第3話 神の使いと不幸な男(3)

 俺は唖然とするばかりだった。


 この娘は一体何を言っているんだ?



 そもそも不幸って売ることができるものなのか?


 そりゃ売れるんなら是非買買ってほしいぐらいだよ。それもできるだけ高く。

 もしも、不幸に買い取り価格的なものがあるのなら俺の不幸はまさに不幸の中の不幸。キングオブ不幸の自信がある。


 今後金に困るのは確定なんで、できれば百万円ぐらいで買ってもらえるならいいんだけどなー。

 それだけあればしばらくは生きていけるし。

 いや、当面のところ十万でもいい。

 とにかく、こんなものでも現金化できるならそれに越したことはない。


 ……って何考えてんだ俺! 不幸が金になるわけないじゃん。


 いや、わかってますよ。これ、冗談なんだよね?

 俺はからかわれてるだけなんだよね?



「冗談じゃないよ、おにーさん。いっぱいあるなら高く買ってあげるから」

「えっ?」


 俺、口に出してた?

 もしも今の心の中の混乱を無意識に口に出してたのなら一生の不覚。

 恥ずかしすぎて今すぐ切腹したいレベル。


「あー、ごめんね。今、ちょっとだけおにーさんの心の中読んじゃった。なんか、驚いちゃっててしばらくぽかんとしてたから」


 心の中読めるって……おいおい、やっぱ妖怪か? この娘。


「妖怪じゃないよ! ボクは「やこ」。神様にお仕えする神使しんしの狐だよ」


 やこはそう言ってにっこり笑う。

 可愛いけど、ちょっとまだこの娘のことが信じられない。


「神使っていうと、あの神社なんかによくある石像的なやつか? 口開いた奴と閉じた奴の二匹セットの」


 俺は口を大きくぱかっと開けて見せる。やこはそれを見ておかしそうに笑った。


「違うよー。あれは狛犬。狛犬は神社を魔から守る守護獣だよ」

「神使と何が違うんだ?」

「神使は「かみのつかわしめ」なの。神様のお使い」

「えーと、つまり神様のパシリってことか」

「パシリって言うな!」


 やこは不満そうに口をとがらせる。


「ごめんごめん。ってことは、やこはここの神社の神使なんだ?」


 するとやこは首をふるふると横に振る。


「違う。ボク、ここの神様の神使じゃないの。ここは八幡はちまん様の神社だから、武運の神様。神使は鳩さんだよ」

「ここって、八幡宮系の神社だったのか……」


 言われてみて、改めて本殿の鳥居をじっと見ると、鳥居の上に額がかかっていた。それは古ぼけて文字はかすれていたが、確かに「八幡宮」の文字が読み取れる。


「八幡様のおやしろはたくさんあるからねー。八幡様も神使の鳩さんも普段は高天原たかまがはらにいて、各地の神社には年末年始や、八幡様のお祭りの時とかにしか降臨されないの。ボクは八幡様たちがいない時に、ここにちょっと居候させてもらってるだけ」

「居候って……やこが仕えてる神様とお社はどうしたんだよ?」

「えっと……ちょっと事情があってボクはお社に帰れないんだ……」


 やこは気まずそうにそう言い、耳をペタンと下げてしょんぼりした顔をした。


「やこが狐ってことは……やこの仕える神様はお稲荷さん?」

「詳しくは言えないんだけど……まあ……そんなとこかな」

「稲荷系の神社なら確か、隣町に大きな稲荷神社があったはずだ。もしかしてやこはそこの神使なのか?」

「う……うん……まあね」


 やこは何やら言いにくそうにしているように見えた。


「あっ……もしかして、何かやらかしちゃって帰りづらいとかそういう感じか?」

「えへへ……」

「何やらかしたんだよ?」

「それは……ちょっと聞かれたくないかなー……なんて」


 やこは笑ってごまかしている。


 まあ、狐にだって色々あるだろうし、言いたくないこともあるだろう。


「まあいいや。それで、話は戻るけどさ。さっき言ってた不幸を買うってどういうことだ?」

「えっとね、人間の魂に溜まった悪縁のかけらをボクがもらって、代わりにおにーさんに福を授けるってことだよ」

「なんだ……買うと言っても現金がもらえるわけじゃないんだ……」


 ちょっとがっかりした。


「お金はだめ。あれは不浄がたまりやすいものだから」

「そうなんだ?」

「うん。そもそも人間の魂には色々な不浄のおりが溜まりやすいの。嫌なことや、悪いことを考えたり、悪い言葉を吐き出したり、人を恨んだり嫉妬したりするたびにそれはどんどん溜まっていっていつしか「悪縁のかけら」に変わっちゃうの」

「悪縁のかけら?」

「そう。悪縁のかけらが多いと、それ自身がどんどん悪いことを引き寄せちゃうんだ。だから悪縁のかけらがいっぱいある人ほど、身の回りや本人によくないことが起きやすいの」

「……ってことはもしかして、俺にはそれがいっぱいあるってことなのか?」

「そういうこと!」


 確かにストレスのあまり、心の中でいつも上司に悪態をついてたし、自分よりいい境遇にいる人を見て嫉妬したりなんて毎日だった。


「じゃあその悪縁のかけらってのをやこに取り除いてもらうと俺は幸せになれるってことなのか?」

「うん」

「なら、ぜひ頼むよ」


 たとえ金にならなくても、不幸をなくしてもらえるならもうそれだけでも俺にとっては充分だ。


「じゃあ、ボクと一緒に来て。あっ、そうだおにーさんの名前、まだ教えてもらってなかった」

「俺は水宮達希みずみやたつきだ。改めてよろしくな、やこ」

「うん! じゃあ、たつき! これから早速、悪縁のかけらを取って福を授けてあげる!」


 やこはそう言って俺の手を取って引っ張った。


「ちょ……ちょっと待って、やこ。俺をどこに連れて行く気なんだ?」

「どこって、決まってるじゃん。福を授ける特別な場所だよ」

「ま……まさか今から行くの?」

「うん」

「えらく急だな」

「えっ? 嫌なの?」


 やこはぽかんとした顔をしている。


「いや、だって真夜中だし、俺疲れてるからできたら明日にして欲しいんだけど」

「気にしない気にしない! 善は急げだよ!」

「いや、俺が気にするんだって……ちょっ……!」


 やこが俺の腕を強く掴んで強引に引っ張る。

 見た目に反してやこは意外に力が強い。


 俺はやこに手を引かれるまま、本殿の裏側へと回る。

 草木が生い茂った何もない真っ暗な場所。こんなところに何があるというんだ?


 やこは俺の手を掴んだまま、鬱蒼とした藪の中に入っていく。

 足元に雑草が絡まり、髪に小枝が引っかかる。


「おい、こんなところに一体何が……」

「ついたよ!」


 藪を抜けると急に開けた場所に出た。


「……ここは……」


 目の前に小さな蔵があった。

 瓦屋根で、奥行きが長い建物。白い漆喰が塗られ、下部の腰壁部分は黒地にバツの字のような模様が特徴的な海鼠壁なまこかべだ。


 正面の扉と、おそらく二階であろう高い部分にある小さな窓は観音開きで、重厚そうな作り。

 旧家などでよく見かける古めかしい蔵だ。


 神社の本殿の裏にはこんな建物はなかったはずだ。

 本殿の裏は確か山で、ただ草木が生い茂るだけの人が入れないような場所だった気がする。


「ついてきて。たつき」


 やこは蔵の扉を開け、俺を中に招き入れる。

 真っ暗だった蔵の中は、俺たちが入ると突然パッと明るくなった。


 やこは俺の方にむきなおり、ニコッと笑う。


「ようこそ。神使の宝物蔵、一期一会いちごいちえの蔵へ!」

「一期一会の蔵?」

「そうだよ。ここはね、神使に選ばれた人間がその生涯に一度だけ入ることができる特別な場所なの」

「生涯に一度だけ?」


「そう。一生に一度だけ、神の福を授かることのできる場所。たつきの不幸と引き換えに、なんでも願いを叶えてあげるよ!」





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