──将軍閣下がお亡くなりになられた。


 閣下はもう将軍ではない。山城に戻られた折に出家し、昌山と名乗られた。しかしどうしても閣下と呼ぶ癖は抜けず、お隠れになられてからも俺や母上は閣下と呼んだ。

 かつて閣下に仕えていた者たちを中心に、弔問が許された。既に埋葬されたとのことで、お顔を拝むことは叶わなかったが、足利氏の菩提寺である等持院とうじいんに葬られたのならば一安心といったところだ。一度京を離れられた身の上だから、勝手知ったる菩提寺に弔われることは閣下にとってこの上ない幸福であろう。

 この日は天花も同行することを許された。皆口にはしないが、せめて父をいたませようという配慮だろう。天花本人は、特に落ち込んだりしおらしい顔をしたりすることはなく、ちょっとしたお出かけ程度に思っているようだったが。


「きれいなお庭!」


 整えられた庭園に、天花は瞳を輝かせていた。

 応仁の乱で焼けて以降、細かな修繕はしていたようだが、やはり廃れた風は隠しきれない。最近になって太閤殿下が再興のために色々と手を回しているらしいという噂は聞いたが、まだ十全とはいかないようだ。

──とまあ、天花はそういったいわれもわからない訳で。憂える顔を見せることもなく、お参りが一通り終わってからも、きょろきょろと忙しなく周囲を見回していた。


「お母様、お庭を見てきても良いですか?」


 そろそろか、と思っていると、案の定天花は母上の袖をくいくいと引っ張っていた。

 庭園への興味としめやかな儀式が肌に合わないこともあるのだろうが、それ以上に旧幕臣ら氏族とすれ違うことが居心地悪くて仕方ない──とその目が告げていた。

 母上もその意図を汲んだのだろう。普段ならば軽率な行動は慎むように──と口酸っぱく言うところだが、今回はあっさりと首を縦に振った。


「ええ、良いわよ。ちょうど私も出なくてはならないし、八龍丸様といっしょに──」

「──いえ、その」


 いつもなら俺の腕を引っ張って何処でも連れていこうとする天花だが、今日は何故か躊躇う様子を見せた。


「わ、若君は良いよ、無理して私に付き合わなくても。此処にはお坊様もいらっしゃるし、私一人でもきっと大丈夫だから」

「天花、どうしたんだ、急に。お前らしくないぞ」

「……別に、たまには一人になりたいだけだもん。気にしなくて良いから」


 そう言うと、天花は庭園へと小走りで駆けていってしまう。その後ろ姿は、すぐに小さくなり、樹木の影に隠れてしまった。

 何があったというのだろう。寂しいのは嫌だと言っていたのに、一人でいることを望むなど。


「……何かあったの?」


 母上が訝しげに尋ねられたが、生憎心当たりはない。首を横に振って、わからないということを示す。

 母上は、そう、と呟いてから、旧幕臣たちと話すことがあるとかでその場を離れた。去り際に、天花様のことをお願いね、と残して。

 天花様──か。このような呼び名を本人が聞いたら、どう思うだろう。

 いや、それよりも──だ。

 先程の天花の様子は、やはり可笑しかった。積極的に俺を頼るはずの彼女は、俺を見るなり表情を曇らせてその場から立ち去った。まるで、何かから逃げるかのように。

 俺が怯えさせたのだろうか?いや、天花は此処に着いてから先程に至るまで、ずっと俺を避けていた訳ではない。見たところ、不自然な点もなかった。

 ならば、何故──?


「──八龍丸さんっ」


 とん、と軽く背中を押された。俺は少し体勢を崩す。

 この声には聞き覚えがあった。振り返ってみると、俺とそう変わらないであろう年頃の少女が、にこにこしながら立っている。


「……乙葉おとはか」

「もう、相変わらず無愛想ですね。もう少しにこやかに振る舞わないと、お姫様にも怖がられちゃいますよ」


 声をかけてきたのは、旧知の間柄である乙葉だった。腰に手を当てて、何だかんだと説教をされるのはお決まりの展開である。

 彼女は足利将軍家に代々仕える隠密の一族であり、閣下が山城への帰還を許されてからは旧幕臣たちの間を行き来してその行動を逐一見張っている。天花の事情も知っているため、度々神母坂の屋敷に顔を出すこともあった。人見知りな天花からは避けられているらしいが。

 旧幕臣の氏族が集まるということもあって、乙葉もまた閣下の弔問への参列を許されたようだ。俺とは同い年ということもあってか親近感を覚えているとのことで、ちょうど俺たちの姿を見かけたため、頃合いを見計らって声をかけてきたようだった。


「それにしても珍しいですよね。お姫様、今日はいっしょじゃないなんて。いつも若君若君って、妹みたいにくっついているのに」


 乙葉も、近くに天花がいないことを珍しく思ったようだ。困ったように苦笑いをして、こんなこともあるんですねえ、なんて呟いている。

 たしかに、年齢を鑑みれば天花は妹のようなものかもしれない。しかし、俺にはあいつを妹のように見ることなど出来なかった。長らく生活を共にしているが、どちらかと言えば幼馴染のような関係──だと思う。


「そろそろ俺からも離れたい時期なんじゃないか? 四六時中男にくっついているというのも、あまり褒められたものではないからな」

「またまた、八龍丸さんってば。そんなこと言って、本当は寂しいんじゃないですか?」

「そんなことは」


 ない、と続けようとしたが、何故か口は動いてくれなかった。

 寂しいのは嫌だ、と天花は言った。聞いた時には理解など出来なかったが──もしや、俺は寂しがっているのだろうか?

 俺は天花とは違う。彼女のように、拠り所が限られている訳ではない。俺は何処へなりとも行けるし、その気になれば太閤殿下の下で働くことも不可能ではない。ただ、天花を守るというお役目があるから、彼女の側を離れられないだけなのだ。

 あいつは俺が守ってやらなくてはならない。そうしなければ、きっとあいつは死んでしまう。駄目になってしまう。だからいつも側にいるのであって、寂しいなどという理由で引っ付いているのではない。断固として。


「……何一人で百面相してるんですか?」

「……別に」


 百面相しているつもりなどない。……が、知らず知らずのうちに顔の肉が動いていたようだ。

 やれやれ、とでも言いたそうに乙葉が肩を竦める。同い年のはずだが、少し老けて──もとい大人のように見える仕草だ。


「一方的な主従関係って大変なんですね。あたしにはやれる気しないなあ」

「其処まで苦労するものでもないぞ。お偉方に比べれば、天花など可愛いものだ」

「基準が違いますもん。でも、お姫様もお姫様で扱いにくいとは思いますよ? あたしなんて、ずっと避けられてるし。八龍丸さんにだけですよ、心を開いているのは」

「さすがにそれは言い過ぎだろう」


 だが、悪い気はしなかった。天花のよるべに見えているのなら、それに越したことはない。

 あ、そうだ、と乙葉は何かを思い出したような顔をする。そして、こそりと俺に耳打ちした。


「そういえば今日、あの方もいらっしゃってるそうですよ」

「あの方?」

「白子の、お姫様の片割れですよう。あの方、ずっと閣下と同じところに置かれていたらしいですけど、何を思ったのか参加してるみたいで。白子ってお日様苦手でしょうに、何を考えているんですかねえ。体調悪くしたら侍従が大わらわですよ」

「片割れが……」


 それは初耳だった。まさか、白子が出張ってくるとは。

 たしかに、白子はその肌の白さから日に焼けやすく、外出はあまり薦められたものではないと聞く。もしも大事があれば、後始末が大変なことになるだろう。

──いや、白子の体調は二の次だ。


「……天花と鉢合わせされたらまずいな」

「でしょ? 私も同感です。さすがにこんないい天気の中外をほっつき歩いてる……なんてことはなさそうですけど、万が一ってこともありますからね。お姫様に何かあったらいけませんし、八龍丸さんは一旦様子を見に行くべきだと思います。私の方でも、白子殿が何処にいるか捜しますから」


 そう言うや否や、乙葉は軽く会釈をしてその場を後にした。流石隠密、行動が早い。

 此方としても、白子と天花が接触するのは避けたい。天花が自分の生まれを知ることになっては、面倒事に発展せざるをえないだろう。

 俺は庭園に入る。よく手入れの行き届いた、閑雅な造形である。確か、禅宗の名僧──夢窓疎石むそうそせきによって整えられたのだったか。

 しばらくの間駆け回っていると、ようやく天花の背中を見付けた。小柄なので、木々の間に隠れて見えづらかったのだ。


──隣に、誰かいる。


 どくん、と心臓が跳ねた。まさか、と不安を抱かずにはいられなかった。

 天花は笑っていた。楽しそうに微笑んでいた。それほど、この人物との語らいが面白いのだろうか。普段は、俺や母上以外の者とはほとんど話さないというのに。

 隣の人物は、傘をさしていた。雨など一滴も降ることはなく、それは見事な秋晴れだというのに、何かを遮るように影を作っていた。


「──誰?」


 傘の人物が、振り返る。それなりの距離があるというのに、気配を感じ取ったようだった。


「あっ、若君!」


 天花も少し遅れて、俺の方へ顔を向けた。歓喜の色が、ありありと映し出されていた。

──悔しい。


「あのね、若君。この人──」

「ああ、大丈夫だよ、天花。僕から自己紹介する」


 俺のもとに駆け寄ろうとした天花を、傍らの人物はやんわりと制止した。──まるで、自分の手元に留めておくかのように。

 気に食わない。何様のつもりだ。自分の立場をわかった上で、天花の側にいるというのか。

 胸中に、黒いもやが一気に広がる。母上を取られたと思った時とは比べ物にならなかった。

 相手は微笑んでいる。勝ち誇ったような笑み。それが一層、俺の神経を逆撫でする。


「はじめまして。僕はさん──天花の、双子の兄です。どうぞよろしく」


 燦と名乗ったその少年は、髪の毛から肌まであまりにも白く──そして、天花と瓜二つの顔立ちをしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る