第9話 トゥ・ヤング・トゥ――

「お電話ありがとうございます。こちら月光生命セックス保険コールセンター、担当の松島です」


「あぁ、もしもし」

 電話の向こうから中年男性の声が聞こえてきた。


「ちょっと訴えたい相手がいましてね」

 男性であることも差し置いて、その落ち着いた声色に美智子は少しの違和感を覚えた。


「はい。それではまずお客様のお名前と生年月日をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あぁ。タキナミソウイチロウ。一九七四年、五月六日」

 美智子は聞きながらパソコンに入力する。


 ――滝波たきなみ総一郎そういちろう、現在四十六歳か。


「はい。それでは、事故の状況について詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あぁ、それでね。被害に合ったのはうちの娘なんだが」


 なるほど、と美智子は思った。やけに落ち着いたその声色もそれなら納得出来る。


「でね、うちの娘はまだ未成年だから、代理で訴えることは出来るんだよね?」

「はい。当事者が未成年の場合は保護者の方が代理で訴えを起こすことは可能です」

「そうか。良かった。大事な娘を傷物にされたんだ。しっかりと報いは受けてもらわないとな」


 そう話す滝波の声には、静かな怒りがこもっていた。


「相手方の情報はお分かりですか?」

「あぁ。名前は宮城みやぎ和真かずま。まだ十八の若造だ」

「宮城、和真様ですね。ご連絡先などもご存知でしょうか?」

「あぁ、それなら……」


 滝波が電話口の向こうで「おい」と誰かを呼ぶ声が聞こえた。


「……あの」


 しばらくして聞こえてきたのは可愛らしい女の子の声だった。緊張しているのか、とても小さな声だった。


「はい。あの、お嬢様でしょうか?」

 美智子が努めて優しい声色で問いかける。


「……はい。あの。滝波愛梨あいりです」

「愛梨様ですね。相手方のご連絡先はご存知ですか?」


 美智子の問いかけに、しばし沈黙が続いた。しかし、愛梨の背後から「早く言いなさい」という声が聞こえたかと思うと、愛梨はゆっくりと相手の連絡先を告げた。


「ありがとうございます。それでは私のほうから先方へ連絡を取らせて頂きます。何かお伝えしておきたいことはございますか?」


「伝えたいこと……」


 電話口の向こうで愛梨が何か考えているような空気が伝わってくる。が、電話を代わったのか、聞こえてきたのは「とにかく、こちらとしては謝罪と賠償をしてくれればそれでいいので」という父親の総一郎の声だった。


「承知致しました。それでは、先方にご連絡をしまして、また進展がございましたらこちらからご連絡させて頂きます」


 そう言ってから美智子は電話を切った。


「高校生かぁ」


 先方に連絡を取るとは言ったものの、美智子は少し気が重かった。


 相手が成人であればまだ話が通じやすいことも多いが、今回の対象はまだ高校生。美智子からすれば人生経験に乏しい相手に対して一方的に訴訟の話をするのはあまり気が進まないものだった。


「まぁ、仕方ない。これも仕事だ」


 時刻は夜の七時。通常の学校であれば授業も終わっている頃だろう。

 美智子は先ほど愛梨から聞いた宮城和真の電話番号をプッシュした。

 ワンコール、ツーコール――。

 電話は確かに繋がっているようだが、一向に出る気配がない。

 七、八コールほど待ってから、美智子は諦めて電話を切った。


「……明日また掛けてみるか」


 美智子はリマインダーに「宮城和真へ連絡」と入力し、次の案件に取り掛かった。



 翌日、放課後の時間を狙って美智子は再度宮城和真へと電話を掛ける。

 ワンコール、ツーコールと電子音が鳴る。


 今日もダメかと美智子が思った時、電話が繋がった音がした。


「もしもし、宮城和真様のお電話でしょうか?」

「……そうですけど。……誰ですか?」


「私、月光生命セックス保険コールセンターの松島と申します」

「……セックス保険」


「今回、滝波愛梨様の件でお電話させて頂きました」

「な、なんで、そんな……」


 まだ幼さの残るその声の主は、セックス保険の担当から電話が来たことに戸惑っているのか、しばらく言葉を失っていた。


「確認なのですが、滝波愛梨様と性交を行ったことは事実でしょうか?」

 沈黙が続く電話口に向かって美智子が確認する。


「なんでそんなことアンタに言わないといけないんですか」

 どこか投げやりな態度で和真が返してくる。


「宮城様。これは重要な確認でございます。ここで誤魔化したり嘘を吐かれてしまいますと、後ほどの賠償額に関わって参ります。どうか正直にお答え頂けないでしょうか?」

 美智子は努めて冷静に、かつ、相手を刺激しないような声色で再度問いかけた。


「好きな女とエッチするのが悪いことなのかよ」


 返ってきた言葉には怒りがにじんでいた。美智子は悟られない程度にふっと息を吐く。


 ――若いなぁ。


「それ自体が悪いことだとは私は思いません。しかし、現在の法律では未成年の性交については厳格にルールが定められております」


「ふざけんなよ。何がルールだよ」

 独り言のように和真が吐き捨てる。


「今回、愛梨様の代理人であるお父様の総一郎様より提訴の申請が来ております」

「提訴って……」


 提訴という固い言葉に和真の声には動揺の色が見える。


「提訴内容や今後の流れについての資料をお送りさせて頂きますので、ご住所をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「家に送られるんですか?」

「そうですね。もしご希望であればメール添付でお送りすることも出来ますが?」

「……いや。もう、どうでもいいです。住所は――」


 美智子は和真が読み上げる住所をメモしていく。


「それでは、一週間以内に書類を郵送させて頂きますので、ご確認下さい。もしご不明な点がございましたら、私、担当の松島までご連絡頂ければと思います」


「……なんだよ、クソッ」


 ぼそりとした呟きと舌打ちが聞こえた後、通話が切断された。


「うーん。ちょっとかわいそうだけど、決まりだからねぇ」

 美智子も一人呟き、宮城和真の情報をパソコンに打ち込んだ。


 ******


「青春だねー」


 いつものバルのテーブル席で、早苗さなえが茶化すような声を出す。


「青春ってアンタ……」

 早苗に対し呆れるような声を出してから、美智子はビールのグラスを傾ける。


「だってさー、仕方なくない? 思春期の男女が仲良くなってセックスするな、なんて無理な話よ」


 そう語る早苗の頬はすでにりんごのように赤く染まっていた。空になったグラスを掲げて、マスターにおかわりを要求している。


「でもねぇ。高校生だよ? ちょっと早いような気もするなぁ」

「えー、みっちゃんなんかそのセリフおばさん臭いよ?」

「ちょっとやめてよ、おばさんだなんて。でも、そんなこと言うってことは早苗は初体験早かったってこと?」


「うん。十五歳だったかな」


「ブッ!」


 美智子が早苗の言葉に飲みかけたビールを吹き出した。


「ちょっと! みっちゃん汚いなぁ」

「ごめんごめん。ってか十五ってアンタ早すぎでしょ」

 美智子が口元をおしぼりで拭いながら早苗に言う。


「そんなことないよ。まわりも結構そのくらいでやってたよ」

 早苗がナッツを口に放り込みながら事も無げに言った。


「えー。早苗のまわりが早いだけだよそれ」

「そんなことないって。で、みっちゃんはいつだったの? 初体験」


 運ばれてきた新しいグラスをぐびりと飲み込んでから、早苗が美智子に聞き返す。


「私は……、じゅう、きゅう……かな」

「あはは。やっぱりみっちゃん真面目だよね」


 早苗が豪快に笑いながら美智子を指さす。


「なんでよ。こっちが普通でしょ」

 美智子が少しむっとした様子で言い返す。

「んであれでしょ? どうせクソ真面目にセックス同意書を書いてからヤッたんでしょ?」

「と、当然じゃない。法律で決められてるんだから」

「だーかーらー。そういうこと言ってるから今回の子たちの気持ちが分からないんでしょ?」

「いや、分かんないことはないけど……」

「あの頃はねー。もう二人の世界しかないのよ。好きな人が出来たらね。その人がすべてで、とにかく全部を捧げたいのよ。彼が望むならキスだって、胸だって、その先だって……ねぇ?」


 後半になるにつれわざとらしく艶めかしい声を出し、最終的には大げさなウインクで早苗が言葉を締めくくった。


「ちょっとぉ、下品だよ」

「下品ってなによ。ともかく、二人にとっては本気の可能性もあるってこと。でもまぁ、親にばれちゃあねぇ。さすがに怒られちゃうわよね」

「そこよねぇ。私も今回どういう着地のさせ方をしようか悩んでるんだけど、なんせ相手はまだ高三でしょ? あまりふっかけるわけにもいかないし。うーん」


 美智子がアゴに手を当て考えるそぶりを見せる。


「まーたみっちゃんのおせっかいなとこ出てるねぇ。私だったら機械的に処理しちゃうわよ。案件ごとに毎回毎回悩んでたらいつまでたっても仕事終わんないよ?」

「それはそうだけどさぁ」

「ま、みっちゃんがそこまで思ってるなら納得するまで関わってみたらいいよ」


 そう言って早苗は再びナッツを二、三粒口に放り込んだ。



 ******


 数日後、先方に資料が届く頃合いを見計らって美智子は相手方の高校生――宮城和真に電話を掛けた。


 ワンコール、ツーコール……。


 しばらく電子音が鳴り続き、今日は諦めようかと思ったその時、電話が繋がる音がした。


「もしもし。宮城和真様でしょうか? 私月光生命セックス保険コールセンターの松島と申します」


「……はい」


 心なしか、先日よりも意気消沈した様子で宮城が返事をしてくる。


「当社からのご案内はご自宅にお届きでしょうか?」

「あぁ、はい。でも、あの……難しい言葉ばっかりでちょっと、よく、わかんなかったっす」

 ここにきてようやく若者らしい言葉遣いが出てきたので、美智子は微かに笑みをこぼす。


「それでは私の方から要点を噛み砕いてご説明させて頂きますね。いまお時間は大丈夫でしょうか?」


「……大丈夫っす」

 宮城の返事を待ってから、美智子は説明を開始した。


「まず、宮城様は今回滝波愛梨様の代理人であるお父様の滝波総一郎様よりセックスの同意についての訴えを起こされております」


 美智子がそこまで言うと、電話口の向こうから微かなため息が聞こえてきた。


「今回宮城様にして頂きたいことは、案内に同封しております【訴訟内容確認書】に署名――お名前を書いて頂き当社まで送り返して頂きたく存じます。こちらは期限がございますのでご注意下さいね。もちろん、こちらの提出については任意ではございますが、万が一期限までに書類が届かない場合は『和解の意思なし』とみなされ即刻裁判所へ訴えが送られることとなります」


「……裁判」


「あぁ、ご安心下さい。裁判といってもドラマで見るような弁護人や検察官に挟まれて質問をされる……みたいなものではなく、内容を精査し、賠償金が決定され次第、通知が届くといったようなものになります。ただし、和解の意思なしとみなされてしまいますと、この賠償金の決定の際に大変不利になってしまうのです」


「お金、取られるんですか?」


「賠償金が確定してしまうとそういうことになってしまいますね。ただ、そうならないための和解の機会を設けようというのが今回お送りしたご案内になります。ですので、必ず期日までにお送り下さいね」


「……分かりました」


 美智子が話をしている間にも、宮城の声のトーンがどんどん沈んでいくのが分かった。


 美智子はふぅと一息ついてから、宮城に話しかける。


「宮城様。突然のことで動揺されているかもしれません。また、裁判や賠償金などの難しい単語を聞いて怖いと感じられているかもしれません。ですが、先方と対話をするチャンスとも言えます。何かご不安なことや分からないことがございましたら私松島まで遠慮なくご相談――」

「でも、お姉さんは向こうの味方なんでしょ?」


 美智子の言葉を遮って宮城が投げやりに言ってくる。


「確かに、立場上はそうかもしれませんね」

「ほら。だったらお姉さんに相談したって意味ないじゃないか。もしかしたら上手いこと言ってまるめこまれる可能性だってあるんだし……」


 宮城のその言葉に、美智子の心のスイッチが入る。


「でもね」


 美智子は営業用の話し方を脱ぎ捨て、親戚の甥っ子に話しかけるような口調で返す。

 どこか吹っ切れたかのように美智子は言葉を続ける。


「ほんとは私はどっちでもいいの」

「……どっちでも?」


 宮城も突如として砕けた物言いになった美智子に動揺しながら聞き返す。


「そう、どっちでも。私たちの仕事は顧客が納得してくれたらそれでいいの。もちろん、賠償金をたくさん貰いたいという顧客に対しては頑張って賠償額を上げられるように先方に交渉したりするわ。もちろん、滝波様も初めはそういった内容のことをおっしゃっていたわ。でも、先日連絡した時には別のことも言っていたの」


「別のこと?」


「『誠意を見せてほしい』って言ってたわよ。……ねぇ、宮城くん。愛梨さんとは遊びで付き合ったの?」


「遊びなんかじゃない!」


 美智子の言葉に、宮城が大きな声で反論した。


「そう。良かった。……じゃあ、誠意を見せるしかないね。先方と話す機会を設けて、あなたの本当の気持ちを伝えるの。……どう? 出来る?」


「……やります。おれ、ちゃんと話してみます」


 その声には確かな決意が感じられた。美智子は笑みを零し、大きく頷く。


「それでは、期日までに書類の返送をお願い致します。書き方などが分からなければいつでもご連絡下さいませ」


 営業用の口調に戻した美智子がそう告げると、電話の向こうで「わかりました」という声が聞こえ、通話が切断された。


「おせっかいなお姉さんだねぇ」


 声が聞こえたのでふと横を見ると、早苗がパーテーションの向こうから顔を覗かせていた。


「なによ」

 美智子が口を尖らせると、早苗は「ふひひ」と笑った。


「今の、例の高校生でしょ?」

「そうだけど、なんなのよ」


 不機嫌そうな美智子とは対照的に早苗は満面の笑みを浮かべている。


「おせっかいで、優しいお姉さん♪」

 まるで歌うような口調でそう言い残し、早苗がパーテーションの向こうに消えていった。


「別に……そんなんじゃないけど」

 と言いつつ、美智子もふっと笑みをこぼした。



 ――後日、宮城から美智子宛てに電話が入った。


「許してくれました」


 第一声がそれだった。


「それは良かったですね」

 すっきりとしたその声に、美智子もどこか嬉しくなってしまう。


「おれ、ちゃんと話しました。愛梨のこと、遊びじゃないって。真剣だって。結婚する前に手を出したのはごめんなさいって謝りました。そしたら、愛梨のお父さんが『その気持ちを確認したかった』って言って許してくれたんです。……まぁ、愛梨が高校を卒業するまではそういうことは禁止になりましたけど」


 美智子の脳内に頭を掻いて照れている青年の映像が浮かんだ。


 ――君が良い子で良かったよ。


「……え? 何か言いました?」

「いえ、何も」


 美智子が笑いをこらえながら答える。


「それでは、和解が出来たということであと一枚だけ書類を送って頂くことになりますのでまたご郵送させて頂きますね」

「分かりました」

 はっきりと聞こえたその声は、少年から大人に変わる瞬間にも思えた。


「あ、あの! 松島さん!」


 美智子が電話を切ろうとした瞬間、宮城が大きな声を出す。


「はい?」


「ありがとうございました。……もし担当が松島さんじゃなかったら、おれ、なんか無茶苦茶になってたかもしれないから」


 だから、と宮城は言葉を続ける。


「本当に、ありがとうございました!」


 電話の向こうで大声を出す宮城に対して(野球部か、君は)と心でツッコミを入れつつ、美智子は笑顔でこう返した。


「滅相もございません」

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