第2話 神の使いと不幸な男(2)

 生まれた時からずーっと不幸続きって奴はそうそういるもんじゃない。


 でも、俺は生まれてからずっと不幸続きのレアな奴だ。

 マジで生まれてからこのかた一度もいいことなんかなかったんだ。


 神社の石段に座り、夜景をぼんやり眺めながら俺は自分の過去をなんとなく思い返す。


 そもそも、生まれた時から俺の不幸はすでに始まってた気がする。


 俺はいわゆる捨て子というやつだった。

 大雨の夜、川沿いの橋の下で泣いてたらしい。


 今時「橋の下」だよ? ありえねえ。


 両親はどんな人か分からない。

 ただ、俺が身につけていた肌着に「かわづたつき」という名前が書かれていたらしい。


 そう。

 生まれて間がない俺が持っていたものは、汚れたお襁褓むつと薄くてペラペラな肌着、それにアクリルの安っぽい薄汚れたおくるみだけだったんだ。


 しばらくは警察や児童相談所が俺の両親を探してくれていたらしいが、ひらがなで書かれた名前以外の情報は何もなく、親が誰なのか、どこで生まれたのか、なぜ橋の下にいたのかも結局わからずじまいだった。


 結局、捨て子と判断された俺は養護施設に保護された。


 俺が養護施設にいたのはほんのひと月ほど。

 生まれたばかりの子供を病気で亡くしたという夫婦、水宮夫妻との養子縁組がすぐに決まったからだ。


 俺は「かわづたつき」から「水宮達希みずみやたつき」になった。

 俺の今までの人生で唯一運が良かったのは多分この時だけかもしれない。


 養父母はもともとは資産家だったのだが、俺が養子に入ってからすぐに、商売に失敗して大きな借金を抱えてしまった。

 裕福だった生活から一気に転落し、いつもお金に困っている生活だった。


 それでも、養父母は、優しい人たちだった。

 食べるものにも困った時期があったにもかかわらず、貧しくはあったけど、俺を飢えさせることもなくきちんと育ててくれた。

 しかし、そんな彼らも俺が高校三年の時に、自動車事故に巻き込まれ、二人揃って突然あの世に行ってしまった。


 俺は成績はそこそこ良かったから、奨学金を受けて大学に行くことを決めた。

 いい大学に入り、いい職場に勤められれば、その後の人生はきっとどうにかなる。そう思っていたからだ。


 でもやっぱり俺は運に見放されてた。


 本命の大学の受験当日にひどい腹痛に襲われた。

 会場へ行く道で倒れ、救急車で運ばれた。


 虫垂炎だった。


 俺は腹膜炎を起こしていて、退院するのが長引いた。そのせいで、俺は再試験を受けることができなかった。

 そのショックが尾を引いたのか、滑り止めに受けた大学もすべて落ちてしまった。

 養父母亡き後、成人するまでの後見人として面倒を見てくれた養父母の親族のことを考えると、とても浪人はできなかったので、ギリギリまで募集していたFラン大学にどうにか滑り込んだ。


 スタートをつまづいたせいで、就職活動に苦労した。

 なんのかんの言ってもこの世の中はまだまだ学歴がものをいう。当然大手企業はエントリーシートを出した時点で門前払い。なんとか入ることのできた会社は超ブラックだった。


 成人してからは後見人の元を出て、養父母が俺に唯一残してくれた家に一人で住み、なんとか自活を始めた。


 たとえ不幸でも負けない。俺は一人で生きていく決心をしていた。


 しかし、待っていたのは過酷な社畜生活だった。

 一週間のうちに家に戻れるのはせいぜい二日か三日。ほとんど会社に住んでいるような状態。

 精神的に余裕がなくなり、不健康な食生活でガリガリに痩せた。


 さらに追い打ちをかけるかのように不幸は俺を襲う。


 大学時代から付き合っていた彼女とは「卒業したら結婚しようね」と約束していた。

 それなのに俺がブラック企業に就職した途端、合コンで知り合った男に乗り換えてさっさと逃げてしまった。

 新しい彼は一流企業勤めのイケメン。

 噂では、彼女は女友達にこう言っていたらしい。


「結婚するなら薄給でほとんど休みも取れないブラック勤めの水宮君より、一流企業勤めで収入が多くて、休日もしっかり取れる彼の方が絶対条件いいんだもん」


「どんなに貧乏したって、二人で働けば大丈夫だよ!」とか、言ってたじゃねーか。


 あの約束はなんだったんだ?

 もう女なんて信用できない。


 不幸はこれだけじゃない。



 俺は友達は少ない方だったが、親友が一人だけいた。


 その親友がある日、「金がなくて明日食べるものにも困っているんだと」泣きついてきた。

 奴が言うには、「うっかりタチの悪いサラ金から金を借りてしまって、利子だけですごい額になってしまった」とのこと。


 このままだとどんな目に合うかわからない。お前だけが頼りだ。助けてくれと泣きつかれた。


 こちらも辛いが、他ならぬ親友のためならばと、なけなしの貯金を貸した俺が馬鹿だったよ。

 奴は貸した金を踏み倒したまま行方不明になった。


 金が絡むと親友もただの悪い奴に成り下がるものだと思い知った。

 それ以降俺はすっかり他人が信用できなくなっている。


 思い出すだけで胸くそが悪い。

 本当に清々しいほどの不幸オンパレードな俺の半生じゃないか。


 人間関係だけじゃ飽き足らないのか、不幸は俺にさらに追い打ちをかける。

 薄給で暮らして行くのだけでもやっとなのに、大学にいくために借りた貸与式の奨学金の返済は毎月無情にのしかかる。


 思い返すほどにひどい。ひどすぎて泣ける。


 神様。

 そこのおやしろにいるならちょっとは俺の愚痴を聞いてくださいよ。

 俺、本当に疲れちゃいました。心がバッキバキに折れてます。


 これだけひどい目にあったんだからもう、我慢しなくてもいいですよね? ここで何もかも放り投げて逃げちゃってもいいでしょう?


 これからどうやって生きていこう……。

 先のことを考えると果てしなくて、どうしていいのかわからない。


「もういっそ、このままここで石段から身を投げて死んでしまおうかなあ? 百段の階段を転げ落ちれば死ぬ確率は高そうだよな……」


 つい、ポツンと独り言を言う。



「それはちょーっと困るんだよねー。ボクの神社の石段で自殺なんかされたらボクにとっては迷惑極まりないもん。どうしても死にたいんなら他所で死んでくれる?」


 いきなり俺の背後から声がした。


「えっ?」


 振り返ると俺の背後にいつの間にか一人の少女が立っていた。


「ねえ。おにーさん。なにもの?」


 いや、それこっちが聞きたいよ。


 かなり幼い娘だ。

 おそらく十歳にも満たない幼女。

 夜中の神社になぜ幼女が一人で?


 もしかして、幽霊?


 突然のことに頭がパニックになり、口もきけない状態の俺の顔を、彼女は興味深そうに覗き込む。


 ち……近い。


 俺は思わず、体を少し後ろに引いた。

 近くで見るとこの娘、目が金色でピカピカ光ってるし瞳孔が縦に長い。

 しかも、なんか頭に獣の耳みたいなのが生えてる。

 黒っぽい三角の耳が赤茶色のおかっぱ頭から生えている。

 さらに少女の背後では髪と同色の何かフサフサしたものがせわしなく揺れている。


 えっと……。もしかしてあれ……尻尾?


 彼女が身につけているのは白い着物に緋色の袴。

 いわゆる巫女装束と呼ばれる衣装。


 確かに俺疲れてるよ? 過労死寸前のレベルで疲れてるよ?

 でも、これが俺に都合のいい妄想だとしても、ケモノ娘で巫女服で幼女でしかもボクっっていくら何でもちょっと盛り過ぎじゃね?


「ねえ。おにーさん、なんでこんなところで死のうとしてんの?」

「あの……。えっと……ノリというかなんというか……別に本気で思ったわけでは……その……なんかすみません」


 思わず謝ってしまった。


「変なの。ボク別におにーさんに嫌なことはされてないよ? なのになんで謝るの?」

「いや……つい癖で……」


 謝りぐせがついてる自分がものすごく嫌だ。


 つか、なんで俺ケモノ娘に謝ってんだろ? だんだんわけがわからなくなってきた。


 あ! そうか!

 これはきっと夢だ。そうだそうに違いない。


「えっと……これって……もしかして、夢だよね?」


 思わず口に出して言ってみる。


「ちがいまーす。夢じゃないよー」


 ケモノ娘はニッと笑ってそう言った。


 夢じゃない?

 これが? マジか? マジなのか?


 あまりにめちゃくちゃな状況で現実が全く受け止められないよ。

 これが夢じゃないのなら俺は多分疲れすぎて変な幻覚を見ているのに違いない。


 俺は思わず自分の頬を思いっきりつねる。


 うん。痛い。

 これ、めっちゃ現実だわ。


 ケモノ娘はそんな俺をジロジロと観察しているようだった。


 「えっと……そんなに俺が珍しい? どこにでもいるただのくたびれたリーマンですよ?」


 半分引き気味で言う俺の言葉を思いっきりガン無視して、彼女は言う。


「ねえ。おにーさんってかなり不幸な人でしょ?」


 彼女はそう言ってクスッと笑う。

 この年齢の少女には似合わないやたら大人びた笑顔。


「おにーさん、すっごい濃厚な不幸の気配がするね。ひょっとしたら大当たりかも!」

「えっ?」


 ケモノ娘は満面の笑顔で俺にこう言ったんだ。


「ねえ、おにーさんのその不幸。ボクに売ってくれないかなあ?」

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