第35話 肥後の酒
あんたがたどこさ
肥後さ
肥後どこさ
熊本さ
熊本どこさ
船場山には狸がおってさ
それを猟師が鉄砲で撃ってさ
焼いてさ 煮てさ 食ってさ
それを木の葉でちょいと
肥後手まり唄とされる「あんたがたどこさ」を、私は転職活動で寄った熊本の帰りの新幹線で歌ったのは未だにはっきりと覚えている。
日本全国をまたにかけて働くとしていた大学の頃の思いはいつの間にか消え、果たして私はこの肥後の地に根を張れるのかどうかという朧な不安を抱いていた。
出身地である長崎の近くではあるものの、その文化や風習の差は地図のように
果たして、私は船場山に当たる場所を見つけることはできるのだろうか、と思いながら暮らし始めたのであるが、やがて熊本に船場山が実在もしくは現存しないということが分かり、不安は膨張するばかりであった。
こうした思いの中で、私の「船場山」を探し求める話を今年の夏には熊本県民文芸賞に
そもそも熊本で初めて酒をいただいたのは、学生時代に研究室の旅行で訪ねた「
当時はコース形式の夕食を提供されていたように記憶しているが、間違いがあればご指摘いただけると幸いである。
それ以来、ここは私の常宿となっており、熊本に移り住んでから度々伺うようにしている。
この宿はしっとりと落ち着いた雰囲気を楽しむようなところではなく、日常から離れた明るい喧騒を肴に酒をいただくのによいところである。
とにかく客が楽しめるように施された在り方は、ビュッフェスタイルの食事にも表れており、子供の楽しそうな声が止むことはない。
これが私にとっては何物にも代え難い愉しみなのだろう。
そして、熊本地震があった年に伺っても夕食が明るいものであり、コロナ禍に喘ぐ今も声ではなく表情の明るさを眺めることができる。
学生の頃に食前酒としての梅酒を教えてくれたこの宿は、暗い世に在っても必ず光を与える存在である。
レンタカーを借りて熊本に家財を運んだ日、私は下通のウエストそばを初めて目にし、流石九州第二の都市は
やがて移り住んでからは、度々こちらで酒を飲み、蕎麦をやる。
蕎麦食いとしては上質な蕎麦という訳ではないのだが、地の人に愛される蕎麦としては上々である。
ある年末に声をかけられて見てみると、取引先のご家族の年越し蕎麦に鉢合わせたということもある。
酒に酔っていたこともあり、話を交わしてからそのまま飲み続けるという暴挙に出た。
今思い返せば恥ずかしいかぎりなのであるが、それまで独り言を交えて飲む姿を見せつけていたのだから仕方ない。
夜遅い時間まで開いていることも頼もしく、はしご酒が主流の熊本に適した存在と言えよう。
熊本ははしご酒の文化が強く、一軒目だけで飲むのを切り上げることは少ないという。
私はもともと熊本県民ではないのであるが、この話を伺ってからの親近感の高さは異様であったとしか言いようがない。
こうしたはしご酒を行うイベントが熊本でも行われており、広島とは違ってこちらは飲み屋が主体である。
一昨年に参加した折には、大半が初めて伺ったお店であり、それぞれの趣向に酒も魚も進んだものである。
そのうち、ホルモン焼きの店で、あまりホルモンを食べ慣れぬ私は、
「どれくらい焼けばいいですか」
と尋ねたところ、
「生でも食べていただける鮮度を
と何とも煮え切らぬ答えをいただいてしまった。
出されていたのがレバーということもあり、いらぬ詮索をさせてしまったようだ。
無論、しっかりと焼いていただいたのだが、それを見たお店の方は心なしか安どの表情を漏らされていた。
サッポロの赤星が輝く店である。
私の名刺代わりの作品となった「熊本の夜の街を出歩けなくなったからテイクアウトで食べてみた」を生み出すきっかけとなった「食処 花樹」さんとの出会いは、この地での食を決定づけた。
元々は漫画で知り、聖地巡礼ということで訪ねたのであるが、確かな味と気さくな店主とのやり取りにすっかり魅了されてしまっている。
味の横綱、とでもいうべきその在り方は、時に覗かせる店主の人生経験に裏打ちされより味わい深いものとなる。
この名店もまたコロナの影響で苦境に立たされ、その時に感じた忸怩たる思いから偉大なる食を拙くも書くという行いに身を投じた。
やがて落ち着けばまた店でいただきたいものであるのだが、それはいつの日になることか。
恵方巻を予約して、その日を待ちわびている。
コロナの影響で通えなくなった店の一つに、城見通りは「ねぎぼうず」さんも含まれている。
カウンターと立ち飲みから成るこの店は、角打ちの雰囲気を色濃く残し、軽く一杯ひっかけるのに最も良い。
酒もビールから日本酒、焼酎、ハイボールなど居酒屋の本道をしっかり踏んでおり、百戦錬磨の飲兵衛を楽しませる。
そのような中に在って、若輩の飲兵衛も何ら気後れすることなく酒を飲めるのだから、これ以上の楽園はない。
店に入り、カウンターのかなり高い椅子に腰かけ、壁に並ぶメニューを眺める。
それだけで恍惚としてしまうのだが、ひとまずは淡麗の生とポテトサラダを頼む。
出てきたポテトサラダは、何の変哲もない品であるが、ここで見事な逸品が出てくれば単なる嫌味である。
これにウスターソースを少しかけていただきながら、次々と注文を重ねていくのだが、中には馬肉の炒め物や一文字ぐるぐるなどの肥後の名物もある。
ただ、そのような目先の熊本に捉われるのではなく、地の人も混じる空間の中で自由にやるのが最も良い。
カップルはマグロのカマ焼きを仲良くつつき、麦酒もまた等しく進む。
仕事からの解放感を全身に漲らせたサラリーマンは、三者三様の肴をやり、酒を飲む。
呑兵衛の先輩は焼酎をやりながら、厚揚げのねぎ塗れをゆっくりとつまむ。
私もまた、カウンター上の器に残った金を勘定しつつ、あれをやるか、あの人のもうまそうだなぞとあれやこれやと楽しく悩む。
盃の 繋ぐが如く 肥後に根の 伸びるや楽し 三十路寡は
ここで一杯やると、浮世の憂さを忘れ、肥後の民としての自信を得る。
その忘却すら私は奪われている。
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