第4話 ホエールウォッチングⅠ

「お電話ありがとうございます。こちら月光生命セックス保険コールセンター、担当の松島です」


「あのー、契約している保険で、確か疾病特約って付いてたよね?」

 美智子のヘッドホンに中年の男の声が聞こえてくる。


「ご契約の確認ですね? まずは、お名前と生年月日をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「エンドウ、タカシ。昭和五十年三月四日」


 美智子は目の前のパソコンに情報を入力する。


 ――遠藤隆志、四十五歳。過去に一度だけ事故の履歴あり。


「遠藤様ですね? はい、確かにご契約頂いております保険には疾病特約が付いております」

「良かった。……実は、もらっちゃって」

「はい?」

「つまり、その、……性病」


 男の言葉に、美智子は心の中で「あぁ」と呟いた。


「で、病院行きたいんだけど、保険料、下りるんだよね?」

「はい。遠藤様のプランであれば、性病の疑いのある受診料、および性病と判断された場合の通院費、治療費はすべて保障の対象ですので、ご安心下さい」


 ――疾病特約。


 セックス保険の多くに備え付けられている特約で、性交による感染症に対応した保障である。


「良かった。しばらく風俗は封印だな」


 女性と会話しているにもかかわらずこんなことを口にすることに、この男の性に対する意識の低さが知れてしまう。

 こういった人間は得てして事故の履歴があることが多い。


罹患りかんのお心当たりは風俗店ですか?」

「あぁ。参ったよ。新しい店だったから興味本位で行ってみたんだけどね」

「なるほど。……遠藤様。差し支えなければ参考までに店名をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 ******


 翌日の朝礼――美智子の課では、慣習上何時の開始であっても業務前の連絡会のことを「朝礼」と呼んでいる――で、落合課長が課員に向かい注意を促した。


「ここ最近、疾病保障の支払いが増加しています」

 背の低い落合課長が薄くなった髪を撫でながら静かな口調で話を続ける。

「皆さんご存知の通り、疾病保障は等級が上がりません。つまり疾病保障の支払いが増えるということは、会社にとっては不利益以外の何物でもないということです」


 ――つまり、しっかりとヒアリングし、顧客に落ち度がないかを調べろ、ということだ。


「ねぇ、ねぇ。美智子」

 隣の早苗が肘でつついてくる。課長の落合は気付かないまま話を続けている。

「なによ」

 美智子が小声で返す。

「最近の疾病保障の原因で、ある【風俗店】の名前がよく上がってるらしいのよ」

「……それ、もしかして」


「ビバリーヒルズ」


 二人の声が揃った。


「なんだ、知ってたの?」とつまらなそうに早苗が口を尖らせる。

「ううん。たまたま昨日の顧客が言ってた店名だったから。でも、ってことは……」

「そう。……【ゲンゲン】の出番ってこと」

 そう言って早苗はいたずらっぽく笑った。


 ******


「で、今回の調査はこの店?」


 白髪交じりの中年男性が書類に目を通しながら美智子に問いかける。

 年齢の割にはがっしりとした体格で、小麦色に焼けた肌はツヤツヤと光っている。


「はい。ここ一か月のうちに五名の顧客が同じ店名を挙げました。それが、そこです」

「……ビバリーヒルズねぇ。青春白書とは大層な名前だなぁ」

 そう言って男は口角を上げた。

 肌との対比も相まって、白い歯がやけに光って見えた。


「お願い出来ますか?」

「お願いもなにも、これがおれの仕事じゃねぇか。まぁ、経費で風俗に行けるなんて役得にもほどがあるがな」と男は軽快に笑うが、美智子は愛想笑いすら返さず冷たい視線を送る。

「そもそも、最近の男はなんだ? すぐに保険保険って。男だったら性病の一つ二つはもらってこそ一人前だろ」

 そう言って男はガハハと笑う。


「その言葉には一つも賛同出来ませんが」

「まぁ、そういうなよみっちゃん。今度一発どうだ? 他の男じゃ満足出来ない身体にしてやるぞ?」

 その言葉に、美智子は大きくため息をついた。

 しかし、この下品な男にその能力があるのも紛れもない事実であった。


 この男の名はみなもと源次げんじ。ふざけた名前だと思うかも知れないがれっきとした本名である。


 その名が表すかのように、体中からギラギラと雄の匂いエネルギーを醸し出している。


 それもそのはず。この男は元AV男優で、業界ではそこそこ有名だったらしい。

 そんな男が保険会社でなにをしているかというと、その性知識や人脈を活かして、今回のような風俗店の調査など特殊な案件を担当とする特別な調査員をしているのだ。


 そして、源に調査依頼をするときは女性相手のほうが話が早いという理由から、今回の美智子のように適当な女性社員が依頼に向かわされるのだった。


 ――全く、セックス保険会社のくせに、ここのセクシャルモラルはどうなってるのよ。


 美智子は呆れるようにもう一度大きなため息をついた。

「ガハハ。そう邪険にすんなって。大丈夫。仕事はしっかりするからよ」

 そう言って源は目配せをした。


  ******


 夜の繁華街は煌びやかなネオンにより昼間よりも明るく感じてしまうほどで、そこかしこから楽し気な喧噪が聞こえてくる。


「社長! おっぱいどうっすか?」


 スーツを着た金髪の男が声を掛けてきたが、「残念。今日のアテは決まってんだ」と笑顔で手を振り、源は目的の場所へと向かった。

 目的地のビルを見上げると、赤や紫に光る看板がやけになまめかしく並んでいる。

 まさしく、男の欲望を掻き立てる誘虫灯ゆうちゅうとうだ。


【ビバリーヒルズ】と書かれたその店は、二階にあった。


 人ひとりがやっと通れるほどの細い階段を上り、看板が掛けられた扉を開いた。


「いらっしゃいませ」


 受付カウンターにいた黒服が源に笑顔を向ける。髪をオールバックにした若いその男は、ピンク色の間接照明のせいか、やけに血色がよさそうにも見えた。


「当店のご利用は初めてでしょうか?」

 カウンターを探るように目線を動かしていた源に男がラミネートされたメニューを差し出してきた。


「あぁ。新しい店だって聞いたもんでね。……システムは?」

「ありがとうございます。基本料金はこちらに書いてある通りです。もしオプション等をご希望でしたら、こちらをご参考下さい。……女の子のご指名はどうされます?」


 そう言って黒服はカウンターの下から女の子の写真がいくつも載ったファイルを取り出してきた。

 源はそれをちらりと見た後、黒服に笑いかけた。


「おれは写真は信じない主義でね。それよりも、新人で若い子はいないか? 入りたてであればあるほどいい」

「……お客さん、通ですね。それならちょうどこのミホちゃんが。本日初出勤で……」

 そこまで言ってから黒服が顔を寄せて小声で続ける。


「十八歳になりたてのウブな子ですよ」


 黒服の言葉に源は思わず吹き出してしまう。


「なるほど、そいつはいいな。じゃあ、ミホちゃんで頼むよ」

「ありがとうございます。それでは、後ほど向かわせますので隣のビルのカウンターでこちらのチケットをお渡し下さい」

 そう言って差し出されたチケットを受け取り、源は店を後にした。


 ――ワンナウト、だな。


 扉を出た源は心で呟き口角を上げた。



 隣接されたビルの一階に、小窓のついたカウンターがあった。源は言われた通りカウンターにチケットを差し出す。

 中からにゅっとしわくちゃの手が伸びてきて、チケットを受け取ると、代わりに部屋番号のついたルームキーを渡してきた。


「エレベーターは左の奥ね」


 しわがれた老婆の声を置き去りにして、源は鍵をくるくると遊ばせながら部屋へと向かった。



 指定された部屋はビジネスホテルのシングルルームと同じような広さだった。

 店舗型の風俗店が少なくなってきた昨今、営業形態として多いのがこのような別の場所でプレイをするホテヘル形式だ。

 様々な店(母体は同じ場合も多いが)の客が皆ここに案内される。


 源は鍵をベッドわきの棚の上に投げると、備え付けの小さな冷蔵庫からビールを取り出す。良く冷えているようで、掴んだ指先にわずかな痛みにも似た感覚を覚えた。

 ベッドに腰を下ろすと、カシュッと小気味よい音を立てて缶を開け、ごくりごくりと喉を潤す。


 ほどなく、部屋のチャイムが鳴り、源は腰を上げてドアを開いた。


「こんばんはぁ。ミホですぅ」


 まだ幼さの残るその顔を厚化粧で台無しにした女が源に笑顔を向けた。甘ったるい香水の香りが源の鼻孔を刺激する。


「やぁ。待ってたよ。どうぞ」

 部屋に招き入れると、ミホはカバンを置き「何分にしますかぁ?」と問いかけてきた。


「そうだなぁ。それじゃあ90分でお願いしようかな」

 源が笑顔で答えると、ミホは電話を掛け出した。

「……あ、もしもしぃ。ミホでぇす。90分コースで。はい。はぁい」

 源は大人しくベッドに腰掛け電話が終わるのを待つ。


「それじゃあ、前金で二万六千円になります」

 ミホが笑顔で手を差し出してきたので、源はサイドバッグから財布を取り出し、札をミホに手渡した。


「ありがとうございまぁす」


 癖なのかキャラ作りなのか、異様に甘ったるく伸ばした語尾が気にかかるが、源の今日の仕事は調査なので、頭の回転は緩ければ緩い方がいいと源は心の中でひとり笑みをこぼした。


「それじゃあ、先にお風呂入りましょうかぁ」


 そう言うとミホはなんのためらいもなく服を脱ぎ始めた。

 欲情をあおるようなレースのついた真っ赤な下着が現れ、その姿を楽しむ間もなくミホは生まれたままの状態になった。よく見ると、右の太ももの外側あたりに蝶のタトゥーが入っている。


 艶やかに張った胸を見る限り、黒服が言った年齢に大きな嘘はなさそうだと源は考えた。


 源も慣れた様子で服を脱ぎ、ミホに手を引かれながら浴室へと向かう。

「はい、先にうがいお願いしますね」

 小さなコップに入れられた茶色の液体を手渡されると、源はそれを口に含みうがいをした。

 口いっぱいに薬品とミントの香りが広がる。

 その間に、ミホはお湯の温度を確かめ、ボディソープを泡立て始めた。


「ミホちゃん、今日が初めてなんだって?」

 身体に泡を塗りたくられながら、源はミホに問いかける。

「そうなんです。だから、あんまり上手くできないかもですぅ」

 上目遣いで源を見ながら、しかしその目には確かに不安の色が覗いていた。

「ははっ。大丈夫だ。ミホちゃんみたいに若くてかわいい子とイチャイチャできて喜ばない客はいねぇよ」


 源は本心からそう言っている。


「えー、嬉しいなぁ。お客さんは結構慣れてるみたいですけど、常連さんなんですかぁ?」

「ははっ! 常連っちゃ常連かな」

「えー、それじゃあ今日はお客さんに色々教えてもらわなきゃ」

 娘とさほど変わらぬ年頃のミホの言葉に、源は思わず笑みを零した。


「そうだ。ミホちゃん、緑色のカードって見たことある?」

 されるがままタオルで身体を拭われている間に、源はなんとなしに聞いてみる。

「緑のカードぉ……? お店のポイントカードかなにかですかぁ?」


 ――ツーアウト。


「いや、わからねぇならいいんだ。……早くベッドへ行こうぜ」

 そういうや否や、源はミホの身体を抱き寄せその唇に吸い付いた。

 強引で、それでいて優しく。源の唇が若い女の心まで包み、溶かしてゆく。


「……ん。……お客さん、キスめっちゃ上手」

 心なしか潤んだ瞳で呟くミホを見て、源の心もたぎってくる。

 ミホの腰に手を当てたままベッドへと誘うと、そのままゆっくりと押し倒す。


 ――さぁ、プロの実力、お見せしましょうか。


 源は笑みを浮かべると、ミホの身体に優しく愛撫あいぶを始めた。


 開始当初はくすぐったげな笑みと声を上げていたミホであったが、そのうちだんだんと呼吸が荒くなり、ほどなく、顔を真っ赤に染めて喘ぎ声を上げ始めた。


「あっ! おきゃくさっ! こんなっ! あっ! いやっ! あぁぁ!」


 ミホの腰がひときわ大きく上がったのを見て、源はいったんその手を止めて女の顔を見た。


 ミホは初めて味わう快楽に全身を震わせ、苦しそうに息を繋いでいる。恥ずかしいのか腕を目の上に置き顔を隠していた。


「……こんなの、……初めて」

 ほとんど泣き顔のような表情で呟くミホに、源は微笑み優しくキスをした。

「……ねぇ、お客さん。……ホントはダメなんだけど、私も欲しくなっちゃった。プラス一万でどう?」

 源の手を自身の股間にあてがい、ミホは耳元でささやく。

「いいのか? ゴムなんてねぇぞ?」

 源はその答えを知っていながらあえて問う。

「……いいよ。……早くヤろ?」


 ――スリーアウト。


 源は思わずこぼれてくる笑みを悟られないように、ミホに覆いかぶさった。

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