第26話 地の酒

大学時代、行きつけの酒屋でよく買い求めていたのは新潟県は「緑川」の純米酒であった。

北陸らしい引き締まった辛味が鮮烈で、様々な料理の味を引き立て、気づけば一升瓶が殆ど空くほどに飲める酒であった。

これが私にとっての地酒との出会いであり、それ以来、各地の銘酒を目にすると思わず口にするようになった。

それは居酒屋でも同じであり、どの地方の酒であるかを眺めつつ旅気分で酒をやるというのは何とも愉しいものである。

こうした「地酒」を好む私は、しかし今は熊本の「通潤」を好み、「香露こうろ」を好み、「霊山」を好む。

これらの地酒について一つ一つの話をしていくのは別の機会に譲るとして、こうした地酒を愉しんだことに思いを馳せることとしたい。


熊本で初めていただいた日本酒は瑞鷹ずいようのワンカップである。

前職からの転職活動の帰りに買い求めたのであるが、見てすぐに熊本のものと分かるくまモンの姿に度肝を抜かれたのは言うまでもない。

これを帰りの新幹線で頂いたのだが、遠ざかる熊本と面接で言われた、

「男はな、生まれ故郷の近くに在った方がええぞ」

という言葉を噛みしめながら、

(この地なら骨を埋めるのもいいか……)

ということをぼんやりと考えていた。


その一方で、三年ほど暮らしていた広島では秋になると酒祭りが開催される。

西条に連なる酒蔵を前にした饗宴へ、先輩方と共に伺った。

各地の銘酒を揃えた酒広場で思うがままに「試飲」するも良し、酒蔵を巡って楽しむも良し、まさに呑兵衛にとってはこの世の春とも言えるイベントである。

もし当時の課長が同行していなければ収拾のつかない事態となっていたであろうが、お陰様で無事に家路へと就くことができた。

ただ「青春」の只中に在った私は、各地の銘酒をいただいて上機嫌となり、いかほどのご無礼を働いたことか。

今でも当時の課長には頭が上がらない。


酒祭りの他に、広島でははしご酒のイベントである「地ぐ酒ぐ」というものが行われていたが、これは日本酒の作り手と呑兵衛とを繋ぐものである。

参加にはチケット代わりのリストバンドが必要であり、片腕にそれを付けた方を見かけてはにやりとしながら流川の周りを流離うのは何とも不思議な思いがした。

店ごとに出す一品は趣向が凝らされ、各酒蔵の酒に合うよう心が尽くされている。

しかし、あくまでもこの日の主役は酒蔵から招かれた杜氏であり、その酒の心を決めた面構えを拝みながらいただくと、

(これが地の酒か……)

という思いが胸を突き上げてくる。

この時に訪ねた店の中には、後に星を得ることとなるところもあったようだが、その日輝いていたのはあくまでも酒であり、杜氏であり、普段は光を抑えたものたちであった。

ただ、このイベントを思い出すたびに、泥酔して道路脇に寝込んでしまい気付けば病院に運ばれていたということも思い出す。

怪我や着衣の乱れこそなかったものの、思い起こす度に冷汗の出る若気の至りである。


こうした広島での生活の中でも、熊本に移り住んでからも各地の銘酒を見ては物珍しがり勝手気ままに飲むという習慣が変わることはなかった。

地域ごとに味の特徴が違うというのは何とも楽しく、その地で作られる酒はいつでも飲めるため後回しにすることが多かった。

居酒屋に入ればまずは酒を組み立て、それから肴を合わせていき、僅かに歪な欠片が隙間を空けるのも気にせずいただくことが多かった。


「大学出てても案外、頭はよくねぇんだな」

それに冷や水を浴びせかけてきたのは、一昨年に偶々たまたま立ち寄った浅草の酒屋の店主であった。

八三になるという店主は、矍鑠かくしゃくという言葉を体現されており、紺に染め抜かれた前掛けをつけて生粋の江戸訛りで立たれていた。

「昔はこうしたモンを接客っつってたんだ」

このように語る店主は、入って間もなく私に声をかけてくださり、私はそれを素直に拝聴した。

先の一言も、私の日本酒観を変えたお話に続くものである。

「地酒ってェのはその土地の酒だ。どんな字書くか知ってるかい? それが今じゃここいらの店でも新潟の酒を地酒つって出しやがる。しかも、それを有り難がる客がいるってぇから驚きだ」

この日、私は東京の地酒である「澤乃井さわのい」を買い求めて宿に戻り、いただいた。

「今じゃかんつけびんもねぇからな」

店主の言葉を栓抜きのなかった宿で思い出し、ベランダに王冠を引っかけて開けた。

三合いただき、この銘酒を知らなかった自分を恥じた。


熊本に戻ってからの私は、他所よその酒を全く飲まぬようになったわけではない。

家では伏見のウィスキーをいただくし、埼玉の日本酒もいただく。

すき焼きの時に「菊正宗」の樽酒をいただくのだから、飲む酒に節操がないのは相変わらずである。

ただ、あくまでも「地の酒」として腰を据えて飲む際には、熊本の酒をいただくように変わった。

特に、熊本のものをいただく時に合わせる酒とし、存分に楽しんでいる。

そうすることで器の合間に温かな空気が漂うようになり、何とも心地よい。

一方で、旅先ではその役目をその地の酒に譲る。

第二話で紹介した「志美津旅館」さんで頂いたのは豊後大野市は浜嶋酒造の「鷹来屋たかきや」であったのだが、女将さんの茶目っ気と酒の持つ華やぎと料理との織り成す世界はたまらぬものであった。

一方で、熊本に戻ってからいただいたのは小国町は河津酒造のロック用原酒「原」であった。

なるほど火の国はこのようであったなと頷く一杯であり、やはり熊本の地に根差した酒である。


こうした変化を経た今、しかしながら、昨年の秋は各地の酒をいただいた。

これはコロナウィルスによってオンライン開催となった酒祭りのクラウドファンディングの返礼品なのであるが、当日は仕事のため参加できず、一人でのんびりといただくこととなった。

初めのうちは良い酒だなという思いのみで頂いていたのだが、本数を重ねるうちにそこへ印字された地名が肉感を持って浮かび上がるような思いがしてくる。

それは昨年から続く災禍によって断たれたものであり、浮かび上がったものは私に惜しげもなく生彩というものを与えようとしてくれた。


ざらしを 心に酒の む身かな 枯野も街も 夢のさかずき


出会いを果たした酒と「地の酒」として再開することを願いつつ、今年の初めは純米大吟醸の「通潤」をいただいた。

熊本の赤が映える、見事な箱を見るだけで一合が消えそうになった。

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