理想の死体

伊丹巧基

理想の死体

 あなたのお仕事は何ですか、と尋ねられると、私は答えるのを躊躇ってしまう。


 正直に言ってみた時の相手の反応は想像するに容易く、第一印象を悪くすることは間違いない。死体に防腐処理と電子処理を施して段ボールに詰めて出荷してます、なんて答えが返ってきたらまずいい印象は持たないだろう。犯罪者と勘違いする者もいるのではないだろうか。それに長年この仕事を続けているが、「奇遇ですね、僕もその仕事をしています」なんて言ってきた人がいた試しもない。犯罪一歩手前の仕事、信心深い方から死者を愚弄する悪魔の所業と言われてもおかしくない。だが、私から言わせてもらえば、需要があるからこんな仕事をしている訳だ。


 例えば、貴方が適当なレストランに入ったとする。そして注文を取りに来たウェイターの顔を、貴方は注視するだろうか? 精々異性だった場合にその顔つきや体つきを見る程度だろう。長く通っていればそのウェイターをよく見ると感じるかもしれないが、家に帰る頃には忘れている。


 もっとも、そうであった方が気楽だろうと私は思う。そのウェイターが死体だと知ったら、貴方はその店にはもう行かなくなるだろう。


 無論、そうではない店もある。まだ生きた人間がウェイターをやっている店の方が多いのかもしれない。だが、あと十年もすればウェイターの大半は死体も変わるだろうと私は思う。なにせ、生身の人間と違い休憩する必要もないし給料を払わなくていい。居住スペースなどもいらないし、過酷な待遇にもケチをつけない、はっきり言っていいことずくめだ。最近では、風俗で見る機会も増えた。久々に女の肌が恋しくなって風俗に行ってみたら、出てきた女が前に私が処理した死体でした、なんてこともある。先日、それを体験し、がっかりしてしまったこともあった。


 だが、このことを知ったからと言って、おそらく普通は見分けがつかない。特別な処理が施された彼らには体温がある。息がある。肌には赤みがある。流れている血こそ代用品だが、あの黒みがかった赤色も、生暖かい温度も、かなり忠実に再現したものを使っている。そして機械で振動させることで喉で声を発し、表情筋に電気信号を送り笑顔を作ることができる。会話パターンも無数に用意された彼らを見分けようと下手に探してみたところで、途中で迷惑な客として店を追い出されるのが落ちだ。


我ながら、この技術を最初に考案した人間は天才だと思ったし、狂気的にも感じた。昔、人間の死体を継ぎ接ぎして人間を生み出そうとした研究者の話があったが、これを考えたその誰かも、まともな人間ではあるまい。ただ、私はこの仕事で飯を食っているから、悪く言う訳にはいかないのだが。


 そもそも、死体がどこから来るのかすら私は知らない。昼過ぎに自前の工房に行くと、冷凍室に死体が運び込まれている。同封された指示通りに私は黙々と処理を施してゆき、業者にのみわかるシリアルナンバーを刻印すると、段ボールに丁寧に梱包し、そしてトラックが運びにやってくるのを待つのだ。死体一つの処理で貰える額も割といい。ただ、頑張っても一日に二、三体が限度なので、月々の稼ぎはお世辞にもいいとは言えない。ただ、いつも質素に暮らしている分、貯金はそこそこ貯まっていた。世間の人様から言わせれば、私のような人間は底辺の一角なのだろうが、私はあまり自分の居場所に関心がなかった。それに、他人との会話をするのも好きではないから、一人で作業をしている方がむしろ気楽だ。この仕事を始めたきっかけが何だったかは忘れたが、それでも長年続けてきたお陰で、私にわざわざ頼んでくる者もいる。誇れるわけではないが、気付いたら私は死体処理の第一人者のようになっていた。


 舞い込んでくる死体は、いろいろな種類の人間であり、その死の様子が死体から容易に見て取れた。基本的に来るのはある程度の外見をもった死体だが、時には、かなりの死体を見てきた私ですら感嘆の息を漏らしてしまう程の美男美女の死体が届くこともある。一度などはニュースで消息不明の美人女優の死体が、段ボールに詰めて運び込まれたこともあった。同封されていた依頼書には『身体の損傷箇所アリ。追加処置必須』と書いてあり、段ボールを開くと心臓に果物ナイフが突き刺さっていた上に、片腕がねじれていた。更に首には絞殺痕まであり、現場はさぞ凄惨な事だろうな、とぼんやりと思った。


当然市民の義務とやらに忠実であるべきなら警察に通報するのが筋なのだろうが、あいにく私はその報酬が相場の十倍だったこともあり、気の毒だと思いつつ何も言わずにその死体を処理にかかった。折れていた骨をセラミック複合材の代用品で補い、心臓やその表面の傷、首の絞殺痕すら分からないように外科手術まがいのこともやってのけた。あとは同封されていた会話用電子プログラムをセットして、処理した死体をダンボールに詰めて送り返した。数週間後、その女優の復帰報道がニュースでやっていたのを見て、内心笑ってしまった。女優の演技まで再現できるとは思えないが、露見しても私にはどうでもいい話だ。それからすぐに私の元に大金が転がり込んできたが、使い道も思いつかず、新しい道具の購入に充てて後は貯金に回した。


 そんな厄介な仕事がたまにある程度で、収入もそこそこ、人と関わる回数は最小限で済むこの仕事は私にとって天職だった。ただ、唯一の不満は、どの死体を見ても、私の心は震えることが無い。退屈な作業の延長であり、遣り甲斐などというものを感じたことが無かった。


 彼らは死んではいるが、至る所に生きた痕跡が残っている。マニキュアの跡、大小の小さな瘡蓋、化粧跡。歯に詰まった食べ物のかす、爪の隙間の垢。背中のひっかき傷、耳のピアス穴まで、とにかくそれらは死体という静寂を掻き乱す、白い紙の一点のしみのように、私を不快にさせた。見た目が如何に美しかろうと、私が相手しているのが死体ではなかったことを実感させ、時たま妙に陰鬱な気分にさせられるのだ。定期的にそれを実感する時、私は無性に人肌が恋しくなる。体温を、本物の血液の流れを感じたくなるのだ。そして、人肌に触れた後、私はさらに憂鬱になる。私は死体を愛しているわけではない。当然生身の肉体の方が愛おしい。だからこそ、生が存在したことを示す死体を見るたびに、仕事とは別の自身の中に、真っ黒になった汚泥が堆積していくのだ。


 だから、ある日段ボールを開け、その死体を見たとき、私は夢中になった。別に、特別美しかったわけでもない。それより美人な死体ならこれまでに何度も見たことがある。だが、その死体はそんな他の死体とは一線を画していた。

その死体には、生を実感させる要素が一つも見当たらなかった。絹のような真っ白な肌には血が流れていた感触がない。だが、触れた感触は大理石のように滑らかでありながら、弾力を感じる。全身のどこにも小さな傷どころか、痣や垢すらない。その艶やかな髪は恐ろしいほどに清潔で、手で掬い上げると指の隙間からこぼれていくかのようだった。


 これは精巧にできた人形ではないのか。そう思っては見たが、どれだけ確認しても人形ではないということが分かっていくばかりだ。内臓や骨格に至るまで、全てが完璧に揃えられている。あまりに奇妙だったが、私の心はこの死体に惹かれていた。欲しい。純粋な欲望が私を支配し、それを抑えることは出来なかった。

 これが特注の依頼だったら諦めたであろうが、身元不詳の一般用だったことを確認すると、私はこの死体を自分のものにすることを決めた。依頼主に、届いた死体の処理に失敗したと適当な嘘をつき、その日の死体を処理し終えると、私はこの女の死体をじっくりと眺めた。死体を眺めると、その死体がどんな人間で、どんな生き方をしていたかわかるものだ。だが、どれだけ全身を見ても、私にはこの死体が息をしているさまが思い浮かばなかった。普通なら手に取るようにわかる生きていた鼓動が、生の残滓がない。私は一層この死体に魅了された。


 私だけの、死体。そもそも死体を所有するという概念がおかしいのであろうが、私はこの死体を自分のものであると、自身に納得させたかった。高ぶる気持ちを抑えながら、私は丹念に死体を処理していく。処置としては剥製に近いのだが、これは動く剥製だ。永遠に保存するための処理だ。たとえ精神が死滅しても、肉体が残っていたのならそれは存在の証明ではないのか。肉体は器と言うが、それは違う。器は半永久的に消滅しない。生身の肉体など、所詮朽ち果てる、器ですらないまがい物だ。完璧には程遠い。だが、加工を終えた傷一つない器は、中身がなかったとしてもやはり美しい。


 数日間、私は仕事も放りだして女の死体の処理を続けていた。たった数日でも、冷凍室の死体は埋まり、流石にほかの死体も処理しなければいけなくなった。遅れた分の処理を急いで進める傍ら、時間を見つけては女の肉体の処理を進め、一人悦に浸っていた。結局、私が満足する出来にするまで、三か月の時間を要した。


 完成した時、私は喜びに満ち溢れていた。私が作り出したのは完璧な死体なのだ。朽ちない死体。それは永遠の美であり、生者がどれだけ求めても手に入らないものだ。人の肉体の美は永遠ではない。数十年で崩れていってしまう。レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ然り、ミロのヴィーナス然り、美しさを永遠にするために、過去の人は別の形態で残すしかなかった。だが、私は肉体のまま永遠の美を残すことに成功したのだ。私は芸術家でもなんでもない、誰かの利益の為に、いいように使われるただの作業員でしかない。だが、私の手元にあるこの死体は、間違いなく芸術品としての価値がある。これは作品なのだ。そのことが、私には嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

 私はその死体を、ずっと眺めていた。作業台の上に横たわる女の死体は、薄暗い蛍光灯の明かりをほのかに反射し、一層その肌の青白さに拍車が掛かった。それを、いつまでも眺めていたかった。無論、仕事を放り投げてまで見ることはしなかったが、時間さえあればずっと私はその死体を眺めていた。声は掛けないし、もちろん触ることもない。人間の穢れた指で触るなど、神への冒涜に等しい。生きていた痕跡がないからこそ、この死体はこの世とは隔絶したもののみに存在する美しさがあるのだ。イデアに最も近い存在がそこにあるという感覚が、私を魅了した。


当然、家にいる時間が長くなり、定期的に行っていた風俗にも顔を出さなくなった。家にある死体を眺めている方がずっと有意義に感じられた。ガラスケースにしまわれたその死体を眺める。ただ、それだけ。本当ならガラスで遮るのは質感を損なう気がしたが、野晒しにすることも躊躇われた。清潔な白いシーツの上に横たわる死体は、ガラスの反射のせいか神々しさすら感じた。まるでそれ自体が光り輝いているかのように。


徐々に、死体の処理をする速度も遅くなっていった。死体を送ってくる顔の見えない依頼主たちは少しずつ私に斡旋しなくなってきていた。それでも、私が蓄えていた金額は、家と作業場を行き来するだけの生活には十分な額で、もともと身寄りもいない私は一層孤独になっていった。それでも、私は死体を眺め続けていた。昔どこかで聞いた、水面に映る自身に魅了され餓死した青年の話を思い出す。私の場合はそれが女の死体であり、ついには仕事もせずにひたすら死体を眺め続けていた。どれだけ眺めても飽きることはない。死体は私の中で神格化されていく。

だが、ある日、いつもと同じように女の死体を眺めていると、急に私の視界が暗くなっていった。食事も睡眠もまともにしていなかったのだがら当然だ。体が前のめりに倒れていく。視界が徐々に狭まっていく。私の肉体はどうなってもよかった。ただ、私は眺めていたい。永遠に、眺めていたい――





 再び目が覚めた時、私の視界には女の死体ではなく白い天井が映っていた。顔を傾けると、点滴のチューブが見える。病院であることはすぐに分かったが、なぜここにいるのかはわからなかった。暫くして見回りのナースが私の目が覚めたことを確認すると、医者を呼びに行った。


 医者は私が酷い衰弱状態にあり、あのまま放置されていたら死んでいたであろう、といった内容のことを長々と話していた。そのくらいのことは私も承知している。そんなことよりも私は女の死体がどうなったかを一番知りたかった。そのために、誰が私をここに連れてきたのかを尋ねる。だが医者は少し難しい顔をしながら答えた。


「それがですね、第三者の通報で警察が駆け付けたんですが、そこであなたが倒れているのだけが見つかったわけです。通報者が誰なのかは、不明なんですよ」


 それを聞いて、通報者の正体よりも、あの死体を警察に見られたのではないかという不安がよぎった。そもそも死体をあんな風に処理すること自体犯罪すれすれの行為だ。特に、女性の死体を飾っていたら、間違いなく刑務所行きだ。恐る恐る、自分が発見された状況を聞く。


「いえ。報告だと、自室で倒れていた、だけみたいですが。それ以外には特に報告は受けてませんね」


 疑問は尽きず、一刻も早く帰りたかったが、衰弱した肉体のままでは動くこともままならない。結局私は病院でしばらく静養することになり、病院の手続きを済ませて帰宅できたのは一週間後だった。


 端的に行ってしまえば、自室に戻った私を待っていたのは、空っぽのガラスケースだった。唖然として何も言えなくなっていた私の部屋で、旧式の電話のベルが鳴り響いた。空のガラスケースを見つめたまま、受話器を取る。


『退院おめでとう、とでもいえばいいのかな』


 すぐに死体を斡旋してくる依頼主の一人の声だと分かった。そういえば、あの女の死体を斡旋してきたのもこの男だった。


『まあ、大体君が何を聞きたいのかはわかる。あの死体のことだろう。いやはや、素晴らしい死体だったよ。執念がこもっている、とでも言うのかな。君が仕事に手がつかなくなるのも頷ける』


 あの死体を知っている、ということは、当然通報し、死体を回収したのがこの男であることは明白だった。おそらく、死体の作業が滞っていた事にしびれを切らしてやって来たのだろう。男は続ける。


『感謝してほしいよ。君、本来納入する予定の死体を勝手に自分のものにした挙句、仕事丸投げしたんだから。あのまま見捨てることも出来たんだ。だけど、あの死体を見て、もう少し頑張ってもらいたくなってね』


 男が笑みを浮かべているのが受話器越しにも感じられた。私は、あの死体の行方を尋ねる。


『安心しなよ。風俗には送ってないさ。まあ、上玉にはなりそうだけど、君も許さないだろうし、なにより僕自身あの死体、いや彼女を、そんなとこに置いておきたくないと思ったんだ。普段の僕なら、迷いなく風俗用プログラムを施してひと儲けしようとしちゃうのに』


 男の言葉の一言一句が不快に耳に突き刺さった。彼女、という表現に吐き気すら込み上げてきた。違う。あれは死体なのだ。まるで生身の人間のように扱うなど、死体に対する冒涜だ。だが、私がそのことを口に出す前に、男はさらに続ける。


『しかし、因果な世の中だねえ。彼女、どんな人間だったか知ってるかい。平和に生きてきたのに、突然両親が事故で死んじゃって、生きるために働きだしたトコが悪質な風俗まがいの店で、そこでこれまたタチの悪い客にクスリを掴まされて、体質が合わなかったのか一回目で発作起こして、ハイ、人生終了サヨウナラ。これ、ちょっとしたお涙頂戴ドラマに出来るよ』


 男の語った言葉で、私の憤慨はあっという間に萎んでしまった。あの死体にも、ちゃんと人生があった。この世に生を受け、人間として生きていた痕跡はちゃんと存在していた。結局、彼女もただの生きていた肉塊でしかなかったのだ。その事実だけで、もう関心はすべて消え失せてしまった。


『なんにせよこれからも死体の処理、よろしくね。彼女みたいな子また作ったら、報酬はガッツリ出すよ。今度は風俗でもなんでも、金になるならどこにでも売るから。……ま、多分もう二度とあんな死体はお目にかかれないだろうけど』


 男はそれだけ言うと、電話を切った。私はどうすることも出来ず、受話器を手に持ったまま、空っぽのガラスケースを見つめていた。


 それから一か月が過ぎ、私はまた元の日常に戻りつつあった。再び風俗にも行くようになり、その帰りに小さな喫茶店に立ち寄る。適当に近場にあったから入っただけの安っぽい店だ。隅の方の席に座り、ウェイトレスを待つ。


「ご注文はお決まりでしょうか」


 顔を上げ、一番安い珈琲を注文しようとした。その瞬間、私の顔はウェイトレスに釘付けになった。見間違えるはずもない。あの死体だ。私が執着し、完成した死体として、敬愛、いや信奉すらしていた死体が、微笑を浮かべてこちらを見つめている。無論、生きているわけがない。プログラムで顔の筋肉を操作し、微笑を浮かべているだけだ。

 私が言葉を失っている姿を、彼女は変化しない微笑を浮かべて見つめている。しばらく呆然としていたが、思い出したように注文を言う。


「アメリカンですね。かしこまりました」


 私の視線も構わず、彼女はカウンターの男性に注文を伝える。私は笑いがこみあげてくるのを抑えられなかった。笑う死体に価値はない。結局、私が求めた死体も生きた笑顔を取り繕う肉の一つになってしまっただけだ。女の死体が珈琲を運んでくる。珈琲から立ち昇る湯気の隙間で、彼女が不気味に笑ったように見えた。

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