フューリオーネ

吉平たまお

僕はいつか君を殺すんだ

 フューリオーネの日誌の最後は『ごめん』で途切れていた。

 僕は無理を言って教官からその日誌を遺品として受け取った。

 フューリオーネは僕のバディだった。トーカスの森学院に入学してから朝から晩までを過ごした相棒。

 僕らはずっと一緒だった。

 あの日までは。







「アーティカ。こいつ何だと思う?」

「……樹木ドラグネの幼生っぽいけど、図鑑とは色が違う。

 フューリオーネ、いったい何処から拾ってきたんだ?」


 僕とフューリオーネはトーカスの森の麓にある学院の第五学年だった。

 十二歳で入学し十八歳で卒業する僕らは、森人になるために此処に来る。

 森人は森の恵みを採取することを許された唯一の存在で、近隣の村に住む子どもはみんな森人に憧れる。

 森人になれば少なくとも飢えることはない。死と隣合わせの環境なのは何処だって同じだ。

 その日、フューリオーネが僕らの部屋に持ち込んだソレは、僕らが出会ってはいけないものだった。


「鑑定室に行く途中の廊下に落ちてたんだよ。

 アーティカにもわからないもんがあるんだな」

「僕が知ってるのは図鑑に載ってるものぐらいだから。

 教官には報告したのか?」

「うんにゃ。取り上げられちまうじゃん。育てようぜ、アーティカ」

「……危険だったらどうすんだよ」


 フューリオーネはケラケラと「平気だって」と笑った。

 いつもそうだった。楽観的なフューリオーネ。僕は止めても無駄だなと、溜息を吐いてソレを見た。

 樹木ドラグネは、樹木を住処にする腕が六本生えた小さな蜥蜴だ。茶色と緑色の斑の柄をしている筈だが、ソレは紺の単色だった。

 僕が反対しないとわかるとフューリオーネは「名前を付けてやんなきゃな」とソレの頭部を撫でた。

 僕はじっとソレを見つめた。ぱちりと開いた黒曜石のような瞳が僕を見返した。触ろうとは思わなかった。


「そうだ。ヴィランドにしよう」

「英雄のドラグーンから名前を借りるのか?」

「いいだろ別に。色も似てるし」

「まあ、いいけど……」


 ソレの名前はヴィランドになった。

 フューリオーネの手のひらの中で眠るヴィランドの心臓がぼんやりと光る。

 森に住む生き物は心臓に魔石を宿すから、きっとその輝きなのだろう。

 生きている魔石をこんなに間近で見るのは初めてだった。

 死んだ魔石は、石拾いをする森人がたまに見せてくれるけれど。


「綺麗だね」

「……もーちょい大きくなったら、使い魔に出来るかもしれねえな」

「樹木ドラグネを使い魔にしても、役に立つかな」

「今から仕込めばいけるいける!」


 青灰色の目をきらきらと輝かせるフューリオーネにつられるように僕は笑みを浮かべた。

 僕はフューリオーネの先天的な明るさを愛していた。

 明朗のフューリオーネと沈着のアーティカと、同輩からはそう呼ばれる僕らは良いバディだった。

 お互いがお互いの命綱として、うまく機能していた。

 学院では入学時にバディが定められ、生活でも勉強でも共に在ることを求められる。一蓮托生だ。

 森人は一人ではなれないと卒業生は口を揃えて言う。

 

「仕込みにはやっぱ餌だよなー。何食うんだろ」

「ん……なんだっけ」


 図鑑には載っていなかったけれど、聞いたことはある気がした。

 けれど樹木ドラグネが何を食べるのか、思い出そうとしたけれど思い出せなかった。

 この時、やっぱり教官に報告するべきだったのだ。

 僕らにはまだ森に入る資格はなく、森の生き物と触れ合うことも許されてはいなかったのだから。

 その日の晩、フューリオーネはヴィランドと共に姿を消した。







 片割れを失った僕は、教官とバディを組むことになった。

 森に入ることが許されるのは最終学年のみ。その殆どが森でバディを失うが、最終学年前にバディが解消されることは珍しい。

 新たなバディを組むことは難しいから、仮の相手として教官が目をかけてくれることになった。

 きっと、僕の座学の成績が良いから。

 実技はフューリオーネが抜きん出ていたけれど。


「アーティカ・ウォグレン。お前は座学しか出来ない間抜けか」

「はい、いいえ。ドレイシェーン教官。気配を消すことは得意です」

「そうか。お前はしばらく鬼役をやれ。体力をつけろ」

「はい。ドレイシェーン教官」


 教官はとんでもないスパルタだった。

 フューリオーネと組んでいた時は、彼が鬼役で僕が隠役で定着していた。

 カクレンボと呼ばれる実技は、学院内の擬似的な森で行われる。

 鬼役は隠役を探し、隠役は鬼役から隠れる。

 どちらも生き延びることを最優先とした生存訓練だ。

 だから、基本的には適性のある方の役になるのだけれど――僕は鬼役に指定されてしまった。


「災難だな、アーティカ」

「……鬼役、初めてだよ」

「ああうん。マ、がんばれよご同輩」

「ありがとうご同輩」


 同輩からの励ましに、僕は項垂れつつ、念入りに準備運動を行った。

 見つけなければならない隠役は籤で決まる。僕が引いた相手は、峻険のディベラートと呼ばれる同輩だった。

 教官が相手じゃなかったのにホッとするが、初めての鬼役で彼を見つけられるかは自信がない。けれど、下手な成績だったら教官の評価に泥を塗ってしまうだろう。ああフューリオーネ、君がいなくなって僕は非常に困っているよ。君はきっと森にいるのだろうけれど。……僕は、フューリオーネが死んだとは思えなかった。だって、さよならとは言われていない。ヴィランドと森にいるのだろうと、そう信じていた。

 ぼんやりとしていたら、いつのまにかカクレンボは始まっていて、僕は出遅れてしまった。

 森は広い。駆け出す同輩に追いつこうとは思えないし体力の配分もしなくてはならないので、通常のペースで歩く。

 第五学年にもなれば、この森にも少しは慣れる。本物の森はもっと恐ろしいと聞くけれど、行けるようになるのは最終学年だから、まだそれは気にしなくても良い。

 木の根や泥濘に足を取られないように気を付けつつ、手早くマッピングをしながら視界を広く保つ。

 敵性生物に見つからないように気配を殺し耐え忍ぶ隠役とは違い、俊敏性と体力がまず求められるのが鬼役だけれど、僕はまず落ち着けるところで考えることにした。アーティカには体力がなくても知力があると言ってくれたのはフューリオーネだ。体力をカバー出来るかはわからないけれど、目的も無しにただ探し回れるかといったら僕には出来ない。


「……ふう」


 ちょうど良さそうな窪みに身を潜め、息を吐く。

 僕だったら何処に隠れるだろう。

 出発地点から出来るだけ離れたところなのはもちろん、可能性が高いのは敵性生物の住処だろうか。

 僕もよく使った手口だ。ただ、隠役は峻険のディベラート。厳しい環境に身を潜めている可能性もある。

 ……危険を承知で水場を目指すか、森の中心部を目指すか。

 水場には生物が多く、森の中心であればあるほど危険が増す。

 今の時期は麻痺毒を持つ透明な森海月の繁殖時期だから、無防備に生息地域の水場に行くのは自殺行為だ。信号弾を打ち上げたらすぐに教官が助けてくれるとしても、一ヶ月は寝たきりになるだろう。であるならば、中心部か。この森はトーカスの森を模している。森の中心部には湖があり、それを囲むように岩場が点在している。


「岩場に向かうか……」


 待ってろよ、ディベラート。

 これでもずっと僕は隠役だったんだ。

 そのノウハウは鬼役としても有効に活用出来る筈だと、僕は深呼吸をして自分を鼓舞する。

 装備を再度点検し、森の中心部に向かう。

 気配を押し殺し、呼吸を最低限に、出来るだけ素早く。

 毎年第二学年は慣れと、迷彩服だからと油断して大怪我を負う者がいるが、第五学年ともなるとそんな馬鹿はいない。

 森は生き物であり、森に入るならば森の法に自分をあわせなければならない。

 昔、軍隊を森に差し向けた国があった。結果は全滅。森は人のために在るのではないと悟った王は、それでも森を諦められなかった。

 そうして生まれたのが『森人』である。森で生きる者は、自身を森の一部であると定義した。

 人には過酷な環境だが、そのぶん実入りは大きい。

 森人はこの国にとっての生命線だから引退しても生活が保障されるのも、目指す理由の一つだ。

 明日には亡骸となって森の養分になっているとしても森で生きるなら仕方がないと、笑う森人は多いが。


「そろそろかな……」


 喉を焼くような渇いた空気を感じ、口布とゴーグルを装備する。

 岩場は、森の中でも特殊な環境だ。岩と砂と熱風の世界。

 その環境に適応した敵性生物は弱くはないが、癖が強い。性質が悪いと言うべきか。

 僕は気を引き締めて熱砂に足を踏み入れた。



 神経を研ぎ澄ませながら岩場の陰を伝う。

 砂鯨が地表付近を潜航する時期じゃなくて良かった。

 地形が簡単に変わってしまうから。

 一度、第三学年時に見たことがある。アレはあまりに巨大で、力強く――人にとっては天災だ。

 逃げることすら難しい。

 うなじから噴き出す汗で内着が濡れて肌にへばりつく。

 ディベラートも隠役だから下手な痕跡を残すようなヘマはしていないが、運は僕に味方したようだ。

 残念だったね。

 僕は薄く笑みを浮かべて「みぃつけた」と背後から声をかけた。


「アーティカ……!」

「やあ、ディベラート。君を探すのは骨が折れたよ」

「……お前、よくこんなとこまで来たな」

「君がそれを言うの? 峻険らしい隠れ場所だよマッタク」


 ハア、と息を吐いて、腰に下げたボトルをあおる。ぬるい水が体に染み渡った。

 ディベラートは信じられないという顔をして僕を見た。どうせ、来ないと思ってたんだろ。

 僕だって自分の鬼役が新人だったら舐めてかかるまではいかないけど、油断しかねない。


「なんで此処だと思った? 虱潰しに来たんじゃないんだろ」

「まあね」

「あーあ……お前だったらタイムアウト狙えると思ったんだけどな」

「フューリオーネは体力特攻タイプだったから、僕は知力特攻にならざるを得なかったんだよ」

「お前、森人じゃなくて学者の方が向いてるんじゃないか?」

「研究者になれるほどの頭は無いんだ、残念ながら」


 それに、研究者は森に入れない。

 この間までならそれも良いと心揺らいだかもしれないけれど、僕はもう決めたのだ。

 フューリオーネと再会するため、僕は森人になる。

 ――僕を置いて行ったんだ。一発殴るくらいの意趣返しは許されるだろう。

 ディベラートは「どうだか」と言って目を細めて笑った。


「まだ時間はあるがどうする?」

「採集するなら付き合うよ。とりあえず岩場から離れたいけど」

「砂丘林檎が欲しいんだが」

「お断り。彼処は毒持ちが多いからリスクが高い」

「……しゃあねえな。沈着のアーティカが言うならそうなんだろ」

「その沈着ってのどこからきたのさ……」

「お前、岩みたいだから」


 なにそれ。

 詳しく聞きたかったけれど、長居もお喋りもよくないので諦める。

 僕らの匂いを嗅ぎつけた敵性生物がいたら大変だ。

 僕はディベラートと一定の距離を保ちながらハンドサインを交わしつつ岩陰を走り、岩場を抜けた。






 僕は最終学年に上がった。

 ドレイシェーン教官に研究者への道を打診されたが丁重に断り、トーカスの森に入る。

 目的は森鈴草の採集だけれど、時間内であれば自由行動が許される。僕は、採集を手早く済ませてフューリオーネを探そうとしていた。

 何処にいるのかはわからないけれど、僕は見つけられると信じていた。

 鬼役としての経験も積み、体力を付け、肉体年齢は今がピークであるという実感があった。

 

「湖を目指すには時間が足りないか……」


 本物の森は、実習用に作られた森よりも気配が濃い。

 溶け込ませるように気配を薄めて、まずは樹木ドラグネの生息地に向かった。

 手掛かりなんてあるわけがないと思いつつ、期待してしまう心が厭わしい。

 フューリオーネ。君さえいなければ僕は迷わず研究者になれたのに。なんて。


「……昨日、ディベラートが死んだよ」


 トーカスの森で。岩場で。砂蜉蝣の群れに襲われて死んだ。

 森に入れる生徒の人数は一日十人と制限されている。

 今日は僕の番だった。もしかしたら、ディベラートと同じ意味で。

 ――死ぬかもしれないとわかっていても、この足を止めることは出来なかった。

 もし死ぬのなら。

 フューリオーネ。君に会って僕は死にたいよ。


 樹木ドラグネはコミュニティを形成し、口から出す粘着性のある糸で罠を張り、獲物を待ち構える。

 彼らの周囲は独特な甘い臭いがするからわかりやすい。

 やっぱり、あの時に見た樹木ドラグネとは色が違う。

 あの樹木ドラグネは、なんだったのだろうか。こうして本物を見ると、少し皮膚の感じも違うように思える。

 どうやらフューリオーネに繋がる手掛かりはなさそうだった。

 慎重にコミュニティから距離を取ると、教官から声を掛けられた。


「ウォグレン。何をしている」

「ドレイシェーン教官……はい、樹木ドラグネの生態観察を行っておりました」

「そうか。お前はやはり研究者の方が良かったのではないか?」

「はい、いいえ。僕は森で生きて死ぬ覚悟です。ドレイシェーン教官」

「……森で生きて死ぬ、か。森人らしい言葉だ。

 さておき時間だ。そろそろ帰還しろ、ウォグレン」

「はい、ドレイシェーン教官」


 僕は去ってゆくドレイシェーン教官の後姿をじっと見つめた。

 彼は何故、僕が此処にいるとわかったのだろう。

 見回りだとしても、少し不可解だった。

 彼は――ディベラートにも声を掛けたのだろうか。

 僕は思考を切り上げ、森の外へと帰還した。

 その日、森から帰って来られた生徒は六人だった。






 フューリオーネ。君はいったい何処にいるんだ?

 一人部屋は狭く、寒い。薄い布団に包まり、フューリオーネの歳を取らない笑顔を思い出す。

 次に森に入れるのは一週間後。

 ――湖を目指す。そう決めた。

 同輩がどんどん消えていく中、生き延びるよりも大切なこと。

 どうせ、尽きるのを待つ命だ。

 ならば行きたいところに行こう。悔いのないよう。

 森で生きて死ぬのが森人だと、入学したての僕に言ったのは誰だっただろう。






 万全の準備を整え、湖に到着した僕を待ち構えていたのは、フューリオーネではなかった。


「ドレイシェーン教官……」

「アーティカ・ウォグレン。流石――優秀だ」

「何故、教官が……」


 ドレイシェーンはフッと笑った。

 薄いブルーグレーの瞳が僕を見た。常に冷静な光を宿しているその双眸は、ヤケにぎらついて見えた。

 湖の畔に立つ彼は、今まで僕が見てきたドレイシェーン教官とはマッタクの別物のような気さえした。


「お前は聡い。だから研究者になれと言ったのだがな……

 フューリオーネ・エバージャスティンの亡霊でも追いかけてきたのか?」

「どういうことですかッ」


 僕の喉から悲鳴のような叫びが迸った。

 何故――どうして、ここでフューリオーネの名前が出てくるんだ。

 何故、何故――……


「まさか、フューリオーネは貴方が……?」


 あの日、フューリオーネは『鑑定室』の近くでヴィランドを見つけたと言っていた。

 おかしな話だ。ずっと引っかかっていた。

 生きている森の生物が、そんなところにいるだなんて。

 鑑定室の戸締まりは厳重で、生きていたとしてもとうてい逃げ出せる環境ではないのに。

 もし、ソレが罠だとしたら。何者かの策略だとしたら。


「ああ、本当に――お前は利口な男だな。エバージャスティンは自ら森で死んだというのに」

「嘘だ!! ……理由が無い。フューリオーネが、そんな……」

「理由など、森の存続のために決まっている」

「……は?」

「察しが悪いな、ウォグレン。

 生き物と同じだ。森は人の命の味を覚えている。

 生命力の濃い人間を捧げれば少しはもつんだ」


 ソレはあまりにもシンプルでわかりやすい理由だった。

 『森人は一人ではなれない』のは、バディが森に喰われているからなのだ。

 自分ではない人間が、身代わりになっているから。


「エバージャスティンは森に選ばれた。明朗のフューリオーネはよほど美味かったらしい。おかげで想定していた供物数を下回ることが出来た」


 ヴィランドは、ただの樹木ドラグネではなく、森の意志だったのだ。

 僕はうちのめされるような衝撃に、掠れた声でゆっくりと僕に近付く教官に問いかける。


「まさか、ディベラートも……」

「森で死んだ者はすべからく森の養分となる」


 ――フューリオーネ。君は、知っていて森に喰われたのか?

 君の最期はどんなものだったのだろう。


「ドレイシェーン教官……フューリオーネは、何故選ばれたのですか」

「魂の質だ。森への憧れや執着が強い者ほど、選ばれやすいと聞く。

 その点、お前は違うな。ウォグレン。入学当時から森に対して特別な感情を抱いていないように見える」


 ドレイシェーンは皮肉げに「俺と同じだ」と口元を歪めた。


「俺のバディも森に選ばれて喰われた」

「……僕も貴方と同じように選ばれなかったから、優しくしてくれたんですか」

「いいや」

「なら、何故――」

「優しくなんてしていないさ。

 俺は俺の職務を全うするまでだ」

「……職務ということは、学院そのものが森への、」

「ああ。供物の管理をしている」

「――僕たちは、森にとって餌なんですか」

「供物だよ。森で生き、森で死ぬ……俺たちはそうあらねばならない」

「僕たちは死ぬために森に入るんじゃないッ!!」


 ドレイシェーン教官は、僕の顎をそっと撫でた。

 駄々をこねる子どもを見る大人の目をしていた。

 叫んで荒い息をする僕に「呼吸を乱すな。喰われるぞ」と忠告するこの男がひどく憎たらしくて、同時に――……


「貴方は、それでいいんですか」


 ひどく哀しかった。


「森のために生きているようなものじゃないか……!」


 教官の手を振り払う。

 情けなかった。

 悔しかった。

 ――森に生かされ、森に殺される僕たち。

 ――それは、学院だけじゃなく、この国が、この世界が、森のためにあると、そういう意味で。

 そんなもの。奴隷や家畜と、何が違うんだ。


「……フューリオーネは、そのために生まれてきたんじゃない。

 あいつは、森人になって、家族に美味しいものをお腹いっぱい食べさせたいって言ってた。

 森のために死ぬだなんて、受け入れる筈がない」

「受け入れたよ。エバージャスティンは、森が無ければ人は生きられないと知っていた」

「……ッ、なんで。僕はずっとフューリオーネに会いたくて、絶対に生きていると信じて、でも……本当に死んでしまったのですか」

「ああ。フューリオーネ・エバージャスティンは死んだ。

 しかし……森として生きていると言う者もいる」

「そんなものは戯言だ」

「そうだな。……エバージャスティンが取り込まれてから、陽の光が多く差し込むエリアが増えたが、偶然なのだろう」

「……何が、言いたいんですか。次は僕の番だとでも言いたいんですか。そうして、暗いエリアが増えるって?」

「いいや。ウォグレン。次は俺の番だ」

「は?」


 言われた意味がわからなかった。

 ドレイシェーン教官は、薄っすらと笑った。


「森への執着が強いほど、その者は良き養分となる。

 選ばれたんだ。アーティカ・ウォグレン。俺は森に選ばれた」


 選ばれた。森に。ドレイシェーン教官が……?

 僕は無意識に一歩後ずさった。

 彼は、僕に背を向けて湖に向かってゆったりと歩み始めた。


「最期にお前に会えて良かった。

 ――お前もいつか俺と同じ道を辿るだろうから」


 その言葉は呪いのように僕に纏わり付いて離れなかった。

 何故か「違う」とも「そうはならない」とも言い切れなかった。

 そうして僕の目の前で、ドレイシェーン教官は森に喰われた。

 湖に飲み込まれていくその人は、沈む瞬間に振り向いて、ブルーグレーの瞳を優しく細めた。

 僕は、言葉を飲み込んだ。

 呆然として、立ち尽くした。

 その姿は、美しかった。






 僕は逃げるように森の外に駆けた。

 その日、森から帰還出来なかった生徒はおらず、ドレイシェーン教官のみが死亡扱いとされた。

 遺体は無く、小さな墓石のみが彼のいた証だ。

 数日後、僕は初めて学院内の墓所に訪れた。

 其処にはフューリオーネの墓石もあったけれど、僕は彼が生きていると信じていたから足を踏み入れたことはなかった。

 でも、もうどれがフューリオーネの墓石なのかはわからない。

 森になった生徒はたくさんいるから。

 今日も誰かが死んでいる。


「フューリオーネ……」


 君は、ひどい男だ。

 僕を置いて一人で森になってしまうなんて。


「ドレイシェーン教官……」


 貴方は、ひどい男だ。

 僕に呪いをかけて森になってしまうなんて。


「僕は森人になるよ。――いつか森を殺すために」


 この胸に疼く執着を、人は殺意と呼ぶのだろう。

 この心を絶やさぬまま、僕は森に喰われるのだ。



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