#22 約束の証

【星夏視点】


 それは中学三年の夏頃、アタシが自分の家でこーたと初めてエッチした後のことだった。

 

 とは言ってもアタシはその前にはもう処女じゃなかったし、彼からお金を貰ったりもしていないし、付き合った訳でもない。

 じゃあなんでエッチをしたのかって言われたら、そうするしかこーたを止められそうになかったからだ。


 あの時のアイツは、目を離したらどっかに消えちゃいそうなくらいボロボロで、どんな言葉もまともに届かない様に見えた。

 きっともっと良い方法があったかもしれないけど、アタシの力でこーたを助けられそうな方法がそれしか思いつかなくて……でも後悔は微塵もしていない。

 だって運良くこーたが自殺を踏み止まってくれて、まぁ恥ずかしながら相性が良かったからアタシも気持ち良かったっていうのもある……。


 結果的にこーたの童貞を貰っちゃった形になるけど、アイツはそんな安いモノを失くしたって気にしないって許してくれた。

 むしろこっちの善意からしたことなのに、自分とさせて悪かったって謝られたくらい。


 それがあまりに可笑しくて笑っちゃったのは良い思い出だ。

 だって普通の男子ならさ、女子とエッチ出来てラッキーって思うはずでしょ?

 なのに謝られるなんて予想外だったもん。


 思えばあれがアタシとこーたのセフレ関係の始まりだった。


「星夏」

「ん? どーしたの?」


 エッチした後の片付けを済ませてバイバイって時に、こーたに呼び掛けられた。

 何か忘れ物かなって思って聞き返したアタシに、アイツは右手にあるモノを差し出して来たのだ。

 目を向けると、それは何の装飾も無いシンプルな銀色の鍵だった。

 

「なにそれ?」

「俺の家の合鍵」

「えっ!? な、なんで?」


 恋人でも無いアタシに、こーたは渡して当然みたいな顔で自分の家の合鍵をあげるなんて言う。

 そんな突然の行動に驚くのも仕方ないよね?


「夜はこんな家で一人なんだろ? 知っての通り俺は一人暮らしだ。防犯の意味合いも兼ねて暇な時に来たら良いさ。……まぁ一番の理由は命の恩人に恩返しがしたいからなんだがな」


 でも、こーたは全く恥じらいを見せずに理由を口にする。

 こーたをこの家に連れて来た時に、アタシの家庭事情を知られたからこその気遣いだと解った。

 

 夜の仕事で働くお母さんとは生活リズムが合わなくて、夜は基本的にひとりぼっちだ。

 その生活になってもう五年が経つけど、一向に寂しさは無くならなくてむしろ年々増すばかりだった。

 こーたはそんなアタシを見兼ねて、この合鍵を渡すと決めたみたい。


「それに、約束しただろ? だからこれはその証みたいなもんだ」

「約束……」


 エッチの後でこーたが心に抱えていた気持ちを吐き出してくれた。

 あのまま終わっても何も変わらないと思って、アタシはこーたと一つ約束をした。 

 そう言われると、確かに受け取った方が良いかもしれない。


 別に良いのになんて言って断ることは出来たはずなのに、不思議とアタシは嬉しくて堪らなかった。

 形はどうあれ、こーたはアタシが居て良い場所を与えてくれたから。 


「ありがとっ。こーた! これ、大事にするね」


 飾らないお礼を口にした時、いつもの仏頂面が嘘みたいに笑ったこーたの表情は、今でも鮮明に思い出せるくらい印象深かった。

   

 ======


 だから、こーたが渡してくれた大事な合鍵を海森に拾われたと理解した途端、アタシの頭には河瀬君に見捨てられた悲しさも、コイツに対する恐怖も忘れてただ鍵を取り戻すことしか考えられなくなった。

 

「返して!」

「おっと……なんだよ急に。そんなにこれが大事なのかよ」

「当たり前でしょ?! それは絶対に失くしちゃいけない大切なモノなの!」


 もし合鍵を失くしたら、アタシはこーたとの約束を守れなくなる。

 そんなのダメ、絶対にイヤだ。

 

 なのに海森はアタシの手が届かない高さに鍵を持ち上げて、全く返してくれそうな素振りを見せない。

 

「この『こーた』って誰だよ? さっきのヤツじゃないよな……教えろよ」

「アンタには関係ない! いいから早く返してってば!」

「イヤだよ。人の女を誑かすようなヤツにはしっかり灸を据えないといけないしなぁ」

「最っっ低!!」


 バットを持ち出すような性悪なコイツに教えたら、こーたに何をするか分かったもんじゃない。

 そんなことはさせないと必死に鍵に手を伸ばすけど、暖簾を手で押すようにどうしたって身長の差を縮められないでいた。

 せめて両手が使えたら……。


 何度ジャンプしても届かなくてやきもきしていると、不意に腹部に何か押し当てられてることに気付いた。

 だけど、アタシの前には海森しか居なくて……ってちょっと!? 


「何大きくしてんの!?」

「おいおい、こんだけ胸を押し付けられてたら勃つに決まってんだろ?」


 さもこっちが悪いみたいに言わないでよ気持ち悪い……。

 ニヤニヤとキモい顔をする海森に不快感を露わにして睨むけど、さらにスパイスが加わったみたいにしたり顔で効いていないみたいだった。

 

「じゃあさ、鍵返して欲しかったらコレをしゃぶれよ。もう一人じゃ全然満足出来なくて溜まってるんだよなぁ」

「はぁっ!? ふざけないでよ! アンタの事情なんてどうでもいいし!」


 あまりにくだらない提案を一蹴するけど、海森は鍵をこれ見よがしにぶら下げて挑発してくる。


「ならこの鍵はいらないってことで良いんだよなぁ~?」

「~~っ、アンタ自分が何やってるか分かってる? 人の大事なモノを盾に脅迫してしゃぶれって……これ完全にレイプだからね? 犯罪だよ?」

「自分の女とセックスするだけだろうが! 鍵を返してもらいたいならさっさとしろよ!」


 犯罪と別れた事実を認めない横暴に、コイツには何を言っても通じないと悟る。

 いっそ噛んでやろうかとも思ったけど、そうしたら合鍵がどうなるか分からない。

 

 人をモノ扱いするヤツの相手とか本当は凄くイヤだし、そもそも口でするのは苦手でもある。

 だってこれおしっこも出るとこでしょ?

 それを口に咥えるっていうのは抵抗感が強くて、どうにも苦手意識が拭えない。

 なのに、噂のせいでビッチのアタシならシて当たり前みたいな風潮があるのか、エッチする時に要求されなかった事が無いっていう酷い話付き。 


 それでも、こーたの合鍵が無事に返って来るなら……アタシの苦手意識なんてどうだって良い。

 胃の底から迫り上がってくる嫌悪感を飲み込んで、膝を折って屈む。

 身体を重ねたことのある相手であっても、嫌悪感しかない今のまますると思うと吐き気を催しそうだった。


 ……せめて洗った後ならまだ何とかなるのに。


 けど、ここで吐いたら間違いなく鍵を壊される。 

 約束を守るために気持ち悪さを押し殺して、徐々にズボンに手を掛けて行って……。









 ──バンッッ!


 唐突に鼓膜を大きく揺らした音によって中断させられた。

 

「なっ、なんだおま──ぶへえっ!?」


 顔を向けるより先に、目の前に居た海森がぶっ飛ばされる。

 その光景を見て、我慢していた不快感が簡単に消え去った。


 何となく大きくなっていく様子を見ていた背中が視界に映った途端、もう怖がる必要なんて無いと悟る。


 全力疾走して来たからか息が荒いし、全身汗だくなのが見て分かった。

 でも、そんな疲れなんて関係ないみたいに、脱力して座り込んでいるアタシに向けてアイツは小さく笑ってみせた。


「悪い星夏……遅れた」

「──……こー、た?」

「おう。なんでなんて解りきってることは聞くなよ? 約束しただろ。お前が自分の幸せを見つけられるまで、俺が守るって」

「ぁ……」


 言った事そのものは河瀬君と何も変わらないのに、それは一切の疑いの余地無く心に届いた。

 その約束を交わしたのはもう二年も前になるのに、こーたは一生の誓いみたいに守ってくれている。


 アタシが傷付いた時はいつも傍に居てくれて、どんなに我が儘を言っても仕方無いなって顔をしながら応えてくれて……。

 そうしてくれるのは約束をしたからっていうのは判ってるよ。

 でもこれだけはハッキリと言える。


 ──こーたは、アタシが知ってる男の子でも、一番頼りになる良いヤツなんだってことを。

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