#36 腐れ縁の彼女


「──久しぶり、こーた。一足早い夏休みはどうだった?」

「……あ?」


 孤立化した俺に平然と声を掛けて来たのは咲里之さりの星夏せなだった。

 明るい茶髪をおさげの様に束ねたツインテールと、円らで透き通った空色の瞳、化粧も無しにシミ一つ無い白い肌、整った目鼻立ちは綺麗というよりは可愛いと表され、朗らかで人見知りしない社交性の高さから、学校でも屈指の人気を誇る美少女だ。


 そんな彼女とは小学校の頃から同じクラスの腐れ縁で、実を言うとちゃんと話す様になったのは小学三年生になってからだった。


 朧気な記憶が多い小学生時代の中でも、星夏と初めて会話をした時の中身は良く覚えている。

 確か『康太郎』って名前が長いからって理由で、俺を『こーた』と呼んで良いかという内容だった。

 

 それまで挨拶しかした事が無かった相手……それも女子にあだ名で呼ばれるなんて思っても見なかったな。

 でもそれが切っ掛けで、俺達は教室で顔を合わせれば色んな話をする様になった。

 

 互いの友達の話や昨日見たテレビの話、細かい内容は覚えていないがそんな他愛の無いモノばかりだ。

 

 要約すると腐れ縁ではあるが知り合い以上友達未満……それが俺と星夏の関係だったはず。


 なのに、暴力事件を起こした俺を怖がる事無く、星夏は素知らぬ顔で挨拶を投げ掛けて来たのだ。

 意味が分からなくて、思わず訝しむ様な声を漏らしてしまった。

 星夏の行動に驚いたのは俺だけで無く、クラスメイト達も同じだった様で、小さく息を呑んだのが分かる。


「一ヶ月も停学してたけど、授業とか付いて行けそう? なんだったらノート貸してあげよっか?」

「……」

「もしも~し? 無視されると傷付くんですけど~?」


 どうして話し掛けて来るのか逡巡していると、星夏がそんなことを言っているのに気付いた。

 果たしてこの行動の真意は、嫌われ者にも優しいという自分の評価を上げるためだろうか?

 正直疑問は尽きないが、答えないと一限目の予鈴がなるまでこのままかもしれない。

 流石にそれは鬱陶しいので、とりあえず返事だけはする事にした。


「……自習してたから要らねぇ」

「お~真面目だ」

「停学中で暇だっただけだ」

「学校行かなくて良いのに勉強してるのが真面目じゃなかったら、他にどういう言い方したらいいの?」

「知るかよそんなの」


 とにかく興味が無いとばかりに突き放すが、思いの外星夏との会話が終わらず内心で戸惑った。

 クラスメイト達もハラハラした様子で眺めるだけで、彼女を止めようとする気配は無い。

 まぁ別に期待もしてないから構わないんだが。


「こーたの事、学校中で噂になってるよ」

「あれだけ目立ったんだから、ならない方がおかしいだろ」

「ただ噂になってるだけじゃないよ。『前から裏でイジメをしてた』とか『他校の不良と深夜に遊んでる』とか、尾ひれが付きまくって原型がなんだったのか分かんなくなる感じで。面白おかしく広め過ぎだと思わない?」

「……」


 肩を竦めながら呆れた様に告げられた内容に、『なんだそれ』とは思っても口に出さなかった。

 どうせ俺が暴力を振るった理由は理解されないだろうとは思っていたが、あまりに根も葉も無さ過ぎて逆に呆れを隠せない。

 

 それ以上に気になったのが、星夏が噂の事を切り出した途端にあからさまに動揺したクラスメイト達だ。

 恐らくだが、俺が噂を広めたヤツに報復するとでも思ったのだろうか。


 くだらない……まず浮かんだのがそんな感想だった。

 不特定多数の中から元凶を探し出すなんて、どう見ても面倒な事は頼まれたってするか。

 だが星夏が誰と指摘した訳でもないのに動揺したということは、少なくともあること無いこと言いふらしてるのは確かなようだ。


 尤もそれを責めるつもりは微塵も無いが。

 大本を辿ったところで、俺の自業自得なのはどう足掻いても覆らない。

 自分を棚に上げて周囲に当たり散らしても、余計な疲労が募るだけだ。 

 

 だったら無視するのが一番楽で済む。

 それだけの話だ。


「赤の他人にどう言われようがどーでもいい」

「……それもそっか」


 俺の返答に星夏は一瞬何か言いたげな面持ちを浮かべた気がしたが、すぐに笑みを浮かべてそう言ってから自分の席に戻って行った。

 結局どうして俺に話し掛けて来たのか聴けなかったが、すぐにただの気まぐれだと頭の片隅に追いやる。

 

 程なくしてチャイムが鳴り、一限目の数学の授業が始まった。

 担当する教師は担任の先生なのだが、向こうは俺の姿を見るなり露骨に目を逸らす。

 

 大の大人が一回りも年下の中学生を怖がっている。

 その現状に対しても、何も感じる事無く授業を適当に聞き流すだけだった。 


 ====== 

 

 その日の授業を全て受け終えたが、その中で一度たりとも俺が名指しされることはなかった。

 見る人によってはイジメにも見えるだろうが、教師相手でも手を上げるのだからその反発を恐れた結果だろう。

 とどのつまり、これも俺が起こした自業自得の一つに過ぎない。

 

 一応は授業を受けさせてくれるだけでもマシな方だと思える。


 そう考えると浮き彫りになるのが星夏の存在だった。

 休み時間になる度にアイツは俺の元にやって来て、色んな話題を投げ掛けて来たのだ。

 

 今朝と違って曖昧な相槌しか返していないのに、星夏は嬉しそうに話を続けてくる。

 話を聞いて欲しいだけなら、人気者の彼女だったら相手に困らないだろうにどうしてわざわざ俺なんだ。

 そんな疑念が尽きない。

 

 流石に放課後になった直後に声を掛けて来なかったが、明日もこの調子だと思うとどうにも気疲れしそうだ。

 若干の憂鬱を憶えながら、帰路に着く前に寄った校内のトイレを出ようとして……。


「あのさ、星夏。なんで今日荷科に話し掛けに行ったの?」

「そうそれ。あれ、めちゃくちゃ怖かったんだからね!」

「ん~? 急にどしたの?」


 隣の女子トイレ前だろうか、やけにハッキリと話し声が聞こえて来た。

 声の高さからして女子三人だ。

 その内容がよりにもよって俺の事で……何より星夏がいると分かったがために足を止めざるを得ない。

 

 なんて間が悪いんだ。

 この状況で姿を現せば間違いなく悲鳴を上げられる。

 目に見えている面倒事は避けるに越したことは無いと判断し、仕方が無くトイレの中で会話が終わるのを待つことにした。


「なんか結構見知った感じだったよね。荷科と仲良かったの?」

「こーたとは小学校から同じクラスの友達だよ」

「幼馴染み……ううん、腐れ縁ってこと? なんか意外~」

「腐れ縁の方だよ。学校でしか話したことないしね」


 不可抗力でイヤでも会話が耳に入って来る。

 その中で少なからず驚かされたのは、星夏からは友達として見られていた事だ。

 

「でもそれなら荷科と関わるのは止めといた方が良いでしょ。アイツってヤバいじゃん」

「私、スーパーで万引きしたって話聞いたよ。星夏に何かするかもしれないよ」


 オイオイ、またどっかからよく分からない噂が流れてるな……。

 なんで金があるのに万引きする必要があるんだか。

 作り話にしてもおざなり過ぎる噂に呆れを隠せそうにない。


「こーたが万引き? あはは。作り話だからって雑にでっちあげ過ぎでしょ」


 が、そう思ったのは俺だけだった様だ。

 言葉こそ軽く放っているが、星夏の声音はどこか怒りを含んでいる様に聞こえた。


「殴らないと気が済まない理由があったかもしれないのに、知ろうともしないで悪戯に作り話を広めて寄って集って貶してさ。それってイジメと何が違うわけ?」

「え、でも荷科は……」

「こーたが不良の先輩達と先生を殴ったのは間違いないよ。それで二人や皆が怖がるのも仕方が無いって思う」

「だ、だったら……」

「でもね」


 どうしても変えられない事実を挙げて、それに対する理解を示す。

 そこに乗っかろうとした女子が二の句を告げるより先に星夏が口を挟む。


「怖いって免罪符で投げた石が投げ返されない確証はどこにもないよ。だって相手は砂を詰め込んだサンドバックじゃなくて、アタシ達と同じ血の通った人間なんだから。そう考えたらちゃんと停学処分を受け入れて、八つ当たりもしないこーたは全然大人しい方でしょ。少なくとも、アタシはその辺の誰かよりもアイツを知ってるつもりだもん」

「「……」」


 そう言い切った星夏の言葉に、他の二人は何も言えないでいる様だ。

 それは俺も同じで、彼女が話し掛けて来た理由をなんとなく察する事が出来た。

 星夏は自分の評価を上げる事など微塵も考えていない。

 俺が事件の後も接し方が変わっていないんだ。


 友達と普通に話しているだけ。


 たったそれだけの単純で、でも妙に胸の収まりが良い理由。


 そういえば……クラスで両親が亡くなったと知らされた時、同情した周りが心配する言葉を投げ掛けて来る中で、星夏だけは何も言っていなかったなと思い出す。

 まるで、気休めの同情に意味が無いと知ってるかの様な態度だった。

 

「ごめん……」

「私も、なんかさっきまでの自分がバカみたいに思えてきた」

「アタシに謝らなくても良いよ。さっきも言ったけど、暴力沙汰を起こしたこーたを怖がるのは無理も無いんだから。まぁ出来るなら変に噂を広めるのはやめて、しばらくはソッとしてあげてね」

「……うん」

「星夏の友達を悪く言ってごめんね……」


 星夏の友人達は険悪になることなく済んだみたいだった。

 断言出来ないのは三人の話し声が遠くなったからだ。

 

 ようやくトイレから出て帰路に着く最中、星夏から向けられた信頼を思い出して、どうにもむず痒い気分を憶えた。

 ただ……不思議とイヤな気持ちじゃなかったのは確かだ。

 

「……変なヤツ」


 口ではそう言ったけど……本当は嬉しかったんだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る