#6 康太郎と海涼の日課

 掃除を終えてからも気まずい空気が続いていたが、程なくして増えた客足の対処に追われている内に気にならなくなり、気付けばバイトの終了時間である午後八時半を過ぎていた。

 

 十時から業務内容がバーのモノに移行するため、未成年の俺と眞矢宮まやみやはこの時間で上がることになっている。


「お先失礼します」

「お先に失礼致します、店長」

「おぅ。気を付けて帰れよ~」


 着替えてからこれからバーの仕事をする真犂ますきさんに挨拶をして店を出る。

 すっかり夜も更けているが、外灯や近隣の建物の窓から出ている光によって然程暗さを感じない。

 

「それでは、今日もお願いしますね」

「おう」


 外に出るなり少しだけ機嫌が良い様に見える眞矢宮の言葉に頷き、彼女の隣を歩いて行く。

 清楚な美少女と目付きの悪い元不良……美女と野獣とも言える俺達が並んで歩くのは一か月経った今でも奇妙なもんだと思う。

 ふと隣の眞矢宮へ視線を向ける。


 違う学校に通っている彼女の制服はセーラー服で、スカートの丈も膝に掛かるくらいだ。

 カバンを両手で持って背筋をピンと伸ばして歩く姿は、本人の礼儀正しさがよく表れていてまるで違和感がない。


「? 荷科君、どうしましたか?」


 やがて俺の視線に気付いた眞矢宮が、キョトンと不思議そうに目を丸めて様子を窺って来た。

 なんてことない仕草ではあるが、綺麗な顔立ちの彼女がそれをすると中々に破壊力がある。

 

「いや、あれから一か月になるなって思っただけだ」


 それでも星夏相手に身に着いた癖で、顔には出さず笑みを浮かべて返す。

 大して眞矢宮は少しだけ顔を俯かせて、申し訳ないという表情を見せる。 


「すみません。私の事情に無関係の荷科君を巻き込んでしまって……」

「俺が勝手に首を突っ込んだだけだから気にすんな。眞矢宮の親からお願いされてるし、真犂さんからは特別手当も出してもらえるんだから、むしろありがたいくらいだよ」

「ふふっ。そんな風にわざわざ悪ぶらなくても、荷科君が優しい人だって知っていますから……だからこそ、疲れているのに付き合わせてしまって申し訳ないと言いますか」


 少しだけ回復したかと思ったが、またシュンと落ち込んでしまった。


「それ以上は堂々巡りだからやめとけ。今は安全に帰れる様に願っておけばいいさ」

「願う必要なんてありませんよ。……荷科君の隣は安心出来ますから」


 そう告げた眞矢宮が不意に距離を詰めて来る。

 細くとも柔らかい彼女の身体が近付いた事に一瞬だけ驚いた。

 あまりの無防備さにと一人納得しつつも、少しだけ距離を取って平然を装って返す。


「頼りにされて何よりだよ」

「……むぅ」


 礼を言ったのに、眞矢宮はどこか不満気に頬を膨らませていた。

 どうやら期待していた返答とは違ったらしいが、これ以上は藪蛇だと判断だろうし話題を変えよう。


「家の方はどうだ?」

「以前の様なは来てませんね。も窓とカーテンを新調しましたし、監視カメラも設置してますから大丈夫かと」

「なら良かったよ」


 帰り道はともかく家だと流石に俺も守りようがないから、眞矢宮の両親がしっかりと対策を打ってくれたことに胸を撫で下ろす。


 今の様に俺はバイト終わりの眞矢宮を家まで送り届ける役を担っている。

 その理由は……彼女がストーカー被害に遭ったため、再度襲われないための護衛である。


 一か月前の夜、店に忘れ物をして取りに戻る途中で偶然にもストーカーに襲われそうになっていた眞矢宮を間一髪のところで助けたのだ。

 助かったことで緊張の糸が切れ、泣きだしてしまった彼女を何とか真犂さんの店に連れて行き、落ち着いてから事情を聴くことにした。


 そうして明かされた被害は酷く悍ましいモノだったのはハッキリと覚えている。

 一方的な好意が綴られた恋文と呼ぶには烏滸がましい怪文書が自室の窓に差し込まれたり、着替えや入浴が写った明らかに盗撮と分かる写真。

 特に襲われる数日前には背後に気配も感じていたという。


 あまりにも醜悪で粘着質なストーカー行為は事件前の二ヶ月にも及び、眞矢宮は両親に相談することも出来ずに怯えるしかなかった。

 徐々にエスカレートしていった結果、レイプ未遂に遭ったのだからその恐怖は計り知れない。

 俺が間に合ってなかったら、最悪彼女は自殺していた可能性もあっただろう。


 本当に助けられて良かったと思う。

 

 しかし、当のストーカーは逃走してしまい、警察も未だに逮捕出来ていない。

 そこで同じバイト先で実際に助けた実績を持つ俺に白羽の矢が立った。

 眞矢宮の両親には感謝と共に護衛をお願いされ、真犂さんが特別手当を出すと言うし、トドメと言わんばかりに眞矢宮本人にもお願いされて断れるはずもなく、了承したのだ。


 それからこうして一緒に帰っているが、一か月も音沙汰無いのが現状である。

 

 思えばあの時に気絶するまで殴るべきだった。 

 逃げ足だけは早かったんだよなぁ。

 けれどもレイプされかけた眞矢宮を放って追うわけにもいかなかったし、あの場は俺一人ではどうしようもなかった。


「早く警察が捕まえてくれたらいいんだかな」

「そう、ですね……」

 

 事件の事を思い出してか、眞矢宮の表情は浮かない様子だ。

 如何に対策をしても、一度襲われ掛けた経験をしたら怖くないわけないよな。

 それは男の……ましてや被害に遭った事が無い俺が共感出来るものじゃない。


 だからと言って何もしないわけにいかず……。


「──大丈夫だ。もしまた来たら今度こそぶっ飛ばしてやるよ」

「あ……」


 安心させるために眞矢宮の頭を撫でた。

 自分が撫でられている事に気付いた彼女は、桃色の目を丸くして俺を見つめる。


 って、しまった。


「っと、悪い。つい癖で撫でちまった……」


 彼氏と別れて愚痴を言う星夏を慰める時によく撫でてたから、うっかり同じ様にやってしまった。

 アイツとのスキンシップはボディタッチが多いから、どうにも距離感がバグってしまう。

 

 意図したことではないと眞矢宮に謝りながら手を離したのだが……。


「……ぁ」


 さっきは何が起きたのか分かっていない様子だったのに、今は明確に寂しそうな面持ちを浮かべている。

 だが彼女はハッとしてからそのまま黙って歩き続けるだけで、特に何も言って来なかった。

 突然撫でたりしたから、怒らせてしまったのだろうか?


 それでも護衛の件があるから、俺の隣から離れることはない。

 しばし無言が続いたが、やがて眞矢宮の家に着いた。

 

「それじゃ眞矢宮。また次のバイトでな」

「は、はい……」


 家の前で彼女に別れの挨拶をする。

 しかし眞矢宮はぎこちない様子で、やはり男に頭を撫でられたのは不快だったか……。


 あまり傍にいては悪いと思って、立ち去ろうとしたのだが……。


「……眞矢宮?」


 背を向けたと同時に、鞄のヒモを握られて止められた。

 どうしたのかと振り向くと、顔を合わせた眞矢宮は顔を赤くしながらも口を震わせながらゆっくりと開いて……。


「あ、あの! 実は次の休日に買い物に行きたいんですがその日は両親が仕事で、友達も用事があって同行出来ないんです。ストーカーの件がありますから一人で外出するのは不安で……そこで、父から荷科君に付き添いをお願い出来ないかと提案されまして……もし、荷科君の都合が良ければ頼んでも良いでしょうか?」

「お、おう……?」


 捲し立てる様に告げられた外出の護衛に、どう返そうか頭を働かせる。

 眞矢宮の言い分は尤もだし、出来るなら頷きたいところだが……それが出来ないのは星夏の事が気に掛かるからだ。


 合鍵は渡してるし、俺がいない時に部屋に入って飯を作って行った事もあるから、個人的な心配性を除けば然程問題は無い。

 ……まぁ、予定を伝えておけば後はアイツの好きにするだろう。

 

 俺はあくまでも星夏のセフレであって、恋人ではない。

 四六時中居たいと思うのは俺個人の我が儘であって、アイツも休日は好きに過ごしている。


 断る理由が無くなったと一人納得し、改めて眞矢宮へ答えを返す。


「──良いよ。護衛と荷物持ちとして存分に使ってくれ」

「ホントですか!? ありがとうございます!」


 俺の返答に、彼女は夜でもハッキリと判る程の嬉しそうな笑みを浮かべる。

 不安な休日を過ごさずに済みそうで、安心したんだろうなぁ。


「話はそれで終わりか?」

「あ、はい! お時間を取らせてしまってすみません! ではおやすみなさい!」

「あぁ……おやすみ」


 俺の返事を待つ事無く、眞矢宮は逃げる様に門を潜って中に入って行った。

 一人残された俺は呆けるしか無く、本人があぁまで言っているのだから怒っていないのだろうと、ひとまず嫌われた訳でない事に安堵する。


 気を取り直して、俺は星夏が待つ自宅へと歩みを進めるのだった……。

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