#45 雨の下で
「はぁ……」
梅雨の雲から降りしきる雨の中、私──
今日はバイトのシフト日ではないので、図書室で委員会としての仕事をしてから帰宅している途中です。
ですが、この雨の様に気分は優れません。
授業も集中出来なくて先生に心配を掛けてしまいました。
憂鬱……とまでは行きませんが、考える事が多過ぎて楽観的になれないのは確かです。
荷科君と咲里之さんの間にあった出来事は、私の想像以上でした。
それが分かっているから、彼は簡単に話すつもりはなかったのでしょう。
二人は別の形であれ家庭が崩壊している。
そこから生じた心の空白を荷科君は暴力で、咲里之さんは恋愛で埋めようとした。
共働きであっても両親に大事にされて来た私には、二人の孤独を分かち合う事は出来ません。
特に荷科君は自殺を試みようとする程までに、精神をすり減らしていたというではありませんか。
その時に私が荷科君の傍にいたとして、彼を止められる自信がありません。
ましてや咲里之さんの様に自らの身体を差し出すなんて……中学時代に荷科君と出会ってすらいない私には、到底出来る気がしませんでした。
無論、今なら抵抗はありませんが、結局はたらればでしかありません。
そんな絶望の底から掬い上げた咲里之さんに、荷科君が好意を懐くのも当然とも言えます。
二人にとってセックスフレンドという関係は、互いの心の隙間を埋める必要な関係なのでしょう。
正直に言ってしまえば、敵わないと感じてしまいました。
荷科君が咲里之さんに懐く感情は、恋ではなく愛情と言っても変わりない程です。
咲里之さんが何度も他の男性と付き合っていたというのに、一切見限る事無く傍に居続ける様が愛でなくてはなんだと言うのでしょうか。
その愛情の強さを目の当たりにして、私の入り込む余地は無いのではと思ってしまったのです。
胸にある荷科君への想いは変わらないからこそ、過った敗北感は心に重くのし掛かって来ました。
一方で咲里之さんの行いは、包み隠さず言うのであれば褒められるモノではないと思います。
他の異性と交際を繰り返す度に、荷科君の想いが傷付けられているのですから。
噂が立つのも自業自得としか言えません。
ですが……責めるだけなら誰にだって出来ます。
自分の価値観だけで非難しては、過去を話してくれた荷科君に失礼だと思いました。
咲里之さんだって、自らの夢のために突き進んでいるだけ。
……その方法がどう考えても悪手なのが問題ですが。
ともあれ過去を知った私が悩んでいるのは、二人に出来ることは何かという事です。
あのままの状態では、両者にとって望ましくない結末が待っているのは想像だに難くありません。
だからどうにかしたいのに、その方法がまるで思い付かない。
小さく唸りながら思考に耽りながら、通りがかった公園に何の気なしに視線を向けます。
すると、奥の休憩スペースに見知った人物の姿を捉えました。
瞬間、息が詰まったかの様な驚きで足が止まります。
何せ、その人は……。
「──咲里之さん?」
「ぁ、眞矢宮さん……」
咲里之星夏さんでした。
呼び掛けに反応して顔を上げた彼女の表情は、どこか暗い様に見えます。
学校が違う彼女がどうしてここにいるのでしょうか。
その疑問もありますが、何より気になることがありました。
こんな雨の中で、咲里之さんは傘を持っていないのです。
それに髪も制服もずぶ濡れで、タオルも無いのか拭う様子もありません。
これでは気にするなという方が難しいでしょう。
「どうして、ここに?」
「あ~……ちょっと傘を忘れちゃってね。雨宿りしてたの」
半ば衝動的に口から出た質問に、咲里之さんは笑みを浮かべてドジをしたと話します。
ですが、その笑顔がどこか強がりの様に見えました。
荷科君から彼女の事情を聴いていなければ、こんな風に思うこともなかったかもしれません。
そういえば過去を話し終えた彼から、咲里之さんがまた違う異性と交際していると聞きました。
なのに今は一人で呆けていた様子を見るに……。
「彼氏と相合い傘で並んで歩いていた最中に、何らかの原因で口論になって取り残された……ということでしょうか?」
「うぇっ!?」
一番信憑性の高い仮説を口にした途端、咲里之さんは目を丸くして狼狽します。
どうやら図星だったみたいですね。
「……眞矢宮さんって推理小説とか嗜む感じ? なんで分かったの?」
「小説なら幅広いジャンルで読みますね。まぁそこはともかく、憶測が事実なら経緯を聴かせて頂けませんか?」
「う~ん……それもそっか」
踏み込んだ事を嫌がられないか不安でしたが、咲里之さんはあっけらかんとした面持ちで口を開きます。
「傘が無いのは本当だよ。それで彼氏と相合い傘して相手の家に行こうとしてたの。でも今日はなんかエッチする気分じゃないからって断ったらさ、ヤりたい時にヤらせてくれないならいらないって言われて、置いて行かれちゃったんだ~。それで雨が弱くなるまでここで雨宿りしてたってワケ」
「……」
ですがその内容はあまりにも男性側の身勝手に満ちたモノで、若干聴かなければ良かったと思う程に開いた口が塞がりません。
なんと言いますか……咲里之さんを女の子どころか人としてすら見ていない様な気がします。
それとも、彼女ならぞんざいに扱っても構わないということでしょうか?
いくら考えたところで、その男性の不誠実さを許せる気がしません。
「アタシのことなら大丈夫だよ。いつものことだし、ね」
咲里之さんはそう言いますが、短期間であっても交際を決めた相手に捨てられて傷付かないはずがありません。
彼女は告白を受ける度に懐く今度こそはという期待を、何度裏切られて来たのでしょう。
その姿を間近で見た荷科君は、何度受け止めて来たのでしょうか。
私には、こんな『いつものこと』があって良いとはどうしても思えない。
雨に濡れた頬が涙を流した跡の様にも見えて、あまりに見ていられなくて……。
「咲里之さん」
「ん?」
「──ウチに寄って行きませんか?」
「えっ?」
気付けば彼女を自宅に招く言葉を口にして手を引いていました。
咲里之さんには目を丸くして驚かれます。
初対面の日に、あれだけ辛辣な態度を取っていた私からこんな誘いをされるだなんて、考えもしなかったというところでしょうか。
正直に言ってしまえば私も同感ですが……お二人の過去を知って、咲里之さんに対する見方が変わったのは間違いありません。
「いつ雨脚が弱くなるか分からない中で濡れたままでは風邪を引きますし、シャワーはもちろん制服が乾くまでの着替えもお貸ししますから」
「ま、待って!? なんで眞矢宮さんがそこまでする必要があるの?」
私の提案に、咲里之さんは驚愕を露わに理由を問います。
それを聴いた私の胸中には、小さな苛立ちが渦巻きました。
荷科君もそうですが、お二人は善意を中々素直に受け取ってくれない面があります。
性別も性格も違うはずなのに似ている部分がある事が、どうしても羨ましくて憎くて堪りません。
そんな似た者同士のお二人がすれ違い続けるのは、自分の想いが通じない事以上に見ていてもどかしいです。
それに……分かり切っている事を私の口から言わせる事も、とても腹立たしい。
「セフレであっても咲里之さんが体調を崩したら、荷科君が悲しんでしまいます。それに……『大丈夫』が口癖な人の『大丈夫』は全く信用出来ませんから」
「え、なんでそのこと……」
語調に少し気持ちが滲んでしまいましたが、咲里之さんを放っておけない理由に嘘はありません。
納得したのかは分かりませんが、呆然とした彼女を引き寄せて女子二人で一つの傘を使い、自宅への帰路を歩いて行きました。
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