#43 始まりの約束
初めてのセックスは想像以上だったと言う他ない。
一度だけで終わるはずもなく獣の様に互いの体を貪り合い、脳髄を溶かす様な甘い快楽に酔い痴れ、一つに繋がった事による止めどない高揚感に浸り尽くした。
お互いの精根が尽き果てた時には、時刻は深夜近かったのには驚いたモノだ。
いくら冷房を利かせているのは言っても、夏の季節に激しい動きをしていれば汗だくになるのも仕方が無い。
だが、俺と星夏のどちらにもシャワーを浴びる気力が残っておらず、裸のまま部屋の床に並んで寝そべっていた。
それでも心が軽い気がするのは、図らずも胸の内に渦巻いていたストレスが解消されたからなのだろう。
そうなると、星夏はこれを狙って俺にセックスを持ち掛けたのか?
頭に浮かんだ疑問に突き動かされる様に、隣にいる星夏に顔を向ける。
「あはは。持ってたゴムが全部無くなるとか、性欲なんてありませんみたいな顔してるのに性豪でウケる。あれかな。死ぬつもりだったから、種としての生存本能的なヤツが働いた感じ?」
「知るかよ。こっちはさっきまで童貞だったんだから」
「それもそっか」
疲労困憊のはずなのに元気な星夏の肯定しづらい言葉に、素っ気ない否定で返す。
自分で言って何だが異性と……星夏とセックスをしたという事実に実感が追い付いていなかった。
脳裏にはあの淫靡で艶めかしい数々の記憶が焼き付いているが、正直に言って童貞を捨てる前と後で自分が変わった気がしない。
しばらく体を休めたのである程度体力が回復し、順番にシャワーを浴びる事にした。
脱いだ制服を着直し、改めて星夏と向かい合う。
「それでエッチしてみた感想はどうだった?」
「躊躇い無くぶっこんで来たなぁ……。まぁ、良かったとは思うけど」
「けど? あ、もしかして童貞捨てたくなかった?」
「いやそんな安いモノを失くしたのはどうでもいいんだ。その……俺なんかとセックスさせて悪かったと思ってな……」
いくら星夏が恋人と別れたと言っても、ケンカに明け暮れていた俺と肉体関係を持った事に、どうしようもない罪悪感を懐いている。
この期に及んで彼女が俺に好意を持っているなんて勘違いはしていない。
何故か身体を許すくらいの好感はある様だが、それでも俺相手に身体を張って良かったのかと申し訳なく思ってしまう。
そんな気持ちで告げた謝罪に、星夏は空色の眼を丸くしたかと思うと……。
「──あっははははははははっっ!! ナニソレ! 男子って女子とエッチ出来たら喜ぶんじゃないの? あーダメ、お腹痛い! あははははははははっ!」
腹を抱えながら大笑いした。
全く想像しなかったリアクションに呆然として、どう反応すれば良いのか分からず困惑してしまう。
やがて星夏の笑いが収まり、目尻に溜まった笑い涙を拭いながら顔を向ける。
「ふぅ~……そんなの気にしなくて良いよ。どっちかって言うとアタシがこーたの初めてで良かったかなって言いたいくらいだよ? それに、エッチしたのはこーたへのご褒美みたいなもんだし」
「ご褒美? なんでだ?」
セックスに誘われた理由を聞き、疑問をそのまま口にする。
俺は星夏に褒美を貰う様な事はしていない。
一口にご褒美と言っても、セックスを許容する程の事は命を助けたとしても難しい気がする。
だからこそ強まる疑念を余所に星夏は……。
「──こーたは凄く頑張ったから、その反動で疲れちゃったんだよ。だからこれくらいしなきゃって思ったの」
「え……?」
優しい笑みを浮かべながら告げられた答えは、全く以て予想していなかったモノで、思わず目を見開いて驚いてしまう。
俺が頑張った?
ただ無意義に生きて、ひたすら売られたケンカを買っただけなのに?
どうしてそう感じたのか分からず、困惑を隠せない。
「家族が亡くなって襲って来た孤独に耐えて、自分を守るために嫌いなケンカをして、お爺さん達に心配を掛けたくないから強がって……これが頑張ってないわけないじゃん」
だが、星夏はやけに確信した様子で続けた。
俺にとってはそうでなくても、彼女は頑張った証だと称賛してくる。
「色々頑張って、でも心にはずっと疲れが溜まってたんだと思う。でも誰にも言えないでいたからそれがどんどん大きくなって、耐えられなくなった」
そう紡ぐ星夏の表情は優しげで、何一つとして憐れみも同情も感じさせない慈しみを目の当たりにした。
「そんなこーたに何をご褒美としてあげられるかなって考えたんだけど、こんな方法しか思い付かなかったのは……うん、自分が情けなくなったかな」
星夏は苦笑を浮かべて自らの力不足を自嘲するが、俺はそんな事は無いと感じた。
町中で引き止められた時と同じだ。
相手が星夏だったからこそ、身体を重ねて良いと思ったのだから。
「それでね。きっと今のこーたに必要なのは死んで楽になる事じゃなくて、頑張った分だけ休む事なんじゃないかな」
「休む……?」
意図がピンとこない言葉の真意を問うと、星夏は手を伸ばして俺の頭を撫で始めた。
まるで母親が元気の無い子供を励ます様な手付きだ。
母親でも無い彼女に撫でられて驚きはしたが、何故だか振り払う気が起きない。
「マラソンと同じだよ。何もプロみたいにずっと走らなきゃいけない理由も無いんだし、疲れたんだったら足を止めて気が済むまで休んで、頑張りたくなった時に立ち上がって進むの」
「……」
「それでまた疲れたら休んじゃえば良いんだよ」
死にたくなるくらい疲れたのなら休んでも良い、と。
他人事にも聞こえるそれは単純な励ましよりとても心地よくて、無性に暖かな気持ちが過った。
「あ、でもだからって死んで良いよって意味じゃないからね? 少なくとも、アタシはこーたに生きて欲しいって思ってる」
そして無責任でも無い。
あくまで星夏は俺に生きて欲しい前提で、さっきの言葉を紡いだと悟る。
「だってさ、一年後でも一ヶ月後でも……もっと言えば明日。ううん、次の瞬間に死にたくなくなるくらいの大きな幸せが来るかもしれない。なのに死んじゃったら、どれだけ待っても来ないのはアタシにも分かるよ」
形は違っても家族の崩壊を知っている彼女が、どうして笑っていられるのか分かった気がした。
きっといつか来る幸せのためなんだ。
その幸せを全身で受け止めるために、星夏は今も明るく振る舞っている。
「俺にも……そんな幸せが見つけられるのか?」
自分には無い眩しさを見て、思わずそんな呟きが漏れた。
だが俺が明日にも幸せになれるかなんて、誰も確証出来ない事だ。
「──こーたなら見つけられるよ」
なのに、星夏は絶対にそうだと信じている様な口振りで言う。
根拠も何もないのに、俺だったら幸せを見つけられると。
しかし、それはとんだ大言壮語の夢物語だと、命を捨てるつもりだった黒い自分が訴えて来る。
散々暴力に手を出して人を傷付けて来たお
「……自信、まるで無いな」
「だったらさ、約束しようよ」
「え?」
自分には無理だなんて言葉を聴いていないかの様に、星夏は俺の右手を取る。
そうして互いの小指を絡ませて、強引に指切りの形を作り出した。
何のつもりだと思い、目を向けると空色の瞳が真っ直ぐ見ているのに気付く。
そして……。
「こーたが自分の幸せを独りじゃ見つけられる自信が無いなら、見つかる時までアタシが傍に居てあげる」
「──っっ!!!!」
かつてない綺麗な笑みと共にその約束が交わされた瞬間、胸に過った巨大な感情の奔流がこれでもかと渦巻く。
この先どれだけ時を重ねようとも、脳裏に刻み込まれた想いは決して忘れない。
荷科康太郎が咲里之星夏に恋をしたのは、まさにこの時なのだから。
人は恋に落ちると見える世界が変わるとは良く言ったモノだ。
あぁそれは間違いない。
ずっと先行きの見えない人生に、色鮮やかな彩りを与えてくれた彼女に、抗い様も無く恋い焦がれた。
消えゆくと思っていた生きる気力は、いとも簡単に燃え盛る炎となって、死への渇望を灰に変えていく。
自分の幸せより先に、幸せになって欲しい人を見つけた感動に心が熱くて堪らない。
今この瞬間に交わした星夏との約束は、破られはしないし守られ続けるだろう。
けれどもそれだけだ。
果たされる事は決して無い。
この約束を果たしてしまえば、その時は星夏が俺の前から居なくなってしまう事を意味する。
今しがた交わされた約束なのに、果たされる瞬間が来ないで欲しいと願ってしまった。
独りでいた方が良かったなんて言ったクセに、今度は星夏と離れたくないと感じてしまっている。
本当にとんでもない身勝手だ。
こんなの、星夏に知られる訳にはいかないな。
だから、代わりの約束を交わそう。
星夏が俺の傍に居てくれる間に、俺が星夏から離れない様にするために。
目の前の愛おしい彼女と、少しでも長く傍に居られる理由をもう一つだけ交わそう。
「──だったら、星夏が自分の幸せを見つけられるまで、俺が守るよ」
「! うん、約束だよ!」
満面の笑みを浮かべる星夏を見て、どうしようも無く心が浮き立つ。
きっと第三者から見ればいつ果たされるか分からない俺達の約束は、呪いの掛け合いに見えるかもしれない。
約束という綺麗な飾りの裏に、なんとも醜い独占欲をひた隠しにする様はあまりにも滑稽だろう。
けれど……例え醜くともみっともなくとも、俺はこの約束に縋り付いていたかった。
この命は、彼女が幸福に至るために使うと決めたのだ。
例え一生を懸ける事になろうが、それだけは迷いはしない。
俺の恋の始まりは、そんな覚悟の元に始まったのだった。
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