#5 バイト先の同僚と店長
放課後、バイト先に着いた俺は更衣室で仕事用の制服に着替える。
職場はシックな内装が特徴の喫茶店で、客入りは良くもなく悪くないぐらいだ。
男性用の制服は白のシャツと黒のスラックスという極シンプルなモノで、店長曰く俺の高身長と相まって似合っているらしい。
着替えを終えたらバックヤードを通って店内に出る。
するとカウンターにいる一人の女性が俺の方へ顔を向けた。
「よっ
「はい、よろしくお願いします。
赤みがかった茶髪を頭頂部に束ね、キリっとした鋭い眼差しに相応しい男勝りな口調で俺に挨拶をする。彼女こそここ──喫茶&バー『ハーフムーン』の店長、
中学時代の素行が原因で中々バイト先が決まらなかった俺を採用してくれた恩人で、良い意味で人の事情に踏み込まない度量の大きさに、個人的に尊敬の念を懐いている。
「あんま畏まるなってむず痒い。客はいないからテキトーに掃除でもしてくれ」
「分かりました。真犂さんは?」
「新作のカクテルでも作ってるよ」
ハーフムーンは真犂さんが趣味で経営していて昼は喫茶店、夜の十時過ぎにバーという二面性がある。
俺は高校生だから喫茶店の方でしか働いていないが、成人したらバーの方も働いてみたい所存だ。
本業は何をしているのか尋ねてもはぐらかされるので、意外に謎が多い人でもある。
「昨日お客さんが真犂さんの作るカクテルは美味しいって言ってましたよ」
「飲みたいなら成人してからにしろ」
「初めての飲酒が真犂さんのカクテルなら、一生誇れそうな気がしますね」
「っは、言っとけ」
口では突き放す様に言うが、良く見ると頬が緩んでいる。
謎が一つ解明……褒めたら喜ぶ、と。
心の中でそんなことをメモしながら、バックヤードのロッカーに収納されている箒とちりとりを取り出す。
真犂さんが新作のアイデアをノートへ綴るためにペンを走らせる音をBGMに、店の床にある埃を一箇所に纏めていく。
「そういや康太郎。あれから一か月になるが問題無いか?」
「視線すら感じないですね。でもそうやって油断した頃にってパターンもあるでしょうから、まだ続けた方が良いと思います」
掃除を始めて半時間が過ぎた頃、真犂さんが唐突に質問をして来た。
その問いに対し、俺は振り向かずに答える。
「そっちの進展が聞きたいわけじゃねぇんだがなぁ……」
「何か言いました?」
しかし、俺の返答に真犂さんは何やら不満そうに零した。
小さくてハッキリと聞き取れなかったので顔を向けて聞き返すが、彼女は腹の底を見せない渇いた笑みを張り付けて肩を竦める。
「んや。親公認で美少女の護衛なんて役得だなってだけだ」
「そんな疚しい気持ちで引き受けたわけじゃないんですけど?」
「だからこそお前なんだろうなぁ~」
「……?」
真犂さんの言葉の意味が解らず、頭には疑問ばかりが浮かんでくる。
どういうことなのか尋ねようとした時……。
「こここ、こんにちはぁ!!」
「!?」
バックヤードに続くドアが勢いよく開かれ、突如響いたその大きな音に驚いてしまう。
反射的に振り向くと、そこにはさっきの話題に関係のある女の子が立っていた。
白のリボンが着けられた艶やかな長い黒髪、桃色の瞳は真犂さんを睨んでいるためか細められている。
普段は柔らかで優し気な印象を持たせるのだが、そこから想像も付かない鋭さだ。
顔立ちは非常に整っている……星夏が可愛い系だとしたら、彼女は清楚系と言って良いだろう。
ともあれ出勤して来た同僚に挨拶は必要だと思い、口を開く。
「よう
「! あ、はい! よろしくお願い致します
こちらの挨拶に対し、眞矢宮は明るい笑みを浮かべながら会釈する。
彼女の名前は
俺とは違う学校──もっと言えば女子校──に通う同い年の女の子で、半年前にここでバイトを始めた同僚兼後輩だ。
礼儀正しく気配りの出来る優しい性格と清楚な見た目から、真犂さん曰く彼女がバイトに来てから売り上げが上がっているとのこと。
実際の仕事振りも筋が良く、先輩として指導したこともすぐに飲み込んでくれた。
まぁ最初は俺の愛想の無さに怖がっていたんだがな。
でもそれは一か月前までの話で、今では友人と言っても差し支えない程に仲が良いと思っている。
そう考えていると、眞矢宮がジッと見ていることに気付いた。
目が合うと彼女は首を少しだけ傾げながら口を開く。
「……荷科君、何か良い事でもあったんですか?」
「え、どうした急に?」
「いえ、何だか機嫌が良さそうだと思いまして……」
「まぁ……あったと言えばあるな」
十中八九、昼休みに星夏と過ごしてキスをしたことだ。
顔に出るくらいキス一つで浮かれてたんだな……俺。
内心でバカな自分に呆れるしかない。
とはいえ俺達の複雑な関係を説明するわけにもいかないので、ここははぐらかすしかないだろう。
「わざわざ言う程のことじゃないけどな」
「そうですか。ちょっとだけ気になりますけど、良い事があって良かったですね」
「ははっ、サンキュ」
向こうは意識してないだろうが、俺にとっては複雑ながらも確かに良い事だ。
素直な眞矢宮の言葉にそう礼を返しておく。
「お~マジか。あたしは全然分からなかったのに、海涼ちゃんは分かったのか~凄いなぁ~?」
「もう店長! からかわないで下さい!」
すると真犂さんがニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
何故かわざとらしい言い草に、眞矢宮が顔を赤くして反論する。
……何の話だろうか?
目の前で二人にだけしか分からない会話をされて、どうすればいいのか判断に迷っていると……。
「うぉっほん! 時に康太郎よ」
「……なんですか?」
「君は女子の胸はどのくらいの大きさが好みかね?」
「「え?」」
これまたわざとらしい咳払いから続けられた質問に、俺と眞矢宮は呆けた声を漏らしてしまう。
いやいや真犂さん……いくら客が来なくて暇だからって、俺で遊ぶのは止めてくれよ……。
真っ先に浮かんだのはそんな呆れだった。
「なななな、なんてハレンチなことを聞いてるんですか店長!?」
「前から思ってたんだが、康太郎は女っ気が無い癖に女子に慣れてるよなぁ~? 普通、海涼みたいな子と同じ職場なら浮かれるもんだろうに」
「それは……」
顔から火が出そうな勢いで眞矢宮が質問の意図を尋ねる。
女子校に通っている彼女の前でこの手の話題は困惑して当然だろう。
しかし、真犂さんが口にした理由には少し驚きを隠せなかった。
確かに眞矢宮は滅多に見ない美少女だと思うし、そんな彼女と同じ職場なら智則だと狂喜乱舞しそうだ。
なのに俺が浮かれていないのは、どう考えても星夏への恋愛感情があるからだろう。
この気持ちを自覚してから、冷めるどころかより熱を増す一方だ。
それこそ眞矢宮に目移りしない程で、つまりは星夏以外の女に興味が無いと言える。
女子に慣れているのに違いはないだろうが、一番の理由はそこだと思えた。
とにかく、どっちも良いと答えようとした瞬間……。
「言っておくが『どっちもどっちの良さがある』とかはぐらかしたら減給だからな」
「サラッと職権乱用しないで下さいよ……」
なんでこんなことで給料を減らされないといけないんだ。
セクハラとパワハラで殴って来るとか酷過ぎる。
後、眞矢宮さん?
なんで耳に手を翳して正確に聞き取ろうとしてるんですか?
俺の答えなんて聞いたところで何の得もないだろ。
星夏以外の女の考えることは良く分からねぇな……。
まぁ、星夏の胸なら大きかろうが小さかろうが気にしない。
俺が彼女を好きになったことに、胸は一切関係ないからだ。
あぁそうか、そう考えると……。
「好きになった相手の大きさを好きになる感じですかね。胸の大小で人を好きになる程薄情者のつもりはないんで」
「「……ほぉ~」」
つい真面目に答えてしまったが、二人は感心したように呟いた。
あ~……やっちまった。
あまりに居た堪れなくなった俺は、二人の反応が帰って来るより先にそそくさと掃除を再開するのだった。
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※おまけ※
康太郎があまりにも星夏しか見ないので補足ですが、眞矢宮の胸は慎ましい方です。
もちろん当人は気にしています。
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