第5話 ホエールウォッチングⅡ

 さほど広くはない事務室で男が煙草たばこくわえながら札束を数えている。


 スチールで出来た安っぽいオフィスデスクの上には、小型の金庫と札束が無造作に置かれていた。

 煙草を灰皿でもみ消したちょうどその時、男の携帯が震えた。


「おう。どうした?」

 元々人相の悪いその顔をさらにしかめて、男は電話に出る。


『すいません店長。店長に会いたいってお客さんがいまして』

 電話の向こうから部下の黒服の声が聞こえてくる。

「チッ! なんだ? クレームかぁ? てめぇ、そんなんも突き返せなくてなにやってんだ」

『いや、その、クレームといえばクレームなんでしょうけど……』

「なんだよ、はっきりしねぇヤツだな! ヤクザか? 半グレか?」

『いや、それが……。保険会社の人間だって……』

「あぁ? 保険会社ぁ?」


 ******


 事務所に通されたみなもとはソファーに腰かけ、責任者の柿原かきはらと名乗った男とテーブル越しに対面していた。

 年の頃は三十台そこそこのように思えるが、眉間に深く刻まれたシワと切り傷らしき頬のあとから、まっとうな道を歩んできた者でないことは明らかだった。


「で? 月光生命の社員さんが、なんのご用で?」

 柿原が源の名刺と顔を交互に見ながら問う。

「なぁに、ちょっとした保障の話ですよ」

 源は笑顔でそう答える。


「保障? うちはおたくのとこと契約は交わしてないはずですが?」

「うちの顧客の何人かがね、アンタの店でもらったっていうんですよ。……性病を」


「……ハッ! 何をおっしゃるかと思えば。うちはちゃんとスタッフの性病検査はやってますよ。どこか別の女にもらった言い訳でしょう?」

 源の言葉を鼻で笑った柿原が、煙草を取り出し火をつけた。


「……性行為関連法第四項第二条」

 源がポツリと呟く。


「通称【性風俗関連セックス法】でしょ? 知ってますよそれくらい。うちはちゃんと認可を受けてますよ。カウンターにも許可書貼ってあったでしょうが」

 柿原が動じることなく答える。


 ――性風俗関連セックス法。


 セックス免許制度が施行されることにより、通常の風営法ではカバーしきれなくなったため、新たに施行されることとなった性サービス関連の法律のことだ。


「認可番号は?」

 源は手帳とペンを取り出して問う。


「……チッ! ハ―三六―六六五〇四八二」

 柿原は苛立ちを露わにしたまま、すらすらと番号を答えた。


「ふむ。……ま、念のためメモっとくよ。どうせ別の正規店のダミー番号だろうがな」

 番号を記入した手帳を手で叩き、源はスーツの内ポケットにそれをしまった。


「そもそも、セックス免許取りたての十八の女の子――いや、おれの見立てではもう少し若い気もしたけどな。そんな女の子をすぐに現場に出す店がまっとうな店なわけねぇよな」

 源が後ろに立っている黒服に横目でちらりと視線を送る。柿原も黒服に目を向けると、怒りの感情を込めてにらみつけた。


「ひっ! いや、よかれと、思って……」

 黒服は震える声でそう答えた。


「チッ! ……バカが。……源さん、何言われたか知りませんが、それは彼のリップサービスです。うちにはそんな若い子はいませんよ」


 そう言って柿原が源に笑顔を向ける。しかし、その目の奥は冷ややかに光っていた。


「そうか? ……まぁ、それはいいとして、グリーンカードの存在くらい嬢にはちゃんと教えておいたほうがいいぞ?」

 その言葉に柿原は一瞬動きを止め、ため息をつき手を額に当てた。


「……なんでこう、バカばっかりなんだ」


 ――グリーンカード。


 性的なサービス、特に性交を行う可能性がある人間は特別なセックス免許証の所持が義務付けられている。

 通常のものとは違い、緑色の帯があることから通称グリーンカードと呼ばれている。

 グリーンカード所持者とセックスを行う場合は、同意書の必要がないため、利用客も安心して楽しむことができるのだ。


 つまり、グリーンカードを持たない嬢がサービスを行っていること自体が、その店が信用に足る店でないことを表している。


「それに、おたくんとこは本番は禁止じゃなかったか?」

 源が追い打ちをかけるように言うと、柿原は観念したかのように息を吐いた。煙草の煙がぶわっと辺りに広がる。


「……で。アンタは何がお望みだ?」


「なぁに、うちは保険屋だ。サツじゃねぇ。別にこの店をチクるつもりもねぇ。ただ、うちの顧客に払う疾病保障の分だけ、持ってくれれば文句はねぇさ」

 そう言って源は口角を上げた。


「そうかい。……でも、そんなことでうちが大人しく払うとでも?」


 柿原はテーブルに足を投げ出し、わざとらしく大きな音を立て、闇に生きる人間の本性を垣間見せた。

 それを合図に、後ろの黒服が入口の扉の鍵を閉める。


 しかし、源は動じることなく笑みを浮かべたまま柿原を見つめていた。


「オイ、おっさん! ただで帰れると思うなよ!」

 柿原の怒号に、源は鼻を鳴らした。

「まだまだ若ぇな、あんちゃん」

「あんだぁ? テメェ」

 源の言葉に、柿原が怒りを露わに睨みつける。


「うちの法務部は優秀だぜ? まぁ、戦争するってんなら受けて立ってやるよ。……表でも裏でもな」

 余裕の表情でにやりと笑う源の言葉に、柿原は初めて戸惑いの表情をみせる。

「裏でもだぁ? テメェさてはどっかの組の、……待てよ? アンタの顔、どこかでみたような……」


 柿原が眉間に皺を寄せ源の顔をまじまじと見つめた。


「あ、アンタ! みなもと原人げんじんか! そうだろ!」


「……源原人?」

 柿原の言葉に、黒服が首を傾げる。


「おう、知っててくれたか、あんちゃん」

「やっぱりそうか! スーツ姿だったからわかんなかったぜ。クソ! 道理でビビらねぇ訳だ」


「……あの、店長。……どちら様で?」

 事態を把握しきれていない黒服がおずおずと問いかける。


「おれら世代じゃあ知らないヤツはいねぇ伝説のAV男優だ。思春期の頃合いにゃ、みんなアンタのマネをしてたもんだぜ」

 そう言って柿原は人差し指と中指を突き出し、クイクイと上下に動かした。


「ハハッ! あったな、そんな時代も」


 一触即発のムードが一転、和やかに笑いあう二人を見て、黒服はなおさら訳が分からないといった様子だ。


「……ハァ。そうかい。アンタが相手なら仕方がない。……未だに、アンタのファンだって組長連中は多いんだろ?」

「バカ野郎。今じゃただのしがないサラリーマンだよ。……ただ、降りかかる火の粉は払うしかないけどよ」


 その源の言葉を合図に、二人の間にしばらくの沈黙が流れた。お互いに目線は外さずに、その腹の中を探っている。

 が、先に根負けしたのは柿原の方だった。唐突に源から目線を外すと、大きくため息をついた。


「……で? どうすりゃいい?」


「話が早くて助かるねぇ。適当な嬢を一人選んで連絡してくれ。通常の合意アンマッチ案件としてうちが訴えるから、保障分だけ払ってくれりゃあいい。後はうちが上手くやるさ。……そういうのは、得意だろ?」


 二人は再度目線を交わすが、しばらくすると今度はこらえきれずに互いに吹き出し笑い声を上げた。


「おい、鍵を開けろ。お客様のお帰りだ」


 ひとしきり笑いあった後に、柿原は黒服に指示を出した。

 その言葉で、源もソファーから腰を上げる。


「しかしあの源原人が、今では保険会社の犬とはなぁ」

 部屋から出る寸前に、負け惜しみのように呟いた柿原の言葉で、源は足を止め振り返った。


「確かに、おれは保険会社の犬かもしんねぇけどよ。コッチのほうは今でも現役だぜ」


 柿原に向かい指を二本突き出す。


「……三回、かせてやったよ。あの嬢ちゃん、もう普通の男じゃ満足出来ないだろうな」


 そう言って笑顔を浮かべながら、源は突き出した指をクイクイと上下に動かした。


 ******


「って感じだ。そいじゃあ、この報告書、総務に回しといてくれ」

 源から報告書を受け取りながら、美智子は顔をしかめた。


 ――ほんとに、この男。どうやって女の子をよろこばせたか、なんてとこまで言わなくていいっていうの!


 美智子は頬を膨らませながらすぐにきびすを返し、源に背を向ける。


「なぁ、みっちゃん。今度ほんとに一発どうだ? おれの分の同意書は書いておいたぞ」

 そういって源は手に持った紙をひらひらと美智子に見せつけた。


「べーっだ!」


 美智子は思いっきり舌を出し、源の提案を拒否する。


「あーあ、残念。……ほんとに、可愛げのあるいい女だぜ。……バン!」


 源はピストルの形にした指を、背を向けて歩く美智子の尻に向かい、放った。

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