Mouth To Mouse

鈴木秋辰

Mouth To Mouse

昨日の晩の事を思うとまるで昨日の事のように心臓が早鐘を打つ。


いや実際昨日の事だったんだけども。つまり、それぐらい忘れられないって事なんだ。


あの晩、長年研究していた薬品がついに効果を見せたのだ。その研究対象は自白剤、A国と戦争捕虜に投薬するために秘密裏に研究しているのだ。


でも本当はそれだけじゃなかった。


3番ラボで試薬を投薬したマウスの容態が急変して何人かの職員が経過を観察するために研究所に残ることになったんだ。


それで僕ともう一人が残ることになって、今日は帰れそうにないって妻に電話をした。


で、そのもう一人が香織だったんだ。彼女は大学の研究室からの後輩で別に付き合っていた訳じゃないけど当時は仲が良かった。自分で言うのもなんだがそれもかなり。


だけど最近は昔みたいに話すことも無くなっていた。僕は結婚していたしこの研究所が国家機密であるが故の厳格な気風のせいもある。


でも昨日は違った。僕が電話で少し妻と言い合いをしていたのを聞いてたらしい。薄暗いラボに二人きりで、いやマウスもいたんだけど。香織とポツリポツリと話しているうちに昔みたいな話もするようになって段々妻への愚痴が止まらなくなって。


そしたらいつのまにか僕が握りしめていた拳に香織が手を重ねてきて。それから。


それから…


でも今はこんな事を考えてる暇はなかった。妻にはもちろんこの研究所であのような事をしたと知られてはいけない。きっと首が飛ぶだろう。目の前の実験に集中しなくてはならない。


あの晩、試薬はついに効果を見せたのだ。そして今日が本試験。


この自白剤は口を破らせるための催眠薬のような旧時代的なモノとは大きく異なる。脳に刺激を与える事で対象に印象的な出来事をビジョンとして想起させるのだ。そしてそのビジョンを対象の脳に接続したニューロンプラグよりモニターに出力する訳だ。


脳から直接情報を回収する分嘘をつく余地などない完璧なものだ。強制的なフラッシュバックによるショックで場合によっては死に至る可能性もあるが情報が引き出せるのであれば死んでしまっても構わないと言うのが軍部の方針らしい。


と、そんな事を考えている間に香織がマウスへのニューロンプラグの接続を済ませたようだ。今回用意したマウスにはチーズを与えていた個体A、ナッツを与えていた個体B。そして、何も食事を与えなかった個体Cの3種類。これでモニターにそれぞれの印象的な場面が映像として出力されるはずだ。




✳︎




さて、結論から言うと実験は大成功だった。


個体Aはチーズを。個体Bはナッツのビジョンを出力した。個体Cは昨日の晩にも試薬を受けていた為に連続した投薬にはショックのリスクが高まると予想されその検証も兼ねていた。実際、その通りでビジョンを再生した後にこの世を去ることとなった。


そして、ついでに僕も研究所を去ることとなった。


自白剤のビジョン効果は予想以上の精度であり僕自身が効果の実証に一役買ってしまったのだ。


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