第17話 オーバー・ザ・レインボーⅡ
男はベッドの上ですーすーと寝息を立てている青年の髪を優しく撫でる。その無防備な寝顔を見て笑みを零すと、青年のシャツのボタンに手を掛けた。
ひとつ、ふたつ、とボタンを外すごとに、青年の白い肌が徐々に
――これはアタリだな。
今回の収穫をそう評価した男――
東条は青年のズボンに手をかけそのベルトを外す。一気に脱がすような無粋な真似はしない。ゆっくりと、引き締まったお尻を撫でつつ。全貌が顕わになるまでのこの時間が、東条はたまらなく好きだった。
薬は良く効いているようだ。
青年は東条に好き勝手身体を撫でまわされようが、目を覚ます様子はない。事が済んでしまえばこっちのものだ。
本来、同性同士の性交であろうと、セックスをする場合は同意書が必要となる。だが、いままでの経験上訴えられることは少ないということを東条は知っていた。
それはなぜか。
例えばこれが男女のケースの場合、女性であろうと男性であろうと、証拠となる体液を取るために早急に病院に行くことが多い。
これはセックス免許を取得する際に初めのほうで習う項目の一つである。
いくらセックスについて法令で定められていたとしても、証拠のない訴えをすべて認めてしまうとキリがないからだ。
なので、セックス免許の教習所では口を酸っぱくして「早急に病院にいくこと」と教えられる。
しかし、現実の世界ではなかなか病院に行く勇気が出ずに泣き寝入りしているケースも多い。それが同性同士の性交であればなおさらだ。
しかもこの東条という男は決まって専用のアプリやネットで相手探しをしていた。ネットで知り合うことで自分のプライベートな情報をほとんど知られることなく、さらには相手もそんな理由で知り合ったということに後ろめたさがあり、なかなか病院へ行こうとはしない。
――しかし。
東条は先日訴えてきた
――まさかあの気弱そうな男が訴える勇気のあるやつだったとは。……今後は本名を教えるのもやめておこう。
嫌なことを思い出したと言わんばかりに「チッ」と大きく舌打ちした東条は、萎え始めた気分を再び盛り上げるために、パンツ姿になった青年の尻を二度ほど撫でてにやりと笑った。
******
東条は定位置にあるテッシュを手に取り股間を拭きとった。身体は汗だくであったが、それはジムでひとっ走りしたような、そんな爽快感のある汗であったためそれほど不快感はない。
東条は今しがたの行為を思い出し、今回の青年とは身体の相性も良かったと満足気な笑みを浮かべた。――その時だ。
「……終わった?」
行為の最中もすぅすぅと寝息を立てていたはずの青年ががばりと上体を起こし、面倒くさそうにそう言ったのだ。
「な、お、起きてたのか?」
突然のことに動揺した東条がどもりながら問いかける。
「起きてたよ。ずっとね」
青年はそう言っててきぱきとパンツとズボンを履きだした。
東条が未だに戸惑ったまま青年の行動をぼんやりと眺めていると、彼がすっくと立ちあがり机の上に置いてあったポシェットの中から自身のスマホを取り出した。
「……うん。撮れてる」
画面を確認し、そう言うと青年は東条のほうにその画面を見せつけてきた。そこには昏睡状態の青年の身体を好き勝手に弄ぶ東条の姿がはっきりと映っていた。
「な、なんだよそれ」
東条が動揺しつつ問いかけるが、青年はにやりと笑うのみで何も答えない。
「そ、それをどうするつもりだ?」
さっきより強い口調で問いかける東条であったが、混乱のせいかその身体は金縛りにあったように動かない。
「僕も仕事柄色んな人と出会うけど……」
青年のにこやかだった表情が氷のように冷たくなる。
「……最っ低だよ、アンタ」
「な、なん……」
「ま、後はゲンさんが上手くやってくれるから」
青年はそう言って意味深な笑顔を浮かべ、振り返ることなく部屋を後にした。
******
「よし、それじゃあ乾杯といこうじゃないか」
源が満面の笑みを浮かべてグラスを掲げる。三上と美智子もそれに続いてグラスを合わせる。
「で、例の彼はどうなったの?」
カツミママがカウンター越しに問いかけてくる。
「あの後、守からデータを貰って三上に交渉に行かせたらスムーズに話は進んだよ。余罪もたくさんあったんだろうな。半泣きで謝ってきたそうだ」
源が目配せをすると、三上がそれに続いた。
「誠心誠意謝罪するから警察にだけは言わないでくれって泣きついてきましたよ。こちらとしては、顧客が納得してくれればいいと、そう伝えました」
どこか呆れたような口調で三上が肩をすくめる。
「守にも嫌な役割させちまったな。……助かったよ。ありがとな」
源が後ろに立っている守に顔を向け手を挙げた。
「別に、僕はいつもやっていることとそんなに変わりはないですからね。……ただ、下衆野郎に好きにされて気分はあまり良くなかったですけど」
そう言って守は肩をすくめてため息を吐いた。
「今回の仕事にはちゃんと色つけといてあげるから」
カツミママがなだめるように守に声を掛ける。
美智子はそんな会話をぼんやりと聞きながら、世の中には自分の知らない世界がたくさんあるんだということを改めて実感していた。
源の話によると、カツミママはバーの経営の他にゲイ専門風俗の運営をしているそうだ。表立って宣伝するような業界ではないので、客のほとんどがどこからか口コミを聞きつけてやってくるらしい。
そして、後ろにいる守はその風俗の従業員も勤めているとのことだ。
――それにしても。
美智子は源から今回の作戦を初めて聞かされたときは開いた口が塞がらなかった。顧客である楢橋誠人から東条のネットでのアカウントを聞き出し、守がそのアカウントに向けアプローチをかけ罠にはめるという、いわゆるおとり捜査のようなものだ。
楢橋の話によると、食事をした直後から意識が遠のき、気付いた時には東条の部屋で裸になっていたとのことだったので、薬物が使用されているとアタリをつけた源は守にその情報を伝えた。守は東条との食事では細心の注意を払い東条の仕込んだ薬物を摂取せずに薬が効いたフリをして彼の油断を誘ったとのこと。
しかし、いくら東条をはめるためだとはいえ、そんな男に身体を好き勝手にされるだなんて。
美智子は想像しただけで全身に寒気を覚えた。
「最低だと思う?」
美智子が鳥肌を鎮めるために腕をさすっていると、カツミママがそれに気づいたのか声をかけてきた。
「あ、いや……」
「いいのよ。最低なのは確かなんだから」
両手を振り取り繕う美智子に対し、カツミママはそう言って微笑んできた。
「もともと私たちは日陰者。大手を振ってお天道様の下を歩けないような存在よ」
「いや、そんなことは……」
「ふふふ。ありがと。まぁ、最近じゃあ世界的にも多様性を認めようって動きが出てきてるから、私が若い時よりかはだいぶとマシにはなったけどね」
カツミママは手に持ったウイスキーの入ったグラスを傾け、少しだけ舐める。
「でもね、大きなことを言うようだけど、私はそんな孤独な思いをしている人を一人でも多く救いたかったの。その手法が風俗だなんて、正しいのかどうかもわからないけどね」
そう言ってママは少しだけ目を伏せ、自嘲気味に笑った。
「……私みたいな小娘が差し出がましいかもしれませんが。ママのその行動は誰にでも出来ることではないと思います」
美智子が恐る恐る、しかしはっきりとした口調で言う。
「たとえお世辞でも嬉しいわ。ありがとう。……でも、だからこそ今回のような男は許せなかったのよ。自分の性欲のためだけに人を傷つけるような輩はね。だから、ゲンゲンから話を聞いた時に即決で協力を申し出たわ。守もきっと同じ気持ちだったと思う」
ママが守に視線を送ると、守は照れ臭そうに頭を掻いた。
「結局な、性欲なんてもんは人間の根っこにあるもんだ。そこに男も女もゲイもレズも関係ねぇよ。みんな薄皮一枚ひっぺがしゃあ醜い獣が現れらぁ」
そう言って三上の身体の向こうから源が身体を乗り出して会話に参加してきた。今日の並びは源、三上、そして美智子の順だった。三上は窮屈そうに少しだけ身体を後ろに反らす。
「そんな生き物の本能をよ。法律で規制・管理するなんざぁ、おこがましいことだとは思わんか? みっちゃん」
軽い口調ではあるが、源は真剣な眼差しを美智子に向ける。
「で、でも、国が決めたことですし……」
「それじゃあみっちゃん、国が決めたら戦争でも行くんか? 結婚相手を国が決めるようになったら従うか? ま、そんな大げさな話しなくてもよ、おれは何十年と裸の業界で生きてきたんだ。そのおれが断言してやるよ。人間の性は法律では管理できねぇ。そんなもんは絶対に無理だ。セックスするのに免許だと? 同意書だと? ちゃんちゃら可笑しいわな」
源はそこまで言ってからフンと鼻を鳴らす。
「それじゃあ、なんで源さんはこの仕事してるんですか?」
ほろ酔い加減の美智子が少し突っかかるように源に聞く。
「おもしれぇからだよ」
源が即答した。
「……面白い?」
「あぁ。おれは若い時からセックスが好きで好きでたまらないどうしようもない性欲オバケだったんだよ。そんなおれにとってはAV業界は天職だったんだけどな。もう自分自身のセックスは知り尽くしてしまった気になっちまってよ。そんな時に今の会社に誘われて、思ったんだよ。『今度はいっちょ他人のセックスに関わってみるか』ってな。これが大正解。性の話はどこまで行っても底が見えねぇ。楽しくて楽しくてしょうがねぇよ」
そう言ってガハハと笑う源に、美智子は呆れたように息を吐いた。
源が前職を辞めた本当の理由を知っているカツミママは、そんな二人を見て穏やかな笑みを浮かべている。
「あ、でも体力的にはまだまだ現役だぜ? みっちゃん今夜は空いてるだろ?」
「空いてません!」
いやらしい手つきで手を握ってきた源を強い口調で制し、美智子はわざとらしく大きなモーションで源の手を振り払った。
「あら、ゲンゲン。私ならいつでも空いてるわよ?」
とカウンターからカツミママがウィンクをする。
「あ、あぁ。ま、ママはまた今度の機会にな」
珍しく動揺した声で返す源を見て、三上と美智子は堪え切れずに吹き出してしまった。
「んもう。いつか絶対抱いてもらうんだから!」
すねたように頬を膨らますママを見て、源も思わず笑みを零す。
「……シレーヌ、か」
二人の会話を笑顔で聞いていた美智子の隣で、三上がぼそりと呟いた。
「シレーヌ?」
美智子が思わず聞き返す。源とママは楽しそうに会話を続けていた。
「このお店の名前です。フランス語で【人魚姫】」
「……人魚姫」
「素敵な名前ですよね」
そう言って三上は美智子に顔を向け優しく微笑む。
酔いのせいかもしれないが、その優しい笑顔を見た瞬間に少しだけ強くなった鼓動を感じ、美智子はどこかごまかすように残ったビールを一気に飲み干した。
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