#35 空っぽの拳
荷科家は父母と俺の三人という、どこにでもある普通の一般家庭だった。
何かしら特別な訳じゃなかったけど、俺は胸を張って幸せだと言い張れる。
春休み前の休日に近所で催されていた福引き抽選会で、父さんが一等賞である二泊四日の海外旅行のペアチケットを引き当てた。
最初は家族揃ってはしゃいだけど、ペアチケットだから二人までしか使えないって気付いて落胆したのは良く憶えている。
色々考えた末に旅行チケットは両親が使うことになり、その間俺は父方の祖父母の家に行くことになった。
空港で両親からお土産を買ってくれると言われて、期待を胸に二人の帰りを待っていたんだ。
けれども、両親が俺の前に帰って来たのは、物言わぬ遺体となった姿でだった。
二人の乗った飛行機が着陸する前に、エンジントラブルによって爆発が起きて墜落。
乗客と乗務員合わせたおそよ三百人以上が、その事故によって亡くなった。
中には遺体の損傷が激しくて、男女の判別すら付かない人もいたそうだから、俺の両親は帰って来ただけでもマシと言えるだろう。
だからと言って、唐突に家族がいなくなってしまった悲しみが軽くなる事はない。
茫然自失としている内に二人の葬式は
家族の命代わりの様に振り込まれた金なんて、どんな金額だろうが微塵も嬉しくない。
本当は捨ててしまいたかったが、それじゃ二人が保険に入った意味が無くなってしまう。
その考えに至って一応手許に残す事にしたが、どうにも鬱陶しく感じるものの意味が無いと飲み込んだ。
俺の身元は祖父母が引き取ってくれた。
両親の死から立ち直っていない間に引っ越すと、余計にパニックになると気遣ってくれた結果、向こうから住まいを移してくれた程だ。
それでも時間が経つにつれてのし掛かる孤独感と虚無感は、日に日に心の隙間を拡げていって、夢で家族の思い出を見返す事が多くなっていった。
それでも落ち込んでいたら両親と祖父母に心配を掛けてしまう。
何とか自分を奮い立たせつつ、学校でも気丈に振る舞っていた。
その学校では両親の死は教師陣やクラスメイト達に明かしている。
心配してくれたけれど、表面上はもう割り切った風に過ごしていた。
けれどどんなに笑ったフリをしても心に募った寂しさは拭えなくて、作り笑いの下に隠す本心が増えた分だけ心労はさらに増す一方だ。
そんな生活が続いて一ヶ月が経った頃だ、俺が暴力沙汰を起こしたのは。
ゴールデンウィーク前の放課後に、クラスメイト達が家族と旅行に行く話で盛り上がっていた
悪気が無いのは分かってる。
けれども『旅行』や『飛行機』の単語を聴いた事で、否応なしにトラウマを刺激された結果、表情を繕う余裕も無くして教室を飛び出したんだ。
少しでも気を緩めれば胃の中身を吐きそうで、その不快感から来る苛立ちで心はささくれ立っている。
気持ちを落ち着かせようと一人になるために体育館倉庫に行ったら、そこで校内でも有名な二人の不良の先輩がタバコを吸っているところに遭遇してしまった。
「ッチ。みられたぞオイ。穴場じゃなかったのかよ」
「先公じゃないから大丈夫だろ。それより……」
先輩達は不機嫌さを隠さないまま、逃げられない様に俺を囲んだ。
「お前さ、なんで人のこと睨んでんだよコラ」
「中学生がタバコ吸っちゃいけませんって言いたいのか?」
何も言ってないのにいちゃもんを着けられてしまう。
とはいえこれは俺の目付きの悪さ故に、相手を見ると睨んでると勘違いされる事が多いからだ。
特に小さい子相手だと高確率で泣かれてしまうから、何度か相手の親に怒られたこともある。
「すみません。目付きは生まれつきなんで、睨んでるわけじゃないんです……」
そのため誤解された時の訂正も言い慣れているから、余裕の無い今でも咄嗟に口にすることが出来た。
だがそれでこの二人が不満を抑えられるかと言われれば……。
「そうかそうか。じゃあ慰謝料代わりに財布の有り金をくれよ」
「タバコって高いんだよね~。少しくらい恵んでくれてもいいだ……ろ!」
「うわっ!?」
下手に出たことでむしろカモと思ったのか、そのままカツアゲしようと俺を突き飛ばした。
それで感じたのは恐怖では無く、面倒だという呆れだ。
特に今は苛立ちが募っているから、相手にする暇も無い。
変に抵抗するより、言われた通り金を渡すだけで済むならいいか。
そう思って財布を取り出し、中に入っていた二千円を渡す。
しかし、先輩達は『ッチ』と舌打ちして……。
「すっくな。お前の親どんだけ稼ぎ無いわけ?」
「──は?」
ただでさえ両親のことで気が立っていた時に、そんな言葉が投げ掛けられる。
瞬間、今まで押さえ込んでいた感情が一気に火が着いて、気付けば俺は先輩達を殴り倒していた。
初めて人を殴った感触は今でも鮮明に思い出せる。
思ったよりも自分の手が痛くて、肌にこびり付いた汚れが落ちない様な、とにかく不快な感覚だ。
けれどもこの瞬間だけはのし掛かっていた虚無感を忘れる事が出来た。
「や、やめてくれ!」
「もう、もう降参する!」
しばらくして降伏した二人の顔は口と鼻から出た血で汚れ、俺の手の甲も真っ赤になっている。
二対一という劣勢でありながら勝つ事が出来たが、そんなのはどうでもよかった。
こいつらがこうなったのは、亡くなった両親を馬鹿にした報いだからだ。
ふと周りを見渡せば人集りが出来ている。
どうやらかなりの騒ぎになっていたみたいで、周りには教師や他の学生達が集まっていた。
そんな状況下であってもなお、今も泣きじゃくる先輩に拳を振り下ろそうとして、背後から羽交い締めにされた事で動きを止められる。
「止めろ荷科!」
俺を止めたのは担任の先生だった。
酷く焦った声音が耳に入って来るが、それでも俺の怒りは収まる様子を見せない。
「離せよ!」
だってアイツらは俺の大事な家族を見下したんだ。
どうして亡くなった後になって、そんな扱いをされなきゃいけない。
どんなに謝ったところで許すつもりは微塵もなかった。
さらに……。
「こんなことをしてなんの意味がある!? あるとしたらそれは、天国にいるお前のご両親が悲しむだけだ!」
「──っ、っっざけんなぁぁぁぁっ!!」
「がっ!?」
先生が放った一言で怒りが爆発し、その感情のままに後ろにいる先生の脇腹を殴った。
それによって拘束が緩んだ瞬間に後ろ蹴りを放ち、仰向けに倒れた先生を馬乗りになってさらに顔面を殴りつける。
今にして思えば先生は良心から言ってくれたんだろう。
けれども当時の俺にとっては、両親の気持ちを勝手に決め付けられた事が何よりも不愉快だった。
きっとここでどんな正論を説かれたとしても、俺は聞く耳も持たず拳で返していたのは明らかだ。
ともあれ、不良の先輩二人だけでなく大衆の面前でも教師にすら容赦なく暴力を振るう光景は、大人相手であっても怖がらせるのは十分過ぎる。
やがて事態は他の先生によってようやく抑えられ、不良二人と担任の先生は全治一週間以上の怪我を負い、加害者である俺には一ヶ月の停学処分が下された。
騒動の件は祖父母にも伝わり、時間を掛けて叱られたものの両親の死が関係していると察してくれたのが、せめてもの救いと言える。
でも、俺はこれ以上迷惑を掛けたくない思いから、二人に一人暮らしを始めたいと説得をしたんだ。
もちろん良い顔はされなかったが、月一の定期連絡と両親が残してくれた保険金と遺産があるからと胡座を掻く事無く、高校に入ったらバイトをする事を条件に認めてもらえた。
そうして引っ越した先が、今住んでいるアパートだ。
中学二年生での一人暮らしは大変で、母さんの凄さを実感させられた。
でも、いくら感謝の気持ちを伝えたくてもその母さんはもういない。
勉強でも運動でも、頑張ったらいつも褒めてくれた父さんも。
停学が明けてから登校した俺を誰もが恐れて関わろうとしてこなかった。
当たり前だ、大人でも手が負えない不良二人だけでなく、止めに入った教師も殴り倒したんだから、事件前まで仲の良かった友達やクラスメイト達とも、完全に絶交して孤立化するのも当然の結果だ。
だけども不思議と寂しくは無い。
むしろ変に同情されなくなった事で、表情を繕う必要がないから楽になったくらいだ。
皮肉だが事件後の方が過ごしやすくなった。
このまま独りで良いなんて漠然と懐き始めた未来像は……。
「──久しぶり、こーた。一足早い夏休みはどうだった?」
「……あ?」
──たった一人の行動によって脆くも崩れ去るなんて、思いもしなかった。
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