#16 元気が無い時は
「ねぇこーた。ここの問題分かんない」
「ん? これ、公式の応用問題だな。xはこっちに代入して──」
「あ、解った! こういうこと?」
「そうそう」
火曜日の放課後、星夏は俺の部屋でテスト勉強に勤しんでいた。
時折尋ねられる質問に答えれば彼女はしっかりと答えに辿り着いていく。
テスト前に星夏は俺の家で勉強する様になっている。
彼氏が出来たならそっちと勉強すればいいと思うだろうが、これまでの経験上星夏は絶対にそれをしない。
その理由は、やたらと期待の眼差しを向けられて集中出来ないからだとか。
過去に恋人らしく勉強会をしようと言ったまでは良かったが、そのために彼氏の家に行くと決まって勉強にならないと聴いた。
いやまぁ男子からすれば勉強会という名目でも彼女が自室に来たら、ワンチャンでもセックスが出来るのではと期待するのは仕方ないだろう。
だがそれを露骨に出しては、いくら恋人でも引いてしまうのも事実だ。
それに本気で勉強がしたい星夏としては、そんな期待をされても応えられない。
流石に襲われた事は無いが、あからさまに誘われては都度回避に思考を割くハメになり、集中出来ず勉強が出来ないという悪循環に苛まれたのだ。
中には赤点をとっても気にしないとほざくヤツもいたとか。
当然ソイツは『彼女の成績を軽視するとかありえない』と憤慨した星夏にフラれた。
そんな事があって、テスト前は俺の家で勉強をするようになったのだ。
だからというかテスト週間は必然的に彼氏の有無に関係なく、俺が星夏を独占していることになる。
好きな子が隣に座って頼ってくれている……表面上はなんてことの無い様に振る舞っているが、内心では優越感と幸福感で満たされていた。
無論、意中の彼女は俺の心境など露も知らないが。
「そういえば新しい彼氏ってどんなヤツなんだ?」
「ん~? 普通のいい人だよ」
今になって尋ねた内容に、星夏は何の気なしに答えた。
まぁ告白を受けたくらいなんだから、変なヤツであってはこっちが困る。
「でも勉強会はしないんだな」
「誘われたけど断ったよ。何も言わなくてもチラチラ見られてたら気が散るし、そもそも今生理中だしね」
「そっか。あ、そこの途中式間違ってるぞ」
「うぇっ、マジ!? ……うわぁホントだ」
話の途中でミスを指摘すると、慌てて見直して納得する。
俺が今の成績を維持しているのも、こうして星夏に勉強を教えられる様になるためだ。
と言っても中学時代は彼女に救われるまで、ケンカするか勉強するしかやることが無かったからなんだが。
それがこうして好きな子の役に立っているんだから、人生は何があるのか解らない。
……それこそ、俺なんかが眞矢宮みたいな女の子に告白されるなんてことも。
多少整理が着いたとはいえ、まだ頭から離れそうになくて苦笑してしまう。
「こーた!」
「っと……どうした?」
思考に耽っていたら星夏に呼ばれていた。
顔を上げたら間近に迫っていた彼女と目が合い、一瞬驚いてしまったが声を飲み込んで聞き返す。
「数学の範囲は解ったから次は英語を教えてって言ってたんだけど……さっきから呼んでるのにボーッとしてたよ?」
「あ~……悪い」
心配そうに眉を下げる星夏に謝りつつ、英語の教科書を取り出そうとして……。
「ね、こーた」
「……星夏?」
不意に、星夏の左手が俺の右手に被せられた。
突然の柔らかな感触と意図の読めない行動に、戸惑いを隠せず星夏の顔を見る。
空色の瞳は変わらず俺を心配するような眼差しで、思わず魅入ってしまうくらい透き通っていた。
呆然として何も考えられていない頭に、続いた星夏の声はすんなりと入って来る。
「なんか、元気無いよね?」
「……なんだよ、いきなり」
「なんとなく。言いたくないなら訊かないけどさ、こーたが暗い顔してるのはイヤだなぁって思ったの」
「……」
深くは踏み込まなくても思慮に満ちた声音で尋ねられ、心に過った感情が多過ぎて巧く処理出来ない。
ただそれらに共通しているのは、星夏の優しさに感動した点だ。
──あぁちくしょう……俺は一体どこまで彼女を好きになるんだろうか。
全部が知られたわけじゃないのに、こんなに心を震わせられるなんて、惚れた弱味というのはとても厄介だ。
それに負けて甘えるのも良いが、眞矢宮の告白の件に星夏を巻き込みたくない。
けれどもこの優しさを撥ね除けられる程、強くもなくて……。
「……ちょっと疲れただけだ」
「そっか。それじゃ、元気になれるようにアタシのおっぱいでも揉む?」
「なんだそれ。なんの意味があるんだよ?」
精一杯の強がりは流して返された。
さらに空いている手で胸を持ち上げながら出された、思いもよらない回復案の意味が分からず素で反応してしまった。
ここでなんでおっぱい?
「え~知らないの~? おっぱいは母性の象徴、即ち疲れを癒やす効果があるんだよ?」
「初耳だわそんなん」
からかうような素振りで屁理屈を語る星夏に、真顔でそう返す。
その理屈で言ったら、巨乳好きの男はマザコンってことになるぞ。
「まぁまぁ。勉強を教えてくれてるお礼だと思って、四の五の言わず揉んでみなよ?」
「これそのまま本番が始まる流れじゃないよな……まぁ揉むけど」
頭に過った一抹の不安を呟きつつ、星夏の提案を呑んだ。
セフレと言えど彼氏がいる間はセックスを控えているが、そもそもとして好きな子の胸を揉みたくない男はいないと思う。
向こうから許可が出たならなおさらだ。
俺の返事に星夏は『揉むんかい!』とお笑い芸人みたいなツッコミをしながらも、身体を傍に寄せて来た。
いつもながら同じシャンプーと石鹸を使ってるのに、性別が違うだけで別物の様に良い匂いがする。
それが俗に言うフェロモンなのかと考えつつ『触るぞ』と前置きしてから、ゆっくりと左手を星夏の胸に伸ばす。
「ん……」
制服越しでも手の平に伝わる独特の柔らかさを感じたと同時に、星夏が小さく色の乗った息を漏らす。
構わず指でムニムニと形を変えたり、全体を捏ね繰り回したりする。
これが本番だったら色々趣向を凝らすのだが、今回はただ揉むだけに留めておく。
はっきり言ってこれだけで疲れが取れるとは思えない。
むしろ欲情してしまって余計に疲れそうだ。
沸き上がる情欲をどう紛らわそうかと考えだした時だった。
「っは……、こーた……」
「なんだよ」
「こーたはさ、
今もまだ死にたいって思ってる?」
「……」
投げ掛けられた問いによって、燻っていた劣情が霧散する。
それはかつて俺が星夏の前で吐露した、確かに懐いていた感情だった。
今こうして生きているのもあの時彼女に救ってもらったおかげであり、想いを寄せる切っ掛けにもなった約束に繋がっている。
きっと俺の元気が無い事に関係あると思ったんだろう。
忘れていないんだと知って堪らず口元が緩む。
「──少なくとも、自分から命を捨てようなんて思ってねぇよ」
「……うん、そっか。じゃあ良かった」
俺の返答に頷いて、星夏は身体を離した。
左手を支配していた柔らかな感触が無くなり、少し名残惜しく思うのの助かったと安堵もする。
一回霧散したとはいえ、あのまま揉んでたら間違いなく発情してた。
そうなったらなったで星夏は処理してくれるだろうが、彼女は生理中で彼氏がいる現状でしてもらうのはやはり気が引ける。
「……ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
「お前なぁ……声は抑えておけよ?」
「解ってるって~。てかそこはスルーしといてよ」
だというのに、提案した本人は限界に近かったようだ。
恥じらいも何もあったもんじゃないが、せめてもの忠告だけはしておいた。
そしたら睨まれてしまったが。
確かにデリカシーに欠けていたが、抑えてくれないとせっかく落ち着いたのにぶり返してしまう。
勉強会はまだ続くのだから、発情して台無しになるのは避けたい。
ある意味、星夏が彼氏と勉強会をしたがらない理由を実感したのだった。
確かにこれは勉強に集中出来ないな……。
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