学級異員長のお仕事

ZE☆

『異員長、誕生①』

 志辺こころべこころの凛と伸ばした右腕は、その瞬間に限って他の無意識ですらも掌握せしめた。


「ほ、他にいないようなら志辺……君に頼むことにするよ」


 呆気に取られていた担任が意識を取り戻すと同時にかけていた眼鏡の位置を直す所作を見せる。直接レンズに指先が触れているのは、彼の心内の動揺を如実に表していると言える。教室内の誰もが無言の是を唱えているのを確認すると、担任の教師は黒板に書かれた『学級委員長』の文字の下に『志辺心』の文字を記した。

 この瞬間、無鬼道むきどう高校二年B組の学級委員長志辺心が誕生した。



 後指うしろゆび向男むくおは教室最後方の窓際の席に座り、いつもの様にスマホゲームを嗜んでいた。画面を滑るようにして動かされる指使いはもはや芸術の域にまで達して見え得る。


「後指くん、少し良いかしら?」


 突然スマホの画面が陰ったかと思えば、今度は聞き覚えのある凛とした女声が自分を呼んだ。女子生徒に声を掛けられる経験など滅多にない向男は動揺してスマホを落としそうになるが、寸でのところで難を逃れた。


「な、なんだよ……びっくりしたじゃないか」

「驚く、という事は自覚している、と捉えて問題はないかしらね」


 高圧的な物言いを向けてくるのは、この間のホームルームで学級委員長となった志辺心だった。こちらを見下ろすようにして腕組みをしている。その態度と同様に制服の上からでも分かるくらいに大きな胸が、組んだ腕の上に乗っている。


「な、何のことだよ」


 「今が」志辺心は勿体ぶったようにそこで言葉を切ると、組んでいた腕を解き、長い黒髪ロングを手で靡かせた後、言い放つ。「授業中だって事よ」

 向男の手からスマホがこぼれ落ち、机にぶつかって不穏な音を響かせる。が、向男の憂いはスマホの無事ではなく、目の前で仁王立つ志辺心、そしてその向こうに見える鬼の形相でこちらを見る教師の方にあった。



 夕暮れの公園のベンチに座り、ヒビの入ったスマホの画面を恨めしそうに眺める向男。片手に持った大手ファストフード店のハンバーガーに半ば八つ当たりのようにして乱暴に噛みつくと、左の親指に鋭い痛みが走る。


「痛ってぇ……くそ、どうして俺がこんな目に」


 落ちる所まで落ち込んだ人間の悲惨さとは、言うも安くはない。全ての事象が悪い方へと傾き、この世全てが自分に反しているかの如く錯覚してしまう。今の向男もその境地に在る。

 目に涙を浮かべ始めようかとした時、頭蓋骨の内側に反響するようにして男声とも女声とも取れない声が聞こえだす。


 ――抗え。


 その言葉は、凡そ呪詛である。甘美とはいかぬも聞き心地が良く、全身に染み入るようにしてまとわりつく。湿り気とも艶やかしさとも取れる水気が芯にまで入り込んでくる。気を張らなくては容易に委ねてしまいそうになる程に、魅力的で官能的な誘い。


 ――許すな。


 いつしか親指の痛みも忘れ、この言葉に聞き入ってしまっている自分を自覚する。頻りに反芻する向男の目は、暗がりを据えたまま魅入ることを拒もうとはしない。この世の暗部であったとしても、自身を肯定し受け入れてくれるのであれば構わない。


 ――不条理を、理不尽を、壊せ。

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