第24話 養殖と天然
大学時代は水産学部に通っていたため、魚や食に
その中でも、栄養学の教授の話は鮮烈なものが多く、
「釣りたての鮪は死後硬直で食えたものじゃない」
「豆腐は大豆をふんだんに使えるアメリカの方が濃厚な味がする」
など公開できるものを選んでも視点を変えることの重要性を教えられたように思う。
そして、今の私に最も影響を与えたのは、養殖の鮪を貰った教授が別の教授にその大トロの部分をあげた時の話である。
ほくほく顔で帰ったその教授は、暫くして、
「いやぁ、脂が多すぎてとてもとても」
という感想を伝えに来たという。
このことを知っていて悪戯っぽく鮪をあげた教授もさることながら、それを話の枕にしようとする学生も酷いものである。
養殖の魚と天然の魚はよく比較対象になるが、私は養殖へ軍配を上げることも多い。
これについては、養殖であれば河豚の肝が食えるという水産学部の持つ見識によるものではないことを先に述べておく。
純粋に養殖されたものについての話に留めておきたい。
養殖された魚としてまず頭に浮かぶのはノルウェー産の鮭である。
ノルウェーの水産業は国家の威信をかけたものであり、日常口にする魚としては上物である。
無論、
チリ産の鮭もあるが、少しだけ自分に褒美を与えるのであればノルウェーの鮭を選ぶだろう。
前職でそれらを初めて気にしてみるようになった時、そうした微差が大きな差になるのだなと痛感させられたように覚えている。
なお、ノルウェーといえば鯖も有名であるが、こちらは天然物である。
関鯖などへの対抗は難しいが、こちらも脂が乗って旨い。
鯖といえば今年の年始に、例の金を配っている元アパレル企業の社長が紹介した十三の事業の中に、アニサキスのない鯖の養殖業を目指すとしたものがあった。
これらの事業に関してリツイートすることで現金をいただける権利を得られるということだが、私はただ一つこれを選んだ。
人から金をせがむなど野暮ではないかという揶揄が脳裏を掠めるが、金に意地汚いのは昔から変わらないさ、と開き直るのだから
とはいえ、リツイートは自分の発言の代替である。
しがない物書きではあるものの、物書きとして活動する以上は譲らないとする一線があり、この事業だけはそれを越えてきた。
つまるところは食欲を喚起されたということなのだが、それは生きること、そして自分の死への道に通じている。
そこに新たな歴史を刻む在り方には素直に賛同し、私の食卓を彩ってほしいと願うばかりである。
養殖の話をする際に、未だに忘れられない言葉がある。
「養殖業に夢があると思って水産学部に入ってきたなら、それは違う」
大学入学早々にある教授から突き付けられた一言であるが、これは蛋白質効率に関してのことである。
畜産は植物を動物性蛋白質に作り替えるのに対し、養殖は動物を動物性蛋白質へと主に作り替える。
そのため、養殖業はあくまでも環境や飢餓を救うものではなく、人の嗜好を満たすためのものでしかない。
例えば、鰻の養殖事業もあるがそれ自体は鰻を絶滅の危機から救うものではなく、完全養殖ができるまでそれは待つ必要がある。
故に、私は無理をして鰻を食べることはない。
話がやや逸れてしまったが、食に対して貪欲であることがはっきりと分かる養殖魚は私にとって活力になるものであり、そこに夢があるかは分からないが喜びはあるように思う。
こうした養殖魚の中でも私は
天草や長崎では鰤の養殖が盛んであるが、今年の年始もその刺身をいただいた。
たっぷりとおろした山葵をちょいとつけていただくのであるが、私のような下手が見よう見まねで引いた刺身でも見事な味がするのだから、元の味が良いのだろう。
天然物の半値程であったのだが、満足感で言えば十分である。
もう少し刺身を引く練習をして、いつかはこれで鰤しゃぶをやってみたいものである。
魚の養殖の話はよく出るが、畜産業も陸の養殖と言い換えられるのではなかろうか。
最近は狩猟によって得られた野生の肉も人気があるが、食肉においては明らかにこの「養殖」の方が主流である。
天然物と言っても良い猪をいただいたことがあるが、豚と比べると匂いに差があり好みが分かれるように感じた。
私はいずれも異なるものとして好きなのであるが、万人に受け入れられる味を求めた人類の英知には頭の下がる思いがする。
一方で、同じく狩猟の対象となる鴨についても私は肥育されたものを勧めたい。
良質な鴨肉としてフランス産の鴨や国産でも京都のものなどの名前が挙がるが、私は北海道の授産施設である北星園の鴨を推す。
肉質も脂の乗り方も程よく、葱と合わせて炒めただけで食も酒も進んでしまう。
人気のためか売り切れが目につくこともあるが、
養殖魚を利用した釣堀というのは手軽に釣りを楽しむには良い場所である。
そのような場所では釣りの腕前を
何とか格闘して釣り上げた後、捌く段になってその脂の乗り方によって養殖物であることを実感するのだが、戦い抜いた友としてしっかりといただく。
天草の海で育った鯛というのは豊かな甘みがあり、私の好物である。
さて、最初に述べた養殖鮪のトロについてであるが、この鮪は多くのトロが取れるように肥育されたものであり、その分だけ大トロの部分に脂が集まったという事情がある。
人の欲に従って育てられた鮪の変質を物語るものであるが、それを学生の時分は笑って聞いていた。
ただ、今は脂の乗り切った養殖鯛に強い愛着を感じるようになっており、この一年で主張の激しくなった腹を見るにつけそれが強くなるように感じる。
脂差す 赤身の先に 脂肪肝 浮世は見ずや 我が旗振る
一体何者が私を肥育したのだろうかとうち笑い、今宵もまた晩酌をすることになるのだろう。
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