第18話 Forget me not

「お電話ありがとうございます。こちら月光生命セックス保険コールセンター、担当の松島です」


「……あの、ちょっと相談したいんですけど」

 電話口の向こうから、若い女性の声が聞こえてきた。


「はい。どのようなご相談でしょうか?」


「あのセックスの同意の訴えって、どのくらい前までさかのぼれるんですか?」

「同意書なしの性交での訴えでしたら、五年前までは遡って訴えることは出来ますよ。ただし、時間が経てば経つほど証明が難しくなる場合がほとんどですが……」

「……じゃあ、訴えます」

「分かりました。それではお名前と生年月日をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「はい。ミゾグチショウコです。一九九五年、六月三十日」


 ――溝口、祥子。現在二十五歳。事故歴はなし。


「はい、ありがとうございます。それではお相手のお名前やご連絡先はお分かりでしょうか?」

「連絡先……」

 溝口はそう呟いたまましばし沈黙した。


「ご連絡先が分からなければお名前やお分かりになる情報だけでも結構ですよ」

「あぁ、はい。相手の名前はコウモトケンジ。生年月日は分かります。一九九五年の十二月三日です」

「コウモトケンジ様ですね。それでは一度こちらでデータベースを確認させて頂きますので、相手方とご連絡が取れましたら、また溝口様にご連絡差し上げますね」


「連絡……」


「どうかなさいましたか?」

「いえ、大丈夫です。よろしくお願いします」


 どこか違和感を覚えつつも、美智子は電話を切ったあと、警視庁のデータベースに照会依頼を送信した。


 そして二日後、送られてきた情報に目を通した美智子は一瞬息を飲んだ。


「――該当者、……死亡?」


 溝口が名前を告げた河本健司なる人物は、一年前に亡くなっているとのことだった。


 美智子はその日のうちに溝口に電話を掛けることにした。

 電話番号を押してから、ワンコール鳴るか鳴らないかというところで電話が繋がった。


「はい、溝口です」

「あ、私月光生命の松島と申します。先日お問合せ頂いた訴えの件でご連絡させて頂きました」

「……はい」

「結論から申し上げますと、お相手の河本様は一年前に亡くなられているようでして――」

「知ってます」


 少し食い気味に溝口が言ってくる。


「あの、溝口様?」

「分かってるんです、そんなこと」

 そう言うと溝口は電話の向こうでぐずぐずと泣きだした。


「知ってて、分かってて、でも……、私……」

 ついには嗚咽を漏らしながら泣き始めた溝口に対して、美智子は少し待ってから声を掛ける。


「溝口様、もしよければお話を聞かせていただけませんか?」

 美智子の言葉に、溝口が鼻をずびびと吸ってからゆっくりと話し出した。


 ――一年前まで、私と健司は同棲していたんです。健司は売れないミュージシャンで、それでも夢を追う彼を支えたいと思って頑張っていました。

 そんなある日、彼に初めてテレビ出演のオファーが来たんです。深夜の音楽番組でしたが、二人で飛び跳ねながら喜びました。

 私はお祝いのためにケーキを注文していました。

 健司が嬉しそうに「おれが取りに行く」って家を出て行ったんです。


「その帰りに、――交通事故でした」


 当時の事を思い出したのか、溝口がまた声を上げて泣き出した。


「わた、私が、取りに行けば良かった。彼は、信号無視したって、後から聞いて、すごく嬉しかったんだろうなって、急いで、帰ってこようと、してくれてたんだなって、……あぁぁぁ」


 それはまさしく慟哭だった。息継ぎもままならないまま溝口は言葉を吐きだしている。


「それで、この一年、私、後悔してばっかりで、私も死んでしまおうかなって、思ったりして。……そんな時に、保険の案内が届いて、もしかしたらこれで訴えたら、彼が生きていた証拠がなにか残せるんじゃないかって思って、……ごめんなさい」


「溝口様、謝らないで下さい。お気持ちは分かりますよ」


「ごめんなさい。お手数をお掛けしました。……もう、大丈夫です」

 溝口が電話を切ろうとしたしたので、美智子は慌てて声を掛ける。


「あ、お待ちください! 溝口様さえよければ、河本様を相手取って訴えを起こす書面をお作りすることも出来ますがいかがですか?」


「……そんなこと、出来るんですか?」


「はい。相手方は亡くなられておりますので、本来であればご親族などに通知が行くんですが溝口様がご希望されるのであればご親族への通知なしに溝口様へのみ書面をお送りすることも出来ますよ。そうすれば、気休めかもしれませんがお二人が愛し合われていたという証拠の一つにでもなりませんか? ……ほんとは、こういうことあんまりしてはいけないんですけどね」


 美智子が最後の方、声を落として周りに悟られないように伝える。


「松島さん……。ありがとうございます。私、親御さんには迷惑を掛けたくないので、もし可能なら私だけに送ってもらうことは出来ますか?」

「はい。承知致しました。それでは後日、書類をお送り致しますね。本来は返送して頂くものなんですが、こちらは無視して頂ければ私が処理しておきますので」

「何から何までありがとうございます」

「いえいえ。今後とも、当社をよろしくお願い致します」


 美智子は頭を下げてから、相手が電話を切るのを待った。


 後日、溝口から松島宛に郵送物が届いた。

 それを開くと、そこには一枚のCDが入っていた。


 美智子は家に帰ってから、CDをパソコンにセットした。

 スピーカーからアコースティックギターの音色が流れてくる。

 ハイトーンボイスで語りかけるように歌うその声は、とても素敵だと美智子は思った。

 そしてその声の持ち主はもうこの世にはいないということが、残念でならなかった。


 美智子はCDジャケットを確認する。

 そこには五つの花弁が開いた紫色の花が一輪描かれていた。


 CDのタイトルは【バルーンフラワー】。日本語で桔梗。


 その花言葉は――「永遠の愛」だ。

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