殺し屋は忘れた頃にやってくる【特別版】

神里みかん

第1話 プロローグ

 今年一番の寒さに見舞われたある日、老人はバーのカウンターでお酒を片手に物思いにふけっていた。

 バーはビルの2階をワンフロア借り切って営業しており、程よい明るさとおしゃれなマホガニー色のアンティーク家具が落ち着いた雰囲気で客を迎えてくれる。ジャズなどの演奏がなく思考を妨げられずに済むため、老人は集中して何か考え事をしたいときはいつもこの店に来る。そして最近はほとんど毎日通うようになっていた。

 この店は普段から客は多くなかったが、今日は外が酷い寒さのせいか老人とバーテンダー以外に誰もいなかった。そのため店内に響く音といえば、お酒を飲むときにグラスに氷が当たる音とバーテンダーの作業をする音だけだった。老人は一点を見つめながら過去に思いを馳せている。静かな店内に彼の思考を遮るものは無かった。

 だが、静寂は突然終わりを迎える。店の木製ドアが軋んだ音を出しながら開き、外の冷気が店内に流れ込んできた。老人は急な冷たい風に手や顔を撫でられて驚いた。

 入り口の方を見るとそこにいたのは痩せた見た目のみすぼらしい男だった。よれたコートに白髪交じりのぼさぼさの頭、口には無精ひげを生やしている。新聞をわきに挟んでいてまるで大衆酒場の客の風貌だ。以前見たことがあればきっと覚えていただろう。おそらく常連の客ではないと老人は考えた。

 その男は左足を引きずりながらカウンターに向かってゆっくりと近づいてきた。一つ席を空けて老人の右側に座ると新聞を隣のイスに置いて、バーテンダーに「水をくれないか? 氷なしで」と話しかけた。バーテンダーは不思議そうな目で男を見たが、注文通りグラスに水を入れると男の前に差し出した。男は水で口を少し濡らすと、新聞を一面を読み始める。チラッと見えた一面の見出しは『麻薬王についに有罪判決か!?』といったものだった。老人は少し顔をしかめた後に目線を自分のグラスに戻し、残りの酒をグイッと一気に飲み干した。もう一杯飲むか迷っていると、急に声をかけられる。


「あんたはここの常連なのか?」


 声の主は横の男だった。


「そうだが……何かね?」


 老人は少し怪訝そうに男を睨みながら質問を返した。すると男は新聞を畳みカウンターに置くと、目線をこちらに向ける。


「外があまりにも寒いもんでね……こんな足だから家に帰るまでに凍死しちまうのさ。だからこの店に寄ったんだ……暖房が効いてて暖かいしね。でも、話し相手がいないとなんか寂しいだろ? ここで会ったのも何かの縁だ。一杯奢るから話し相手になってくれないか? 実は今日は俺にとって祝うべき日なんだ」

「別に構わないがね……だが君は祝い事だというのに、バーにまで来てお酒を注文しないのはなぜかね?」

「色々と約束事があるのさ! 俺もこんな歳になってしまったしな。あんたもわかるだろ」

「確かにな……わかるよ」


 老人はそう答えるとグラスを掲げながら、「同じものを」とバーテンダーに追加の一杯を注文した。


「ところで、いつもあんたは一人で飲んでるのかい?」

「まあ、そうだな。一人でここにいると落ち着くんだよ。こんな歳になってしまったしね……過去の事とか色んなことに浸りたいのさ」


 男は老人の返答を聞くと「そうかい」と言ってコップに口を付ける。老人はそのタイミングでふと疑問に思ったことを口にする。


「ところで今日は何のお祝いなのかね?」

「おおっと、それを言ってませんでしたか! 実はね、今日は俺の引退祝いなんですよ」

 

 それを聞いて老人は少々驚いた。男は少し老けて見えるが、まだ働き盛りの年齢に思えたからだ。


「私の見立てでは君はまだこれからが稼ぎ時のように感じていたんだがね。どうして引退するのかね?」

「俺の仕事は若い時にしか務まらないんだ。この前、仕事をしていて潮時だと感じてね。今日引退することにしたんです」


 そこで老人は少し考えた。『若い時にしか務まらない』と言っていることから肉体労働を伴う仕事であろうか。だが、左足を怪我していることから考えても工事現場の仕事はできそうにないし警察や軍で働くことも難しいだろう。車の運転が必要な仕事も除外される。そこまで考えてから老人は男に質問をする。


「君は一体何の仕事をしていたんだね?」

「当ててみてくださいよ」


 男は挑発するような笑みを浮かべながら老人にそう言った。老人はまた俯いて考えこむ。


「じゃあ、ヒント代わりに一つ質問をしても構わないかな?」

「どうぞ」

「その足の怪我は仕事の時にできたものかね?」

「そうです。若い時、仕事中にドジしちまってね。その時からずっとです。死ぬまで治らんでしょう」


 そこまで聞いても老人には彼の仕事が何か皆目見当もつかなかった。仕方なく、思いついた職業をいくつか口に出してみるがどれもハズレだった。男は白い歯を見せながらこちらの方をじっと見つめている。


「降参だ。一体何の仕事をしていたのか教えてくれんかね?」


 老人がそう言うと、男はニンマリ笑って口を開く。


「実はね……信じられないかもしれないが、俺は殺し屋だったんだ」






















 


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