26


ーー鱰(しいら)。櫂剣を支点とし、剣を振るのではなく寧ろ剣に振られるようなカタチで横っ飛びに反転しつつの“蹴り”“。その魚が頭部を軸に水面を切り裂いて飛ぶ姿になぞらえていた。

屍人形の頭が二体、まとめて砕かれる。カワナの『氾流』は戦闘術、必ずしも剣を当てる技ばかりではない。そのまま崖じみた坂を駆け抜け、ジャンプしてゼラの箒に、片腕でぶら下がった。恐るべき身軽さ。だが、じつはここまでカワナは殆ど全く『風使い』の魔眼を閃かせていない。つまりここまでは、純粋な体術のみ、ということだ。


「ゼラ、セイジさんに怪我はない?」

「大丈夫! だよねセイジ?」

「あ、は、はい! なんか、じつは多分むこうの人っぽいのとなんというかエンカウントしてたんですけど、ダッキさんが来て助けてくれました」

「ダッキは?」

「いなくなっちゃった」

「そう。ゼラ、も少し高く」

「ダッキは多分マーガレットとスミ先生を守ってる。博物館の周りに潜んでるんじゃないかな。ここは緑が豊かだもん、あの子がその気になったら人の目には見つけられないまま延々とどこでも動けるよ。――いた」


ゼラが魔眼を閃かせて箒が勢いよく高度を増す。

スノーボードバックに詰めて持ってきていた特大箒はセイジとゼラが並んで腰掛けてもまだ余裕のあるサイズだが、カワナは箒の上にあがろうという気はないらしく、相変わらず片腕でぶら下がったままだった。

普通の人間、まして女性ならばとてもじゃないが片腕で体を支えられる速度ではないから、ゼラの乱暴な飛行にセイジは驚いたが、カワナがどういう存在か知っているゼラは見ることもしなかった。

「……ちょーっと予想してなかったのが来てるわねえ……」

 船着の港に激突し、港も自らの船体をも半壊させた鉄くずになりかけの船の上に、仁王立ちする魔女の姿がある。勿論クルセスカだ。

 まるでハリウッドあたりが作った海賊映画の、その二匹目のドジョウでも狙った映画みたいな格好をしている。

 空からのカワナを認めると、腰に刺していた舟剣(キャプテンサーベル)を掲げ、凄絶に笑みかけた。サーベルの切っ先で十字を切って落とす。古式ゆかしい海上における宣戦布告のサインだ。


「……いつか来るだろうなと想像はしていた人だけど、まさか今日、こういう風にこういう時にくるなんて――相変わらずだわ」

「カワナ知り合い? ていうかあれ女? 男? どっち?」

「男」

「あ、元カレ? だったらちょっとイケメンじゃん、ケバいけど」

「嘘。女」

 セイジはこの師弟のやりとりに隣で二度もぎょっとした。

「ゼラはセイジさんから離れないようにして。基本はディフェンス。オフェンスは私がやるわ」

「おーけ。ていうかカワナ、どうせ守るの超苦手だもんね」

「苦手ってほどでもないわよ、ただ攻め込むほうが得意なだけ」

「あいつって、それ知ってんの?」

「ええ、多分」


 しかしどう見ても、相手のとっている構えは守り、というか待ち構えだ。

川魚の得意手が攻めと知っていながら攻め込ませるのを選んでいるのだとすれば、なにかしらの罠か策がある。

大勢の屍人形をけしかけてはいるが、本体ともいうべき『人形遣い』は船から姿さえ見せていないし、クルセスカも空を舞うカワナらになにやら――ボディランゲージ? らしきことをしているが――そこか動いて攻め込んでくる気配はなかった。


「あれなんて云ってる?」

「――えーっと……『やっほー元気だった。私は元気、元気。全力で女同士。やろうぜ。ギャルピース』――ね」

「……『さっさと降りて、こっちへこい。イズミカワナ』だと思いますけど……」

「そんなに短いですか?」

「ま、まあ、とにかく好戦的な感じは間違いないのではないかと……」

 ふと、カワナがゼラを見た。

「ゼラ」

「なに?」


ぶら下がっているから、カワナの視線はゼラを見上げる形になる。カワナを見下ろすなんてはじめてかもしれない、とゼラは思う。


「たとえばの話だけれど、自分や周りの未来の結果が分かっているとして。それでもお前は戦える?」

「……なに? どうしたのカワナ」

「いいから答えてみなさい。あるいは――ゼラのお母様だったら、どう言うと思う?」

「……――たとえば『魔法使い』が、いつ来るか分かっても、いまのあたしには勝つ手が分かんない」

「そうね」

「それでも、あいつが目の前に来たら、あたしは殴り掛かる。我慢は、たぶん出来ない。あいつはあたしの家と両親を侮辱した。それをあたしは忘れてない。あたしにセイジの前で恥もかかせた。逆恨みだけど恨みは恨み。許さない」

ゼラの表情が澄みきっていた。セイジは知っている。空を舞うラクダを燃やし、エレノアを陵辱しセイジに激昂したときのゼラの瞳だ。

ゼラという人間の根本のところにある一面の顔――レーベルウィング。

「――『勝つか負けるか』と『戦うか戦わないか』は、そんなに関係ないことです――。――」


 ゼラの声ではなかった。

 同じ人間に聞こえなかったのだ。

ゼラの中、今はもう前よりも深くにいるレーベルウィング(ゼラの母親)が、ほんの一瞬ゼラの表面に。氷湖に泡が浮かぶみたいに上がって、一瞬ゆらぎ煌めいて、儚く消えたかのようだった。

「んふふ」

カワナが笑った。出会ってまだ間もない頃は、ゼラをいつも“こう”なっていたから。懐かしくて。

「……今日のゼラは、ホントに、なかなかいいわ」

カワナの嫋やかで、舌の上で色を転がすようなあの笑い方。切れ長の瞳を柳の眉で彩る美貌の頬に汗で黒髪が張り付いた。昂りで体温が上がっての発汗だった。

(本当に、なんて楽しそうに殺気を放つんだろう、この女(ルビ:カワナ)は)

「久しぶりに、好きで得意なことを楽しんでこよう。力押し、力尽きるまで」

 カワナがふいに、ひょいっ、と体を持ち上げ、セイジの髪の毛をなでた。ほとんど反射的に抗議のチョップを食らわせようとしたゼラの頬を、同じように撫でた。

 カワナが箒から手を離す。

「じゃあ、ゼラ、セイジさん、いってきまぁす、ね」

 かなりの高さから自由落下していくカワナに思わずセイジは声をあげたが、ゼラはイチミリだって追いかけようとも心配しようともしない。

 首を真下にして堕ちていく。

地面につく寸前。

鳶色の虹彩に刻まれた『風使い』が閃いて、どうっ、と落下地点の大地が砕けた。

 簡素とはいえ舗装されていた地面が、受け身でもとるみたいに後ろ手ひねりでぶち当てた櫂剣によって破砕されて、弾丸じみた速度で飛び交う破片が群れなして待ち構えていた屍人形らを引き裂いた。

 それでも恐れどころか命もない屍兵たちが、爆裂の土煙めがけ凝集しようと蠢く。

 土煙からカワナが飛び出した。低く落とした膝の発射台から、体ごとぶつけるかのように。

右手で柄頭を掴んだ異形の片手突き――地に這うその有様から“待ち”の狩りをするものと思われがちだが、その実は水面にまで身を躍らせ餌を噛み殺す、その様に擬えて――氾流ではこの突きを『鮃』と呼ぶ。

 2つ、3つ、屍兵の胴体を櫂剣が貫通した。

 風をまとわせた懐剣を引き抜くとカマイタチでも生んでいるのか、貫き穴は広がり四肢をバラバラにする。『人形使い』は「人の形」を操る魔眼。「人ガタの肉の塊」から「肉片」にまで破壊せねば数は減らない。

 振り向きざまに逆手構えの『船頭が櫂を降ろしているような』構えになったカワナが、そのまま一拍子に連撃した。

 その連撃は、上から見ているセイジにすら、カワナの姿が数秒、消えてみえた。

 ――幽霊魚という忌名のとおり、ただの今まで命の気配すらないと思えた水面に、瞬きの後には白銀埋め尽くす刀が群れ浮かぶ、その様に擬えて――

魛(太刀魚)。

 カワナがその歩法を緩めた瞬間、10に迫る数の屍兵がまた砕け散っていた。

「……あんな……」

セイジの喉から、声が漏れた。

無論、屍の兵たちは無抵抗ではない。銃に鉈にと武装し、動きも緩慢どころか、ナマジの生きた人間の兵より命を守らないぶん、鋭く思い切った攻め受けをカワナに仕掛けているのだが、しかしカワナはそれらを全く意に介していない。いや、そもそも裁くことも受けることもしていない。

ただ思い思いに叩き潰していってるだけといった感しかない。

 そもそも『氾流』は剣術ではなく破砕と戦闘の“仕方”なのだ。敵対する何者かのあるいは磨いた技術を、あるいは決死の覚悟を――一切とりあわず圧殺することが『氾流』にとっての『闘い』。

 流れに『氾』という暴れ川を表すその一文字を添える通り、対話不能、人の慮外に君臨する厄災となることを極意としようというのが『氾流』。

対多数の攻めこそ得意中の得意だ。その有様は、端から見ればあまりに一方的な、まさにただの災害だった。

「あんな人……だったのか……」

「野蛮な闘いかただよね、引くわー」

「……悪いけど同意しちゃうよ」

「まともな魔法使いからしたら冗談じゃない戦い方だよ、要は棒で殴ってるだけだもん。普通に暴力って感じ? でもつまり、魔法使いは“嫌”なんだよね。ああいうの。この国にカワナより上の魔女はいくらでもいるかもしれない、でも川魚と殺しあって勝てる人間は殆どいないよ。ーースミ先生くらいかな」

 セイジがiPhoneを取り出し、いくつかのファイルを確認した。

次に腕に巻いたデジタル時計を操作し――千円少しで買えるようなカシオ製の安い、しかし世界を席巻しているモデルだ――時刻と、さらになにかを確認した。よし、いけそう、と呟く。

「ゼラさん」

「ん?」

「この前すこし話してた、あの、なるべく早く戦いを終わらせることが出来そうなあれを持ってきてるんだ。この島でも出来そうかも」

「……セイジ、あれやるの?」

「時刻も天候も理想的だ。島という条件は実際のところ仮に予想外の効果があっても被害が最小限で済むし、出来ればこんな状況はそんなに多くない」

「セイジ」

「今日は月と地球の距離も良いし、なにより年末だから日の出の時間がとても正確にわかってるんだ、だから――」

「セイジ、試したいの?」

 その言葉をゼラがあえて選んだ意味が分からないセイジではない。

「…………………ああ、そうだ。試そう」

「ん。おーけ」

「ゼラさん、これ……。ッ――ゼラさんッ!!!」

 セイジが叫び、殆どそれと同時かあるいはそれより刹那はやく気づいたゼラが箒を急旋回させた。

 瞬間前までゼラの頭があった空間を、凄まじい速度の何かが貫き飛び去った。空気を震わせるほどの速度だ、もし当たっていたなら首の骨をおるどころか首そのものを吹き飛ばしていたかもしれなかった。

「Paholainen hevonen(ルビ:悪魔の馬)――ッ!!!」

ゼラが魔眼を閃かせ放った令を受け、周囲を旋回していた箒達が火花をあげて回転しつつその何かを自動追撃する。

「大丈夫か!?」

「大丈夫! ちょいビビったけど……! 今のなに……」

 撃墜音、あるいは迎撃音が連なる。

「――Brilhante Peixe Pavão――!!(※ルビ:華麗なる孔雀魚)」

狂馬と化して追った箒、それら全てを迎え撃ち相殺したのは肉食魚の如く翻り舞った――傘。

「あたしの相手っぽいのいるじゃん、ちゃんと」

 引き裂かれた布地が、骨組みが。

焦げ砕けた柄が、穂が。

ハラハラ混ざり合い舞い落ちていく。

しかしその魔女が指す日傘に遮られ、その下にある銀と桜色のヴァンキッシュな髪を汚すことはなかった。


「……傘?」

「――箒?」


ゼラが見下ろした。

フアヌが見上げる。


「……『傘使い』……」

「……『箒使い』……」


腰掛け、箒越しに見下ろすゼラはそれが当然としても、優雅に日傘を傾けて真っ直ぐに見上げるフアヌのそれは、物理的に下からだというのが信じられないほどに“上から”だった。

「よりによって傘……? なんでそんなもんで飛ぼうって思ったかな……」

「なんで箒ですの……? 地を這ってんのが箒の仕事ってやつでしょ……」

 柔らかく明るい色の髪を肌に透けさせる魔女。

スカートから延びる長い足。

鮮やか過ぎる色の髪を体に揺らす魔女。

使い魔とするは、かたや箒、かたや傘。

なのにどちらも身に纏うのはアジアの島国の学生装にプラスすることの古めかしいマジックローブ。


「なんでだろ。なんかムカツクあいつ」

「気に障るったらありゃしませんわね」


 確信めいて。

セイジは嫌な予感がした。


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インスタント・マギ Prince of Carameliser(砂糖菓子の王子) 青木 潤太朗 @Aokijuntarou

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