母が死んでから数年後に、父も死んだ。

 どうやら出先で体調を崩して、そのままぽっくり逝ったらしい。戦乱の世に生まれた人にしては、平和な死に方だったと思う。

 母の時は駄目だったけれど、この時ばかりは僕も弔問への参加を強制された。僕の身柄は父の権限によって預かられていたようなものだから、仕方ないと言えば仕方ない。僕は全然悲しくなんてなかったけれど、それでも命令は絶対だから、外に出なくちゃならなかった。


 外出は好きじゃない。嫌いだ。


 その日は憎たらしい程にい秋晴れで、僕は日傘をさして歩かなければならなかった。途中までは駕籠かごに乗せてもらえたけれど、さすがに寺院の中までそうすることは出来ないらしい。人々の視線を浴びながら、僕は他の者たちよりも一足早くお参りを済ませた。

 付いてきた者たちは他の人々と話があるとかで、すぐには帰らなかった。僕はそっとその場を脱け出して、なるべく人気ひとけのない場所を目指して歩いた。

 僕が白子だから、すれ違う者たちは皆ぎょっとしたり、いやな顔をしたり、奇異なるモノを目の当たりにしたかのような表情で見たりする。外側はともかく、中身は君たちとそう変わりないのにね。

 人間というのは、視野の狭い生き物なんだなあとつくづく思う。外見なんて些末な問題なのに、どうして其処までかかずらうのか──僕にはよく理解出来ない。

 ふと、天花も同じように思っていたら嫌だな、と思った。天花に拒絶されたら、僕はきっと落ち込んでしまう。会ったこともないけれど、天花は僕の全てだから。死にたいとさえ思ってしまうかもしれない。

 そういえば、天花は今日来ているのだろうか。身分を隠されて育てられているようだから、必ず来るとは言い切れない。

 嗚呼──会いたいなあ、天花。


 がさり。


 背後から聞こえた足音に、僕は夢想から我に返った。

 こんな静かな庭園にも、人がいたなんて。また変な目で見られるのは嫌だから、さっさと引き返そう。

 顔をうつむけて、足音の聞こえた方を向く。傘で髪の毛だけでも隠せれば、後は──。


「──え」


 振り返った先。其処にいたのは、一人の少女。

 つり目がちで切れ長の瞳。健康的でありながら、白くすべらかな肌。光を反射して青みがかって見える、豊かな黒髪。

 彼女の顔を──僕はよく知っている。

 知らず、足が動いた。彼女が何か言う前に、僕はその前へと立っている。


「君は──天花だね?」


 問いかけると、少女はこくりとうなずいた。ぱちぱちと何度も瞬きをして、僕のことをじっと見つめる。


「えっと、あの、あなたは」

「怖がらなくて良いんだよ。僕はさん。君の兄だ」

「わ、私の、お兄様?」


 天花は目を白黒とさせた。そして、自分の顔をぺたぺたと触る。

 可愛いと、直感的に思った。今すぐにでも抱き締めて頬擦りしてやりたい気持ちになったけれど、いきなりそのようなことをしたら怖がらせてしまう。僕はぐっと我慢した。

 天花はでも、とどもり気味の口調で言う。緊張しているのだろう。ますます愛らしい。


「私、お母様から一人っ子だって聞いているの。たしかにあなたは私とそっくりだけど、でも……」

「混乱させたらごめんだけど、そのお母様というのは、君の本当の母上ではないよ。天花、君は生まれを偽られて育てられてきたんだ」

「そ、そんなの」

「信じられないよね。でも、本当のことなんだ。僕たちは、同じ日に生まれた兄妹──双子なんだよ」


 ふたご、と天花は鸚鵡おうむ返しに言った。そっと目を伏せて憂える表情をしたところから見て、その意味すらわからない訳ではないようだ。

 双子。いわゆる畜生腹。獣のようだと忌み嫌われるもの。

 天花も、双子という生まれを忌んでいるのだろうか。まさか自分がそれだったなんて、思いもしないだろう。少し酷なことを言ってしまったかもしれない。


「双子は不吉なものだから、本当なら片方を殺さなければならないんだけど──僕は見ての通りの白子だから、吉祥きっしょうの証として生かされている。残念ながら、君とは別々にされてね。足利将軍家の子だからと言っても、隠されるようにして育てられた」

「あ……足利、将軍家」

「そうだよ。僕たちは、この間死んだ昌山道休殿──すなわち足利義昭公の子だ。室町の幕府、最後の将軍」


 す、と顔を近付ける。天花の瞳の中に、僕が映っていた。

 きっと吃驚びっくりしただろう。今まで、普通の子として育てられてきたんだから。

 偽られていたことに、衝撃を受けている? 身の回りの者たちに、不信感を抱いている? 何だって構わなかった。僕を嫌わないでいるのなら、彼女が何を思っていても良い。僕が天花の味方であることに、変わりはないのだから。

 天花が顔を上げる。そして、真っ直ぐに僕の目を見て──。


「じゃ、じゃあ私って、もしかして清和源氏!?」

「……うん?」


 天花は瞳をきらきらと輝かせていた。本当に、心の底から嬉しそうな顔をして、僕から目を逸らすことなく。

 ……喜ぶところ、あっただろうか。かつて将軍の地位にあったとしても、足利は今や貴人の一族に過ぎない。権力を握ることなんて、もう二度と出来ないはずだけれど……。


「わ、私ね、軍記物語とか読むのが好きで! それに、絵巻物とかもよく読むし……。だからその、源氏武者の活躍とかすごく好きなの! まさか私がその血を引いているなんて、夢みたい!」

「そ──そうなの?」

「うん! かの八幡太郎はちまんたろうや朝日将軍、九郎判官義経くろうほうがんよしつねに通ずる血を引いているって想像するだけでどきどきしちゃう! それに、足利義昭公がお父様ってことは、剣豪将軍は」

「叔父上にあたるね」

「ひゃあ!」


 天花はすっとんきょうな声を上げたかと思うと、ぴょんぴょんと兎のように飛び跳ねた。余程嬉しいのだろう。

 僕にはよくわからなかったけれど、天花が嬉しそうならそれで満足だ。彼女のくるくる回る表情は、見ているだけで幸せな気持ちになる。

 すごいすごいと何度も繰り返してから、天花は僕の手を握る。柔らかくて、温かい手だった。


「ね、ね、燦殿! 貴殿を、お兄様と呼んでもよろしいでしょうか!」

「そんなにかしこまらなくても良いよ。僕が君の兄であることは変わらないのだから、好きなように呼んでくれて構わない。むしろ、他人のように扱われる方が嫌だな」

「わあ、ありがとうございます! お兄様なんて、初めて!」


 よろしくお願いします、と一礼してから、天花はぶんぶんと握った手を振った。

 何というか、無垢な子だと思った。僕と同い年ならば十一になるはずだけれど、何だか世の中を知らぬ童のよう。嫌味がないし、何よりも可愛らしいから、否定的には思わないけれど──少し心配になってしまう。

 天花はきっと、僕のことを疑っていない。僕が嘘を吐いている可能性だって否めないのに、真っ向から飲み込んで、かつ信じた。とんでもない逸物いつぶつだとさえ思う。


「……ねえ、天花」


 うきうきとしている天花に視線を遣りつつ、僕は問いかける。


「天花は僕のこと、怖くないの? 見ての通り白子だし、突拍子もないことを言うのに」


 僕の前だから良いけれど、誰にでもこのような調子だったら将来酷い目に遭いかねない。世の中には、ろくでもない奴等で溢れているのだ。天花のような純粋な子は、すぐに餌食えじきにされて悲惨な運命を辿るだろう。

 だから、僕はいてもたってもいられなくなった。天花に、少しでも危機感を覚えてもらわなくちゃ。

 天花はきょとんとして、不思議なものでも見るような目をした。そして、まあ、たしかにと口を開く。


「白子を見たのはこれが初めてだし、少し近寄りがたくは思うよ。でも、私に話しかけてくださったことはとても嬉しいし、何よりもお兄様なのだもの。ちょっと驚いたけど、嘘を吐いてるようにも見えないし……。お母様にはこれから色々聞かなくちゃならないから、それは大変だと思うけど、お兄様そのものを恐ろしく思うことはないよ」

「本当に? 気を遣わなくても良いんだよ」

「本当の本当だよ! 私、嘘吐くの下手くそってよく言われるもの。嘘を吐いたら、お兄様でもすぐにわかると思うよ」

「……ふふ、たしかに、そうかも」


 天花が嘘を吐くところなんて、想像することさえ馬鹿馬鹿しく思えた。きっと、わかりやすく百面相しながら、しどろもどろになるんだろうな。

 しかし、天花の嘘を見抜いているのは一体誰なのだろう。母と偽っている足利の家臣? それとも侍女? まさか男だったりしないだろうね。

 天花が他の男といっしょにいる姿なんて、目に入れたくない。彼女は可愛い僕の妹。たった一人の宝物。易々と誰かに渡してなるものか。僕にとっては、天花しかいないのに。

──気配。


「──誰?」


 背後から駆けてきたであろう足音。目があまり良くない代わりに、僕の耳は小さな音でもある程度拾うことが出来る。人の気配を感じ取るのは得意だった。

 足音が止まる。振り返って見ると、其処には元服するかしないかといった年頃の少年が、息を切らして立っている。涼やかだが神経質そうな顔立ちをしていて、眉間のしわが気難しさを強調させている。


「あっ、若君!」


 天花も僕と同じ方向に振り返ったようだ。間髪入れずに、その表情はほころぶ。

──何だ、その顔は。

 僕の前では、そのような表情など浮かべなかった。初対面だから仕方のないことだとは思うけれど、それでも見知らぬ男に、しかも気さくに話しかけているというのが気に食わない。僕よりも強い繋がりを持つ者など、天花にいるはずがないのに。


「あのね、若君。この人──」

「ああ、大丈夫だよ、天花。僕から自己紹介する」


 天花の前に立って、少年を見つめる。彼女が僕以外の男に近付くなんて、我慢ならなかった。

 だが──僕の苛立ちは、即座に霧散する。

 若君と呼ばれる少年。彼は、酷く焦った顔をしていた。何かにすがろうとするように、焦燥の入り交じった顔で僕を睨み付けていた。

──嗚呼、これは勝ったな。


「はじめまして。僕はさん──天花の、双子の兄です。どうぞよろしく」


 これは、宣戦布告。そして、勝利宣言。

 天花は僕の妹だ。これ以上、家臣のもとに置いておく訳にはいかない。いずれ、僕のもとに置かなければ。

 穏やかな風を装って微笑んでやると、少年はますます眉間の皺を深くした。案外、御しやすい相手なのかもしれない。


「それじゃあね、天花。僕、そろそろ行かなくちゃ」

「えっ、そうなの?」


 あんまり長居して、あっちが優位性を主張してきたら堪ったものじゃあない。そんなことをされたら、目の前の少年を引き裂いて殺してしまいたくなる。

 だから、名残惜しいけれど今日はお別れ。天花には悪いけれど、引き際は見極めておかなくちゃね。


「僕のお屋敷は宇治にあるんだ。何かあったら、いつでもおいで。僕も、君に会いたくなったら遊びに行くかもね」

「ま──また、会えるの?」

「勿論。また会おう、天花」


 あの少年がどんな顔をしているかまでは、確認しないでおいた。だって、それは野暮というものだろう?

 天花。天花。やっと会えた、無二の片割れ。生まれた時から一蓮托生いちれんたくしょう、引き合わないはずがなかったんだ。

 これから、楽しくなりそうだ。天花の側にいたあの少年──若君、とか呼ばれていたっけ──は気になるけれど、大した敵にはならないだろう。僕と天花の絆を超えるものなど、あるはずがないのだから。

 つまらない外出になるかと思っていたけれど、予想以上の収穫だった。僕は幸せ者だ。

 足取りは軽く、弾むような心地を覚える。僕は傘をくるくると回しながら、歩を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る