馬車と御幸巡行と黒髪

犬丸寛太

第1話馬車と御幸巡行と黒髪

 私はとある町で小さなおもちゃ屋を経営している。今のところ何とか続けられているが少子化で昔ほどおもちゃも売れなくなってきた。

やはり今日も客足は鈍い。

近頃私は店じまいの事を考えていた。

息子も一人立ちしたし、私もまもなく還暦だ。幸い多少の蓄えはある。妻と二人暮らし。アーリーリタイアというのも悪くはないだろう。

しかし、なかなか踏ん切りをつけられずにいるのには理由がある。

店内に並ぶおもちゃはもちろんすべて売り物だが、店先のショーケースに飾られた馬車のおもちゃだけは今まで誰にも売ることはしなかった。

あれは私がまだ幼少の頃。

私の名前は御幸というのだが、男のくせに女みたいな名前だと周囲からからよくからかわれていた。何故こんな名前にしたのかと何度も両親を責め立てたがそのたびに両親は名前の由来を語って聞かせた。

曰く、私の生まれた年に天皇陛下の御幸巡行が町を訪れ、それにあやかって御幸と名付けたそうだ。ありがたい名前なのだと満足気に語る両親をみて当時の私は怒りとも悲しみとも取れない曖昧な感情を胸に抱いていた。

今にして思えば他愛ない事だが、当時は多感な時期である。両親の言っている事もわかるが周囲からからかわれ続けるのは幼心に影を落とし、私は毎日近所の公園で泣いていた。

無き疲れ、まもなく日も落ちようという冬のある日ベンチから立ち上がろうとする私を女性の声が引き留めた。

年は私より10ほど上だっただろうか、冷えた風に揺れるしなやかな黒髪は今でもはっきり覚えている。

私は、自分の思いの丈をまとまらない言葉で彼女に投げつけた。

嗚咽交じりのぐしゃぐしゃな言葉を彼女は微笑みを絶やさずじっと聞き続けてくれた。

話し疲れてもはや泣くばかりの私に彼女は優しい声色で語りかけてきた。

何十年も前の話だ。細かくは覚えていないがたしかこんなやり取りがあった。

彼女は棒切れで地面に私の名前を書きながら漢字の意味を説明してくれた。

「こっちはもう習ったよね?」

「幸」の方を指しながら彼女は続ける。

「この漢字は楽しいとか嬉しいとかそういう時に使うの。そんな文字を名前に付けてもらえるのって凄い幸せじゃない?」

今度は「御」の方を指す。

「こっちはまだ習ってないよね?この文字はね、言葉を丁寧にしてくれるの。あと大昔は車を走らせるって意味もあったんだって。

大昔だから馬車とかかな。」

最後に彼女は2つの文字を丸で囲む。

「つまり君の名前は丁寧に幸せを乗せて車を走らせるって意味。すごくかっこいい名前だと私は思うなぁ。それにさ、今は君一人分の幸せだけど大人になったら車も大きくなってたくさんの人の幸せを乗せて走れるんだよ。正義のヒーローみたいじゃない?」

その時は、彼女の話す言葉の意味はよくわからなかったが、なんとなく自分の名前に自信が持てたような気がした。それに正義のヒーローと言われて嬉しくないはずがない。

「もうすっかり暗くなっちゃったね。家まで送るよ。」

私は近いから大丈夫と告げた。

別れ際彼女は渡したいものがあるから明日もここで会おうと言った。

断る理由もなかったので約束を交わしその日は自宅へ帰った。

次の日私は風邪を引いてしまった。日暮れまで公園にいたせいだろうか。約束の事が気がかりだったが結局その日は布団から出られなかった。

また次の日、まだ少しふらふらしていたが親に見つからないようにこっそりと公園へ向かった。

ベンチの近くに着いたがやはり彼女はいなかった。代わりに何かが置いてある。

それはおもちゃの馬車だった。

お礼を言いたくてしばらくの間、毎日公園に通ったが彼女は現れなかった。

結局私は正義のヒーローにはなれなかったが、子供たちに幸せを配るおもちゃ屋になった。

あの日の気持ちを忘れないように、何より店頭に置いておけばいつか彼女が訪れてくれるのではと店を開いてからずっとあのおもちゃの馬車は通りに面したショーケースの特等席を守り続けている。

思い出に浸っているとベルが鳴る。

来店したのは品の良いご婦人だ。

しなやかな黒髪を揺らしながらご婦人はショーケースの方へ向かう。

どこか懐かしさを感じるやさしい目でおもちゃの馬車を眺めている。

「あの馬車はおいくらですか?孫へのプレゼントにしようと思って。」

少ししわがれているがあの時と変わらない優しい声色だ。

「申し訳ございません。あれは売り物ではないんです。」

きっと私はにやけていた。

「じゃあ返していただけるかしら?御幸君。」

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馬車と御幸巡行と黒髪 犬丸寛太 @kotaro3

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