第25話 陸奥の味

大学の卒業を間近に控えたある日、長崎は大波止にある信用金庫の電光掲示板を眺めていると、長崎へ三十センチの津波が到達するとの文字が嫌に目についた。

(大陸近海で大きな地震でもあったか)

当時はその程度の認識であり、対岸の火事という思いが強かったように覚えている。

白いアルトと家に帰り、当時は所持していたテレビを点けて愕然がくぜんしたのもまた私の中ではまだ「新しい」記憶として残っている。

東北で起きた震度七の地震。

日本列島を覆う津波警報と注意報の太い線。

液状化かと見紛う津波による奔流。

黒いものが水だと理解するのに時間を要し、街が飲まれる様を傍観した。


二〇一一年三月十一日、これが私にとっての東日本大震災の始まりである。


あの日以来、日本は一つの非常体制を取り、長いことメディアの押し付ける絆という言葉が酷く耳についた。

そして、陸奥みちのくは納豆汁を出す、私にとっての恐るべき土地から、訪ねるべき土地の一つとなった。


東北地方を実際に旅して回ったのは、それから八年後の一昨年であったのだが、高校時代に青森へは訪ねたことがあった。

未だに覚えているのは顧問と二人で飛行機から新幹線を乗り継ぎ、弘前の街で夕食をいただこうとして周りの店が居酒屋を除き閉まろうとしていたことである。

詮方なく間もなく閉まるという百貨店に入り、そこで夕食をいただいたのであるが、そこで頂いたもやし抜きの石焼ビビンバが私にとっての陸奥の味の始まりであった。

旅に出ておきながら何と言うことだという思いは今でも抱いているのだが、一昨年の旅路でも仙台のサイゼリヤで酔い潰れるという失態を犯しており、我ながら因果を感じたものである。

ただ、一昨年の旅路には若くて美人で静御前ではなく巴御前と呼ばれた顧問は同行しておらず、三十路寡のいつもの景色がただ茫然と広がるのみであった。


福島はいわき市で立ち寄ったバーで頂いたギムレットは、帰って行きつけのバーで語ったほどに強烈な印象を残した。

ジンとなにがしかの酒を加えてシェイクせずに注がれた一杯に、ライムピールの香りづけがされる。

目が回るような一撃にさいまれながら、ここが異郷であることを私は痛感した。

なお、この一杯は首都圏から応援に駆け付けた人の好んだものではないか、という話の真偽についてはいずれ確認したいものである。


この陸奥を回る際に付きまとったのは常に肉の誘惑であった。

米沢牛という筆頭格の他に、先代の牛タンや比内地鶏など指折り数えれば限りはない。

そうしたものを口にしなかったことに若干の後悔はあるものの、さりとて今更どうしようもならぬ。

それでもようやくにしていただいたのは「牛肉の味噌焼き弁当」という駅弁であった。

これを福島は郡山駅で買い求め、白河の関を回ってからいただいたのであるが、レンタル自転車で坂道を上り続けた後であったため堪らなく旨かった。

これについては白川駅の観光案内所で自転車を借りようとした際、

「自転車ですと、少々時間がかかりますよ」

という男性の言葉に耳を傾けず、レンタカー代をケチったために起きたことであり、後悔するまでに半時間も要しなかった。

これを別のエッセイで取り上げた際には、

 優男やさおとこ 負けるなかわず れに在り

という小林一茶の本歌取りで装飾しているが、実際にはカエルがしきりに鳴く田圃たんぼの脇を泣きそうになりながらぎ続ける三十路男があっただけである。

汗みずくになった後の濃い味というのは誠に頼もしい。


一方で常磐線が全線開通する前の浪江駅近くを歩き回っていると、八年前で時間が止まったままの自動販売機が突っ立っていた。

再び時を刻み始めた街の中で、懐かしいパッケージの色は薄くなっている。

行く川の流れは絶えずして、とも言うが、この街がどのように新たな色合いを見せるのかと思うと、コンビニで買い求めた珈琲がやや苦く感じられた。


陸奥の旅でも私に蕎麦は欠かせぬものであり、立ち食いを含めて一体何杯頂いたことか。

平泉では中尊寺金色堂を拝観記念にわんこ蕎麦ではなく、わりこ蕎麦をいただいた。

新庄で鴨つけそばをいただき、山形では板蕎麦にざる蕎麦と蕎麦屋をはしごしている。

その板蕎麦の店では足の悪い常連の方へのいたわりや感情を待たせたというだけでお詫びが入り、地の店としての在り方が確と見て取ることができた。

五月にしてなお肌寒さを残すためか、それは酷く染みた。


思いがけず郡山で過ごした一夜には、気にかかったおでん屋で飲んでいると隣から「コッコデショ」という聞き慣れた単語が飛び出してきた。

長崎くんちの名物の一つであるそれは、福島の地ではどこか浮いてい、しかし同時に取り除かれるようなものでもなかった。

コップに注がれた燗酒に俄かに刺激され、鼻をすする。

よく煮込まれたおでんの味は異郷を主張しながら、私の胃へと素直に収まった。


東北への旅路の前年、私は由布院を訪ねた。

この時、宿は商いを始めたばかりということで食事を出しておらず、駅の裏手の店で夕食をいただくこととしたのだが、そこは福島から移り住んだ方が切り盛りされていた。

福島県産の香茸の茶碗蒸しをいただきながら福島の酒を大分でやるというのは何とも奇妙なものだが、それ以上に心地の良いものであった。

確かな腕を持った店主の地元への誇りと温かな心配りが見え隠れする名店は、湯布院の方からも愛されているようである。


一方で、東北の旅の初日に立ち寄った居酒屋もまた温かなところであった。

朴訥という言葉がよく似合う老夫婦が切り盛りされ、その持て成しが皿の上に乗せられたのかと思うほどにどの品もたっぷりとしている。

そこで地酒をいただきながら話しているうちに、話が弾んだ。

「熊本からですか。うちのすっぽんも熊本の宇城から取っているんですよ」

「あら、奇遇ですね。ありがとうございます」

「熊本なら、三年前の地震は大変だったでしょう」

「……いやあ、東日本大震災の方が大変だったでしょう」

「いえまあ、最初は大変でしたが今でもこうして店をできてますから」


陸奥も 肥後も肥前も 食膳に 上れば腹も 心も満たし


老夫婦は週一度の韓流時代劇を楽しみにされていた。

飾り気のないその在り方に、絆というご真影を嗤い、交わされた言の葉に笑った。

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