第6話
電気を消し、数分で二人は深い深い眠りの中へ。コウジは良子の夢を見た。それはセーラー服姿の良子だった。いや、良子にしては髪が長い。長い黒髪から覗く顔は、確かに良子なのに。良子の制服は血にまみれている。左手にはナイフを。そういえば良子の利き手も左手だ。
不気味な夢を見て、3時21分に目が覚める。水を飲もうとコウジは布団を抜け出した。台所で、冷蔵庫の中の作り足しの麦茶を、コップに注ぎ飲み干してから、ついでに小便も済ませて寝室へと戻ろうとした。その間、良子の部屋の方からかさかさと音が聞こえた。コウジは不思議に思いながら、廊下から部屋の隙間から良子の様子を伺った。
箪笥の傍の地べたに座っている良子がいて、何かを熱心に眺めている。床には書類のようなものが落ちている。良子が眺めているのは写真のようだった。過去が恋しくなったのだろうか。コウジは扉を開けて言った。
「良子、何をしてるんだ。もう寝ないと」
すると良子はびくりと肩を揺らし、手に持っていたものを落とした。それは、妹陽子の写真だった。何故妹の写真を?コウジは疑問を持った。視線を床の上に散らばった書類に投げると、それは手術の書類のようだった。良子は慌てて書類を自分の方へかき集めた。それから冷静に言った。
「何でもないのよ。昔が懐かしくなったから」
「……お前は一体誰なんだ」
良子は何も答えずに微笑んだ。コウジはもう一つ異変に気づく。書類と一緒に落ちていた、お菓子の空き缶の存在に。メルヘンタッチの鹿が描かれている缶の蓋は開き、中から白い蝶の羽が見えた。
「それは、何だ」
コウジが言うと、良子はゆっくりと歯を見せて笑った。黒い長い髪は顔に垂れ下がっていて、15歳の陽子の姿と被った。
「ああこれ?死んだのに誰も悲しまないし、独りぼっちで可哀想だったから持って帰ったの」
誰だか分からぬ女は、その場でずっと微笑んでいる。女は缶から飛び出ている死んだ蝶のようなものを掌で掬い、慈しみをこめて頬へ寄せた。
「良子が、私に提案したのよ。口元の黒子を取ったらどうかって。そうすれば、あんな残酷な過去を忘れて新しく前に進めるんじゃないかって。良子は私よりも優しくて、明るくて愛されて……双子なのにいつも比べられていた。私はあの子に、良子になりたかった」
「お前は、陽子なんだな。ずっと今まで良子として生きてきたのか」
女はくすりと肩を揺らし、それから缶を両手で頭上に持ち上げた。雪のように数多の虫達の死骸が女の髪に降り注がれた。
「可哀想な良子……、最期は楽にしてあげられなかった。でも、大丈夫。私は良子と一緒に生きている。良子は私と一つになっただけ。良子の未来も、私が生き続けるの」
コウジは息を飲んで後退りをした。その時、女の左手にナイフの刃先が光るのが見えた。
「あなたの事は、優しくしてあげるからね」
目の前が眩んだ。コウジはさっき飲んだやけに苦かった麦茶の味を思い出していた。それから意識を失うと、女の歪んだ笑顔が最後に――。
その夜、一匹の蝶が夜の帳へと飛んでいった。まるで底知れぬ、未知なる未来へ飛び立つかのように。二人の夫妻は一体これからどんな旅をするのだろう。これを読んでいるあなたも、過去を旅する際にはどうかお気をつけて。
旅する過去〜virtual past〜 白宮安海 @tdfmt01
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます