第二章11 『月下美人』

 閑静な喫茶店のソファー席で向かい合っている男女。

 どちらも容姿端麗であり、傍から見ればお似合いカップルであろう。

 

 ――東峰紫苑にとって、そんなのお断りだが。


「――なぜ廃ビルを使わないの」


 紫苑は怪訝そうに、そう問いかけた。

 顔だけは整った男に。


「まぁ、気分転換だよ」


 気味の悪い笑みを浮かべ、青年――流榎は答えた。


「……で、用件は」


「白い死神について、なにか知ってることはないか」


「白い死神?」


 紫苑にとって、それは聞き覚えのないものだった。

 昔のどこかの狙撃手がそう呼ばれているのは知っているが、流榎が言っているのは違うだろう。


「……いや、なんでもない。だが、情報が入れば、すぐにでも教えてくれ」


「はあ…………。…………ちっ……」


 紫苑の舌打ち。それの矛先は、流榎のスマホだ。

 電子音がピコンピコンと鳴り止まない。まるで連続しているかのように。


「それ……全員女……?」

「もちろん。男の連絡先なんて何の需要があるんだ」


 お前は何を当たり前のことを、みたいな表情の流榎に、紫苑は幸運が消え去るような嘆息をした。


「いつか刺されるわよ」

「そのときはそのときだな」


 ふと、紫苑が流榎のスマホの液晶に目をやると、メッセージが1000件を余裕で超えていた。


「まさか……それ、2年5組の女子全員入ってるんじゃないでしょうね」


 流榎は満面の笑みで首肯。


「そんなことより、要注意人物二人を伝えにきた」


 一瞬で流榎から表情が消えた。

 否、もとに戻ったと言うべきだろうか。この男の性というものの本質が。


「龍神と…………」


 流榎は途端に眉を顰めた。


「……すまない、忘れた」

「はぁ……?」


 なんというか、こいつはそういう適当なところがある。

 忘れるなど言語道断だが。


「だが、龍神は僕が犯人だと気づいているはずだ。まあ第一、常に周りに女子を置いているから手は出せないがな」


 そのための駒か。

 ただ劣情を抱いて、女遊びをしていたわけではないらしい。


「あいつはキレる。すぐにお前のことも勘づくだろうな」

「それは……まずいわね……」

 

 流榎は注文したコーヒーを口に入れた。


「じゃあ尚更、こんなとこで密会するのはまずいと思うのだけれど?」

「そうだな」

 

 流榎は窓の外に目を逸らしてから、またコーヒーを口に運んだ。

 

「――僕と、付き合わないか」

 

「ええそうね……ぇ? ……は?」

 

 紫苑が目を見開き、眉を寄せるなか、流榎はボケーッとしている。

 

「どうだ? いいと思わないか? これなら学校で仲良く話しても大丈夫だ」

 

「……せっかく捕まえた駒が、全てパーになるわよ」

 

「所詮、ポーンだろ。替えはきく。なにより、紬の心をもっと煽りたい」

 

「ツムギ?」

 

 流榎は何か確信を得たような瞳を、紫苑にぶつけてきた。

 

「これは憶測だが、もしかしたら紬は僕のことを――」

「あれ? 鹿苑寺くんと東峰さん?」

 

 すぐに振り向くと、黒東高校の制服に身を包んだ女子がいた。

 

「あ、夏山さん。奇遇だね」

 

 流榎――ルカは、好青年のような優しい笑みで返した。

 

「うんうん、ちょー奇遇。え、二人とも付き合ったりしてる系? まじまじ!?」

 

 紫苑は焦燥した。

 紫苑と流榎の密会――といっても喫茶店だが――を目撃されたのだ。

 たとえ上手く言い逃れしたとしても、この口の軽そうな女なら、周囲に言いふらすだろう。

 そうなると、龍神の耳に入るのも時間の問題。

 

「そうなんだよね。でも、ちょっと違ってさ、なんというか……んー、ちょっと言いづらいんだけど、僕が気になってるというか……」

 

 わざと言葉を濁らせ、言葉に現実感を乗せた流榎の演技。

 俳優にでもなればいいのに、と紫苑は思った。

 

「あ、まじ? あの鹿苑寺くんの気になってる女の子って、東峰さんだった系?」

 

 流榎は顔を赤くし、ゆっくりと頷いた。

 彼は心を持たない。

 これも演技だ。

 なんと、恐ろしいことか。

 紫苑は身の毛がよだつのを実感する。

 

「その、だからさ、これは内緒にしておいて欲しいというか……」

 

「おっけぇおっけー。あたし口ちょー硬いから。もうガッチガチよ?」

 

 もう既にふにゃふにゃな気もするが、紫苑は何も言わない。

 

「じゃ、僕はこれで。気まずくなっちゃったしね」

 

「――っ!? ちょっと待ち……」

 

 紫苑が大声を上げると、それを制止するように流榎が唇に手を当てていた。

 

「じゃ、またね。夏山さん。紫苑ちゃん」

 

 流榎はそうして、去っていった。

 

「ぱないね、東峰さん。あの鹿苑寺くんに惚れられるなんて」

 

 ――あのクソ男、置いてきやがったな。

 と、美貌にそぐわない愚痴を心の中でこぼし、紫苑はため息をついた。

 

「さあ、知らないわよ。興味もない」

 

「まじ? ちょさ、暇だから話してかない?」

 

「いいえ、あなたと話すことなんてないわ。席は譲ってあげるから一人でお茶でもしたら。私はこれで帰るから」

 

 紫苑は荷物をまとめ、席を立とうとする。

 

「ちょちょちょ。ちょっとだけ話してこーよ。アッシー」

 

 あっしい?

 なに、アッシーって。

 疑問が紫苑の頭を埋め尽くす。

 

「『あ』ずまね『し』おんでアッシー。よくない?」

 

「……なんにも良くないわ。センスの欠けらも無い。本当に私は忙しいから――」

 

「そっかそっか忘れてたね! あたしとしたことがぁ。あたしは、夏山葵なつやまあおい。ナッツーって呼んでよ!」

 

 紫苑の体が止まった。

 魂が、紫苑の体を引き止めた。

 その原因は、ひとつしかなくて。

 

「…………そんな呼び方しないわ」

 

「ん? じゃあ、なんて呼んでくれるの?」

 

「………………」

 

 紫苑は熟考する。

 否、熟考するフリをした。

 こんな行動は欺瞞で、ただの見せかけの虚飾だ。

 ――東峰紫苑を騙すための、詭弁だ。

 

「……あおい

 

 夏山葵は、東峰紫苑の久しぶりのオトモダチになった。

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シャーデンフロイデ 〜人の心は蜜の味〜 白雨 浮葉 @ryusei10164226

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