第27話 博多の宵闇

二〇〇五年十一月のある晩、天神にある屋台へ一人の男が腰掛けた。

その男はぎこちなく焼きラーメンとウーロン茶を頼み、クリーム色のセーターが背広の合間に浮く。

親不孝通りという文字の下で、薄暮に包まれながら青年はぎこちなく箸を割り、出されたものを口にする。

酒と豚骨の臭いが漂う中で、その青年の鼓動が外へと漏れ出したかのような喧騒はその街が都市であることを感じさせる。

この青年は高校三年の私の姿であり、受験を前に初めて福岡を一人で訪ねた晩の姿である。


博多は九州で最大の街であり、九州人にとっては憧れの街の一つである。

それと同時に九州で最大の風俗街である中洲界隈があり、キャナルシティ博多を境として漂う雰囲気ががらりと変わる。

学生の頃、中洲の店で「遊んだ」こともあり、ある娘を気に入っていた。

その帰り、キャナルシティに寄って遅い朝食をいただいたものであるが、爛れた胃には染み渡るものであった。

その娘は店のブログを更新することもなく、外へ向けたアピールは薄いものであった。

しし置きが良いという訳でもなく、とはいえ、骨川筋衛門ほねかわすじえもんという訳でもない。

ただ、ほのかな女としてのきざしは、慎ましさを持つ彼女を象徴し、さりとて対するものを精一杯悦ばせようとする有様を雄弁に語っていた。

彼女が初めて店のブログに投稿したのは、店を離れたその日だけである。

以来、彼女の残り香を求めるようにキャナルシティで頂くものは、しかし、どこか上品が過ぎていけない。


博多駅には多くの飲食店が軒を連ね、そのいずれもが物語を持って営業を行っている。

ただ、私がこよなく愛するのはホームにある立ち食い拉麺の店であり、そこで一杯をいただくと博多に来たという思いを強くする。

普段は蕎麦ばかりをいただく私も、博多駅のホームでは、ラーメンというスープと麺と葱だけのラーメンをいただく。

これに缶ビールが一つあれば、旅立ちも帰郷も事足りる。

どうしてもの時は、重ねられたゆで卵をひとつ摘まめばよい。

時に立ち食いでかしわうどんの方をいただくこともあるが、こちらは小倉か鳥栖に譲ろう。


博多に出るとガールズバーに立ち寄る時期があった。

コスプレをした少女たちと話しながら酒をいただくわけであるが、その中で起こる悲喜こもごもは時に酒の肴となり、時に忘れられぬ思い出となる。

そのせいで、私の中で映画「君の名は」は喜劇となってしまった。

また、メニューに載っていたためホットウィスキーを頼んだのであるが、電子レンジの音ともに運ばれた一杯に私は思わずむせてしまった。

まさか、四十度前後ある酒の飛び切り燗をいただくような事態になるとは想定しておらず、さりとて酒を残すわけにもいかぬと苦笑しながらいただいた。

その一杯を出した少女はやがて店を離れ、夜の街から姿を消すのであるが、それはまた別の話である。

ただ、突然の知らせに私は車を走らせ、閉店も間際に駆け込んで別れの盃を交わした。

その後、その店には一度だけ訪ねたように覚えているが、もう伺うことはない。


夜の街との関りは平常運転である私も、博多の街で蕎麦をいただく機会は少なかった。

しかし、博多駅の改修に合わせて「永坂更科」ができてからは時々伺っている。

特に九州で汁まで含めて関東に近い蕎麦をいただける店は多くはなく、それを手軽にいただけるというのがよい。

酒を二合ほどいただいてから蕎麦をいただくのであるが、その時に窓外の景色は私が旅先に在ることを痛感させてくれる。

そして、ある問題を抱えて思い悩んだ際に、私は「最後の晩餐」にと伺ったことがある。

鹿児島本線を鈍行で進むひと時は、大袈裟おおげさにゴルゴダの丘を登るような思いがし、流れる景色がいずれも遠いもののように感じた。

このような中で蕎麦をいただいたのであるが、その一杯、いや、正しくは二杯で、

(ああ、もうこれで満ち足りた……)

という思いになり、その問題に対する気力を得たものである。

今ではその問題も片付いたのであるが、一方、今の私はそうした一杯をいただくことすら叶わぬようになってしまった。


天神のバスターミナルには「博多やりうどん」という店があるが、こちらは三十分でセルフ式の飲み放題を行っている。

ミニうどんと少々の酒肴を求めても合わせて千円と少しで収まるというから、呑兵衛にとっては夢のような場所である。

二度ほど利用したのであるが、いずれもしたたかに酔った。

一度は丁度初秋であったあったように覚えているが、夕暮れの迫る街に降りたところで何か演説を行っている老翁が目についた。

そこで、酔いもあって軽い「床屋政談」を挑んだのであるが、なんと私を仲間内に誘おうと言う。

酔狂な方もいたものだとうち笑い、私は一人でその場を後にした。


この界隈には夜になると屋台が軒を連ねるが、そこで韓国のご夫妻と相席となったことがある。

私は韓国語など習ったことはないが、呑兵衛として「コンベ」を知っていたため拙くそれを告げた。

男性は笑ってくださり、ただ、私の地方では別の言い方があるんですよと教えて下さった。

残念ながら、その掛け声をしかとは覚えておらず、うっすらと「ソルベ」という音が頭に焼き付いている。

ただ、はっきりと覚えているのはその掛け声と「コンベ」と乾杯の掛け声がその屋台に在る人々を満たし、それが何とも心地よかったことである。

酒と肴を以って何人たりとも受け入れる懐の深さに、私はやはり多く飲んでしまった。


今では「中洲」から遠ざかった私であるが、三十路に入ってから一度だけその界隈を練り歩いたことがある。

その時は変わらぬ街の様子を懐かしんでから、遊ばずに商店街の方へと足を向けた。

初めて歩くアーケードは、しかし、どこか懐かしい感じがして、私は吸い込まれるように一軒の小料理屋へと入った。

女将さんが切り盛りされるその店に品書きはなく、値段と好みを伝えると良いものをこしらえて下さる。

試作品としていただいたカレーパンには少し驚いたが、常連さんの話を伺いながら交わす言葉と酒というものは私には堪らないもので、また伺いたい店の一つとなった。


たがう 者の集いて 和を成せる 涙も笑みも 中洲川端


出会うも別れるも世の常ではあるが、そうしたものを経てなお私の求めるものは変わりないのかもしれない。

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