結論づけてからパジャマに着替えて、クッションを枕代わりにして横になる。

 徐々に寝入る感覚がやって来る中、ふと思い出した事があった。


 ──そういえば、お母さんと会話したのって二ヶ月振りだったっけ。


 その時にどんな話をしたのかは思い出せなかった。

 記憶を掘り返しても出てこないって事は、大した内容じゃなかったかもしれない。

 けど、きっと今日みたいにアタシが一方的に話し掛けて、素っ気なく返されたとかそんな感じだったのかも。


 アタシとお母さんの親子関係は、もう戸籍上の続柄でしかなくなっているのは理解している。

 本当は警察や児童相談所に行った方が、自分のためになるのも。


 でもそうしたら、お母さんを追い詰めてしまう。

 ただでさえお父さんに裏切られているんだから、せめてアタシだけでも家族として寄り添ってあげたい。

 どれだけ嫌われてぞんざいにされようとも、それだけは曲げたくないから。


 もう……何年もお母さんから名前を呼んでもらっていないけれど。


 =======


 翌朝。


 目を覚まして最初に感じたのは、全身を襲う虚脱感を伴う熱だった。

 加えて息をする度に肺が痛みを訴えて来て、頭が霞がかったみたいで思考が覚束ない。


 ──お母さんの風邪が移った。


 すぐにそう直感した。


 せっかく眞矢宮さんがシャワーを貸してくれたのに、結局台無しにしちゃったなぁ。

 友達の気遣いを無下にしてしまった自分が、とても情けなくてイヤになる。


 それにしても風邪薬あったっけ……確かめたいけど、身体が重くて動けない。

 これじゃ体温計で測る事も出来ないかも。

 測るまでもなく、風邪に間違いないくらいしんどいから必要ないけれど。


 スマホは手元にあるから、学校に連絡することは出来る。

 とりあえず今日と明日の二日は休むことになった。

 

 先生がHRで知らせるだろうから、きっとこーたにも心配させちゃうよね。


 そこまで考えていた時に、隣の和室からお母さんが出て来た。

 風邪がアタシに移ったからか、昨日より顔色が良くなってる。

 そこに関しては少しだけホッとしたけれど、今度はアタシが移さない様にしないと。 


「お母さん、ゴメン。風邪が移ったみたい……」 


 返事がなくてもそれだけは伝えておきたかった。

 息苦しくてあまり大きな声は出なかったけれど、お母さんの目がアタシに向けられる。

 聞こえたのかな……もしかしたら心配してくれ──。


「なに? 私が悪いって言いたいわけ?」

「ぇ……」


 ──るどころか、通りすがりの人から言い掛かりを付けられたみたいに、あからさまな不満の声で返した。

 アタシが風邪を引いたのはお母さんの風邪が移ったからだけど、その事を責めるつもりなんて全くない。

 

「ち、ちが……」

「たかが風邪でしょ。寝たら治るのに人のせいにするなんて何様よ。弱ってるから優しくされて当たり前とでも思ってるの?」

「……」


 すぐにそんなつもりはないって否定するけど、聞く耳も持たずに悪ざましに責め立てられる。

 放たれた言葉のトゲが、風邪で弱ってる心に深く深く突き刺さっていく。

 痛くて辛くて、でも言ったところでお母さんの不興を買うだけなのは明らかで……。


「ご、めん……なさい……」

「ッチ」


 ただ謝ることしか出来ない。

 絞り出した謝罪の声に、お母さんは悲劇のヒロインぶるなという風に舌打ちをしてから、アタシに顔を向けることなく家を出て行った。


 静寂に包まれた部屋に、自分の荒い呼吸だけが木霊する。

 

 アタシ、バカだなぁ。


 朦朧とする意識の中で、淡い期待を懐いた自分を蔑む。

 アタシの事が嫌いなお母さんが、風邪を引いたくらいで心配なんてするわけがないって、分かり切ってた事なのに期待して縋って……本当にバカだ。


 ──行かないで、なんて考えちゃうくらいに。


 でも大丈夫だよ。

 独りなのは慣れてるもん。

 お母さんに話し掛けても無視されたり、怒らせちゃうのだっていつもの事だから。


 大丈夫……大丈夫……。

 大丈夫……だけど……平気な、はずなのに……。


「──今だけは……ちょっとだけ辛い、かなぁ……」


 そんな呟きを漏らして、アタシは意識を手放した。 

 

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