25
あえてケチを付けるなら八重歯がそれほど――牙(ルビ:ドラキュラ)というほどには目立っていないのでは……もはやその一つくらいしか、ガブリエラ・カーネーションの見た目に『吸血鬼』らしからぬところはない。
「……あなたは、錬金術師のガブリエラ。高名は届いている。光栄だ、僕は――」
「グリフォニカ。そちらの言ってることが気にいらないわ。どうかしら?」
「――反論ならむしろ歓迎する。もとより話し合うつもりで僕も――」
「坊やは下手くそね」
「は」
深紅の花を名に持つその魔女のビジュアルは、なにもかもが徹底されて、ひたすらにどこまでも『欧風吸血姫(カルナミダラ)』で統一されていた。
金色を超えて黄色く透き通る三日月色の髪。
幽鬼的な顔立ちに暗君めいた笑みを浮かべた、赤い(※ルビ:スコーピオンレッド)ドレスの女のその周りを、蝙蝠みたいな影がチィチィと可愛らしく飛んでいる。
あまりに「らし」すぎて、冗談にしか見えない。
恐れを知らぬ最低な表現をするならば『ハロウィンとかで見るコスプレのあまりにも凄まじいやつ』とも、言えなくもない。
だが、それでも。例えば冗談みたいなものを見て冗談みたいだと笑えるのは、それが偽物だと分かっているからだ。ぬいぐるみみたいな熊と熊のぬいぐるみでは、当然ながら全然違う。
少なくともここにいる者は皆知っている。
この吸血鬼が冗談でも偽物でもないこと。
このカルナミダラは、本当に。人の血を吸い、爪と牙で噛み殺し闇に屠る。蝙蝠やら吸血虫やらを操り、黒々しくドロドロとした眷属を遣い、気まぐれに敵味方とわず血の雨を降らせては無責任に笑い転げるということを。
最も、仮にも【会】の場に来るべきでない、来てほしくない一人だった。
「私がそれらしき理由を述べればご満足? 理路整然と? それとも意味不明な? 錬金術師として魔道士の言葉には従いたくないの、とかいう感情的な理由とか、有事にこそ休戦を申し出ておいて油断を誘わせる常套手段だと疑っているの、とか?」
「サー・ガブリエラ、なにを言っているんだ。分かるように話してくれ。僕にも、僕以外のみんなにも。仮にも理を志すという錬金術師だろう、貴方は」
「ひょっとしたら今朝のザクロジュースが今ひとつ美味しくなかったからそれの八つ当たりなのかもしれないし、普段は寝ている時間なのに起きているからそれで機嫌が悪いだけなのかもしれないわ」
ガブリエラが魔眼をパチリと閃かせると、コウモリたちがガブリエラの三日月色の髪を揺らし舞いながらキュイキュイ笑うようにさえずった。まるでガブリエラの代わりに嘲ているようだ。
「いいえそれよりも、グリフォニカ。お菓子の国の王子様は、感情に全て理由があると思っているの? こうこうこうだから、こう思う? それそれそれがあったから今これこれこう思ってる? そんなにサクサク、お菓子みたいに分かりやすいって? 本当に?」
「……ガブリエラ。真意を教えて欲しい」
「今の私のことなんて、今の私に分かるわけないじゃない」
タナベがなにか楽しそうに俯いた。
どうも妙な流れになってきてしまいましたね――ローランドが母国語でつぶやいた時、ユナが何かをトウスイと、ローランドにも分かるように合図した。すくなくともススキノハラから聞かされていた情報のなかに、ガブリエラの名はない。
「八つ当たりに可愛い男の子を虐めて泣かせたいだけなのかもしれないし、機嫌が悪いからそっち(魔道士)もこっち(錬金術師)もとにかくちょっと困らせてやりたいだけなのかもしれない。明日には余計なこと言わなきゃよかったなあ、って思ってるかもしれないわ。あはふ」
吐息であえぐような笑い方、とでもいうか。嘲りの意もなければ好戦というでもない、ただどこまでも透明な笑みだ。
「でも、そこ、そこはどうでもいわ。私は、ただ『気に入らない』と、そう言っているの。そう今は感じているの。だからあなたが休戦というなら、それは嫌。あなたの言葉が通りそうなこの今の空気、これが嫌。嫌の理由なんてどうでもいい。甘いお菓子の王子様。私はあなたに『分かってもらいたい』なんて思ってないわ、あなただけじゃない、誰にも。自分にも」
幾人かの魔女がカーネーションにつられて笑んだ。それはきっと舞台で演者が笑んだ時、無意識に笑む観客のそれと同質のものだった。
「王子様は魔女の美徳はご存知?」
「……『慈悲』、『探求』、『悪意』」
「そう。『気まぐれ』。『思いつき』。『八つ当たり』」
誰かが、あるいは何人もが微かに息を漏らした。感嘆、納得……きっとそれはそんなに単純なものではない、反響の音色。
「魔女は感情が全てということよ。それがなぜかなんて理屈は、どうでもいいわ。そういう『知恵の真似事』は、男同士でやってちょうだい」
「貴女は本当に錬金術師か……!? 感情に流されるのは、愚か者の振る舞いだ」
「坊やは『愚か』がそんなに怖いの?」
グリフォニカの膝からとうとう微かながらも力が抜けた。
「魔法使いというのはね。今やそもそも『愚か』じゃないの。全ての魔法使いが、ありえない話だけれど? 共闘したとして。普通の人間の世界が科学兵器で本当に襲ってきたら総の力で勝てはしないわ、もうだいぶ昔から。最後の砦の魔眼も、そんな科学に破壊されつつあるのじゃないの」
シンセサイザーを思わせた声なのだから、そもそも通りの良いはずはない声(ルビ:テルミンボイス)。さらにカーネーションの語りはそのうえ常にキュイキュイと蝙蝠(のような影)達の囀りとハーモニウムしていて、ともすれば耳障りに響く。
「それでも、そんなでも。魔法という特別でありたいから、異端でありたいから、世界から落ちこぼれた存在でありたいから。滅びが眼前に迫っても、儚いものに美しいと嘆いて、しがみついているのじゃないの。『愚か』が嫌なら魔法使いなんて、やめたら良いわ、グリフォール」
それをカーネーションは厭わない。
聞こえなくとも聞きづらくとも、煩かろうが耳障りだろうが、なんの問題も意味もない、そもそも聞いてもらわなくても良いとすら思っているのだろう。
誤解することもされることも。敵視することもされることも。おそらくは、差別も排除も扇動も、それらをすることもされることも、一切合切をこの魔女は厭わない。
その厭わない様が本当にどうしようもなく万事に揺らがず始末に負えない。だから『鬼』でなく『姫』の銘が、この耳障りな声と道化じみた出で立ちの女に、満場の愛憎とともに冠されているだった。
「なあ。キミ」
だが姫の声は、唐突に遮られた。
その声の主が『毒使い』イブハノンであったから。いかな演奏も火災警報が点灯すれば打ち止め。熱狂も心酔も『危険』の前では儚かった。
「やめなよ。子供だぜ」
イブハノンは眉間にしわ寄せていたが、威圧するような風ではない。
蝙蝠たちが囀りをひたりと止めた。クシャミ一発でここにいる魔法使いのほぼ全員が緊急避難しなければならない状況を作れるハノン。
それは恐らくカーネーションでも何もせず無事で済むことはないだろう。
「私にいってるの?」
「……そりゃあ、君しか喋ってないだろう」
「そこの顔色の悪い人。あなた確かなかなか有名人よね? ああそれよりも、私がその子とそんなに歳が離れて見えるのかしら」
「いい大人が子供相手に……本気になるならともかくイジるような真似はよくない……あと、女の子の『歳』は見た目や年月じゃない、心だよ……君は老けてる」
「あら。失礼な」
薄暗い雪と氷の造形物の中心で、座り込む黒尽くめのジャケットとブーツを着込み打落ちぶれたロックスターみたいな壮年の大男と、見下ろす赤いドレスのドラキュラが対峙している。壮絶にシュールだった。
「老けてる、なんて初対面の男から言われた。乗り込んで暴れたほうが良いかしら?」
「……ちょっと声かけられただけで初対面の男に乗り込むの……?」
「私は尻軽女じゃない」
「僕も尻軽男じゃない」
あはふ、とカーネーションが笑った。
ハノンが仕方なさそうに、ハハァ、と笑む。キャイキャイキャイキャイキャイキャイ。とコウモリたちが囃すように鳴いた。
「でもちょっと気分がよくなっちゃったわ」
カーネーションがそう言いうと、くるりとハノンに背を向けた。これまで牙のように剥き出しにしていたカリスマをスイッチでも切るみたいに消していた。
蝙蝠がカーネーションの髪にまとわりだす。
「久しぶりに喋るだけ喋って何日分も喋った感じ。可愛い子をいじめて楽しかったし、お洒落した男と話せたし。帰ろうかな」
「Wait!!」
「待ちなさいカーネーション」
慌てて声を上げたのはローランドとトウスイだ。今にも蝙蝠の群れになって霧消しそうだったカーネーションが面倒くさそうに振り返る。
「あら、はじめまして、かしら?」
「『はじめまして』ジャナイデスヨ、バーカ! バカ! ハハノヒ! バカ! アナタ! 何シニキタデスカ!? 私キイテナイノデスヨ! ススキノハラ先生二私イイツケマスノOK!? 怒ラレルヨ!? 怒ラレル時ナラバ同席デスヨ!? OK!?」
ようやく場の空気が緩んだことに、幾人かの魔法使い達は安堵のため息を漏らしていた。ハノンとカーネーション、もしこの二人が何かしらの闘争になろうものなら、巻き添えを食らうことを凌げる者もいれば、そうでない者もいたからだ。
錬金術師(みかた)に詰め寄られたカーネーションが、
「あっつ苦しい女が二人そろってよってたかって涼し気な私に詰め寄るのね。いじめだわ。これって私への嫌がらせ? ああ。そうだ、忘れてた」
なにか眉をおかしな角度にして――ぱちり、と、唐突に『闇使い』の魔眼を連続して閃かせた。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ほぼ同時、魔道士の陣営から悲鳴が重なり、くぐもった声が反響した。
一人、二人、いや、三人。
だが一人は最早すでに人の姿を保てていない。
魔道士のなかから三人が『闇』に襲われたのだった。
カーネーションの『闇使い』が操る粒子じみた暗黒の群れが人間を喰らっていた。蝙蝠の群れに食い尽くされる人間、というより、それはあまりのも凶悪過ぎる密度の蚊の大群の襲撃といった様相だ。
蠢きの下で、もはやその襲われた何者かが生きていないことは確実だった。仮にも彼らも魔法使いであろうに。完全に瞬殺だった。
「カーネーション! ここがどういう場か分かっているのか!? 戦争を起こしたいのか!?」
「あなたの伴侶を侮辱した奴らよ。蝙蝠は耳がとてもいい」
グリフォニカが息を呑む。
「――。ついさっき、ああもう、わりとさっきだけれど。ススキノハラスミと、インスタント・マギが、魔道士から襲撃されたの。面白そうなスジから、面白そうな話をきいていたものだから、蝙蝠をそちらこちらに飛ばしておいたのだけれど。それでね。そうそう、これをいちおう伝えに来たのだったわ。可愛い坊やを虐めるのが楽しくって忘れちゃってた」
そして彼自身、自分がこのなか(星夜会)で最も動揺を晒したことが――グリフォニカ以外の魔法使い達がこのカーネーションの言葉を、思いの外に冷たく受け止めたこと。さらに言うならば、カーネションがついでとばかりに敵陣営(賢者の集い)の魔法使いを三人も害した事実も――グリフォニカはもしそのようなことが起これば戦争になってしまうとすら思っていたのに、そこまでの衝撃を及ぼしていないことも。彼にとり、二重、三重の慮外だった。
「首謀者はラムジェシカ・アーヴォガスト。『人形遣い』のアーヴォガストだったかしら。たしか、これもちょっと有名な子だった? 場所は、日本の小さな島よ。ちなみに一般人の住民や目撃者はいないみたいだから、その手の処理もそんなに急がなくていいんじゃないかしら」
「――グリフォール卿」
じゃらり、じゃらり、と。
硬質な金属が擦過するそれだというのに、不可思議にも耳に心地よい音色を立てながら、その魔女は慇懃に挙手までして呼びかけた。
「発言の許可をいただけますか。グリフォニカ・グリフォール様」
そしてその魔女は、そんな優美な態度と声にはそぐわない、なんとも野趣のあるドレスだった。いや、ドレスと称して伝わるかは怪しい。
最外の布地だけは恐らくベルベッドの類なのだが、ところどころが、それも主に女性の豊かな膨らみのある箇所に集中して引き裂かれたように肌が露出するデザインで、さらにはその肌が覗く部分から、なんと大小、様々なサイズの鎖がドレスを突き破ってあちこちに繋がっているのだ。
それは肩からも、首からも、髪に隠れて耳たぶやらからも勿論、更には腰回りや股間、胸の突起のあたりからもそれが見える。もし体に直接ピアス的なもので繋いでいるのだとしたら、全身にそれの穴があるはずだ。
これがファッションだというなら、淫らといえば確かに凄まじく淫らではあるのだが、それより大概の者は恐怖に近いほどの気後れをするに違いないセンスだった。
きっとその気になればその豊かな肢体でもふわっとほぼ隠せるのではないかというくらいにボリュームのある金髪と、その髪より何倍も半径が広い、きっと真上から彼女をみたらこれしか見えまいというほどにツバの巨大な帽子が、またビジュアルの激しさを増し、しかしなにやらシルエットを統一するのに一役かってもいるのだった。
「あなたは――」
「オーレレリア・ヴィルサルマン。『黄金のオーレレリア』と申し上げれば、いくらかの方には分かっていただけるかと」
オーレレリア、と名乗った魔女は、まるでグリフォニカを落ち着かせようとするかのように、そっと自らの胸元に手を添える仕草をして、ゆっくりと言葉を紡ぐように話した。
その名がある程度以上の力を示すであろうことは、夜会の空気からも自明だった。魔法使いたちの話し声が、ヒソヒソ話程度にまでは落ち着いた。
「ありがとう」
そもそも魔女には美しい顔立ちの者が多いが、オーレレリアのそれはまさに二つ名である『黄金』に相応しかった。
その髪は勿論、肌は常に仄かに紅潮しているような色合いで、とくに目の周り、まつ毛の豊かさと眼窩周りの血の色の透け具合は、なにやらとても濃密というか底なしに吸引力のある魅力があった。同じ色香に溢れる美貌でも、イズミカワナとはまさに正反対の趣といえた。それこそ川魚の和に対しての洋だろう。
「魔道士オーレレリアが『鎖使い』のヴィルサルマン家が銘のもとに明言します。――ただの今に伝えられた『人形遣い』のラムジェシカ・アーヴォガストによる行いは独断。魔道士の総意ではありません」
そこに前衛的の過ぎる鎖まみれドレスが被さっているものだから、全くもって一人だけ色調が違っているような存在感だ。
しかし恐らくはこのオーレリアくらいしか、いま目の前にあるカーネーションと、さらに言えばその後ろで座すハノンには外観の圧で対峙できる者はここにないのだ。
「私共も今に知らされ、そしてただの今に裏を確認しました。――これは我が盟友、ここにおります我が義妹『蜂使い』リンドアロエロイサと両名の瞳と銘をかけての発言。二銘の名誉の元、信を願います」
ふいに名をあげられた若い魔女、リンドアロエロイサは、一瞬ぎょっとした顔をして、おい、きいてないぞ、というようなことを訴えたが、笑顔でなだめるオーレレリアにあまり長く抵抗はせず、諦めたようにその場に座ってしまった。
「しかし、かの人形の妹君はも兄を懐ってのこと……アーヴォガストの嫡男は先の事変で命を落としました……無論、ゆえに理解と寛容を――というわけには、いかないでしょう。ならば星夜会の習わしに従いオールドスクール(時代遅れ)ではありますが――『休息(※ルビ:エスペランド)』を挟み朝焼け前にて収拾の諸々を――というので、いかがでしょうか?」
「ヴィルサルマン卿! 待ってくれ、それではあまりに――」
言いかけたグリフォニカの声と体が、ミスウィックの手でそっと引き寄せられる。
「間をおいたほうがよろしいかと。坊ちゃま」
「秘書さん、でも……」
「ここに居る魔道の者のいくらかは、ガブリエラ・カーネーションに共感しています。いいえ、共鳴とでも言いましょうか。今はヴィルサルマンに任せたほうが得策です。砕くならば『彼女らのように振る舞いたい』という気がある者が多い。そもそも全ての魔法使いには狂気への憧れがあります」
「……けれど、それを、僕はどうにかしたいんだ……」
「ええ。狂気への憧れは凡骨の常。坊ちゃまが正しい。私は分かっております。しかし今は従者が出しゃばる恥を冒してでも、坊ちゃまに私の愚言を聞いて頂きたい」
グリフォニカは思わず睨むような潤んだ目でオーレレリアを見たが、すぐに自ら気づき、改めた。
そんなグリフォニカを慈しむようにオーレレリアが目を細める。
「――錬金術師の『吸血姫』がこちらの三銘を屠った只今の所業に関しましては、然る後に然るべきをALIに求めます。求めはしますが――少なくとも今宵この場に置いては不問をお約束しましょう。――私オーレレリア個人の意ですがチャンドラー家の才媛は私の数少ない友人でありましたので――正直、胸のすくような想いでおりますし」
オーレレリアは反応を確かめるように、やはりジャラリジャラリと音を立てながらもゆっくり視線を全体に行き届かせた。
オーレリアの話し声はこれまでのどの魔女よりも明快で、しかしどこかユッタリとした揺らぎのある、素晴らしい音色だった。恐らくは天性のそれを明確に研ぎ澄ましたある種の弁術に近いものだろう。
そのまましばし、十分といえる間オーレレリアは、まだ他の誰かが声を上げること(※ルビ:レスポンス)を待った。
しかし誰も傍らの者に囁くような事以外はしなかった。グリフォニカのみが、何度か自らに憤るように動きかけたが、その度に無言でミスウィックが堅持した。
そしてその雑多な静寂を場の同意とみなし、オーレレリアがグリフォニカに目配せする。眉を震わせて、グリフォニカが議長として頷いた。
「魔道の友の皆も錬金の徒の方々(ルビ:ほうぼう)も同意と理解します。――では、『休憩(ルビ:エスペランド)』の間について。私共としても【毒使】だけは封印いたしましょう、皆、ハノン様にお茶を欠かさないように。誰が『散歩』するかはこの場ではお伝えできませんが――」
「僕が出るッ!」
ミスウィックを振り払ったのか。
あるいはミスウィックが止めなかったのか。
グリフォニカがそのピアノの声を弦が切れそうな音色に、悲痛なほどに響かせて、身を乗り出して叫んだ。
「グリフォニカ卿――」
「僕だッ! オーレレリア! “戦う”のは僕だけだッ!」
「……グリフォール卿、言葉を顧みて。『休息』と、『散歩』、ですわ。それを前もって言ってしまっては貴方だけが著しく不利に――」
「僕は妻を侮辱され、その上……見ろ。夫として妻に顔向け出来ない。――今の僕に冷静を求めるなッ!!!!!!」
「グリフォール卿……」
「僕が争う。これ以上はもう口で言わない」
「……」
「デシタラ、ALIカラハ私ガ『散歩』シマスヨ」
ひょい、と。
ピザでも注文するみたいな笑顔で、ローランドが言った。トウスイやユナ達に驚いた様子はない。こういう流れになったら決まっていたことらしい。無論、グリフォニカも一瞬たりとて動揺を出さなかった。
だが動揺していないわけではない、ただ推し隠していた。
「歩クノ、好きデス。――コレデドウデスカ?」
「……歩く者が互いに名乗り出てからの『休憩』ですか? まあ、新しいこと……」
「フェアデス」
「……ならば――錬金術師のあなた。こちらはALIに【夢】と【夜】さえ、お茶を切らさずおいていただければ、それ以上の注文は望みませんわ」
「アナタ日本語ウマイデスネー」
「ありがとう。語学は好きです。必要な半生でしたので」
「ワーオ。カッコイージャンデスネー。 ――【夢】だけでなく【夜】にまで楔を打ち込もうと言うなら貴女も歩いては駄目ではないの? オーレレリア」
ローランドが突如として口にした流暢なラテン語に、オーレレリアが目を丸くする。ローランドにとり日本語は第三外国語。つまり第二がこれ(ラテン語)だった。理由は他科目に役立つことと、ローランドの祖先(ルーツ)がイタリア系だからというのがあるのだが、にしても本当に、インチキ日本語の時とそれ以外の時では最早二重人格とかそういった類と言ってしまったほうが良いほどに雰囲気が変わってしまう。
「――お約束します(※イタリア語でルビ)。そもそも私はこの湖には残らないつもりです。そもそもがデシャバリすぎる真似ですもの。グリフォニカ卿の寛大に甘えすぎてしまいました。あと、ラテン語がお上手」
「ソデスカ。残念デス」
「残念?」
「ナンナラ『鎖』デモ『毒』デモ出シテクレテ良イノデスヨ? 私ハ構イマセン。アナタタチノルール違反、イッコー構イマセンデシタ。アトカラ負ケソウデテノヒラカエス、オーケーデスヨ。――アナドルナ? 魔道士ドモ」
にっこりと笑んだまま、果たして素っ頓狂な日本語でそれを口にしたのは、気まぐれだったのか、それともわざとだったのか。
瞳の奥には、本人が師と仰ぐカワナのそれと虹彩の色は違えど間違いなく同じ類の凶悪な光があった。
オーレレリアがそっとため息をついて『鎖使い』の魔眼を閃かせた。リンドアロエロイサが慌てて傍らに寄り添うよう。二人を包むように鎖がシャラシャラ音を立てて広がっていく。
「ガブリエラ」
ふいに、オーレレリアがカーネーションを呼ぶ。
黄金と真紅をそれぞれに自称する異様の魔女の対峙は、オーレレリアが欠伸をしていたカーネーションに向き直り、手を開いてゆったりと伸ばし差し伸べるカタチとなった。
握手の求めではない。
宣戦でもない。
それは招待のジェスチャーだった。
「ガブリエラ。あなたのファンになりました。今度、私の店(ペットラ)にいらして(※ペットラ:伊語圏で大衆食堂を指す。台所と同意でレストランを表す言葉としては最下位だが、いわゆる謙遜で使われる場合もある)」
「あなた、暑苦しいけど喧しくはないのねえ。好きよ? そのセンス」
「貴方も」
「……下品なくらいに甘いものも、カップから零れそうなお茶も好きよ。美味しいものを挟むなら口喧嘩だって悪くない。女だもの」
「とびきりのはちみつを使ったパンケーキとサンドイッチを、飲み捨ての薄焼きのカップでご用意しますわ。――それでは、さようなら」
鎖がカーテンみたいに揺らいだ瞬間、オーレレリアとリンドアロエロイサは消えていた。次の瞬間にはカーネーションもまた、まるで有毒雲のような吸血蚊の群れとなって姿を消した。
すでに、星夜のダンスホールには気配がまばらだった。
「――侮りましたね。グリフォニカ」
すでに帰り支度を整えていたグリフォニカに、ユナが云う。
「あなたは短慮だ」
「タチバナ……」
「良心をもって、良識に描いた道を道理と共に指し示せば、それに皆が常識を持ってついてきてくれる……魔法使いの世界はそんなものではないのです。――いいえ、そんな世界は、この星の何処にもありません。グリフォール」
「……僕は」
「だからイザラは貴方を愛した」
間に入ろうとしたミスウィックをグリフォニカが強く手で制した。だがユナもそれ以上は踏み込まず、踵を返した。
「……貴方にイザラと同じ道は辿ってほしくない、イザラが悲しむ……けれど、私は心の何処かで貴方が私の大切な友と同じ道を歩むことも望んでいる…………――それが私はひどく悔しい」
「やあ、でもカッコよかったぜ、グリフォニカ!」
ユナの背中を無言で見送ったグリフォニカの手が握られる。タナベだ。
「僕は君に賛成だ! 休戦とか最高じゃないの。僕は暴力も危険も大っ嫌いだ。応援してるぜ! 夢の無いおじさんはねえ、頑張る少年に弱いのね!!」
近づかれたことに気づかなかったせいもありグリフォニカが返事を考えている間に、もうタナベはさっさと氷のホールをデていってしまった。
「――帰ろう。準備をしないと」
そう呟いたグリフォニカが、くるりと視線で探して、一人、足りないことに気づく。ウルトラヴィオレッタの姿が見当たらない。
この状況で一人足りないというのは慌てて然るべきだったのに、不思議と嫌な予感に結びつかず、はて……という程度に気配を探ると――、
(いた。ウルト……と――錬金術師の、氷使い……)
氷の議会場が役目を終えて自然と消えてなくなように『氷使い』は魔眼で仕掛けをする必要がある。
それは勿論、骨組みをしたウルトがやればそれでいいのだが……ウルトの傍らにはヒコが寄り添い、なにか二人で話し込んでいた。
耳をすましても聞こえづらいし、ウルトは怒っているような顔をしていたが、それなのにグリフォニカがなんとなく邪魔をしてはいけないような気分になるほどに――。
「なあ、ほっといて、あげようぜ」
ハノンがグリフォニカの肩を撫でた。
突然のことだったのでグリフォニカは驚いた。ミスウィックが微かに悲鳴すらあげたが、とくにそれ以上のことは起こらなかった。
「……いいんじゃないかな、あの子たち……」
――星夜会は、こじれた場合――といってもこれまでの聖夜会の半分以上がこうなってきたが――夜明け前の一時間まで『休憩』をとる。
休憩なのだから、間は魔道士側も錬金術師側もそれぞれ、魔法使いたちは『散歩』をしたり『茶会』をしたりするだろうし、『散歩』しているときに偶然にも誰かと会うことはあろうし、『茶会』での出来事は良きも悪きも終われば忘れるのが粋というもの――もはや隠語の体裁すらほぼ成せていないが――はっきり言ってしまえば『休憩』とは名ばかり。
夜明けの一時間前までに、彼らは互いの陣地へ『仕掛ける』のだ。
散歩する、とい者が攻め手。
茶会している、という者が守り手。
至極単純、より大きな力を見せつけた方が夜明け前の議決にて意を通しやすい。仮にそれを無視しようとしても力に劣ることをたった今に晒した側が、何かをそれでも敵方に通そうというならば恥と代償は凄まじい。
星夜会。そこに星と嘯きながら雪が降る日を選んで行われる夜会に、つまり星は見えない。スミがいった『話しあいというか、脅し合いだ』の言葉は、なんの比喩でもなかったのだ。
氷上の社交の後は雪上の闘争が待っている。
「――あの子たち……いいんじゃないかな……」
ようやく、ウルトが慌ててグリフォニカ達に駆け寄ってきた。
その後ろからヒコは健気な猫みたいに着いてきていたが、ハノンの長身と異様に気圧されたのか、立ちつくす。
ウルトがヒコを振り返る。
――早く帰って、向こうへ行って。
その言いぶりは咎めているように聞こえた。ただし、彼の無礼を咎めたのか、それとも意気地のなさに苛立ったのかは、分からない。
「……あのさ……ボクは彼女のお父さんじゃないし…………いや、まだ誰のお父さん
もやったことがないし……でもボクなりに考えての意見としてなんだけど………」
ハノンが特に小さな声で、ウルトとヒコと、あとぎりぎり、隣のグリフォニカにだけは聞こえるように、言った。
「……君たち二人が付き合うの………。とても、良いん(ナイス)じゃないかな」
ウルトは可愛そうなくらいに動揺した。氷点のすまし顔も跡形もなかった。
グリフォニカにもようやっと事態が理解できた。
もちろん、それは大変な面倒事だったが、グリフォニカの心にはなにか希望の光のように暖かくもあったのだった。
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