第22話 麦スカッシュの追憶

子供からすれば大人が飲むものに対して疑問符の付くことがあるが、その代表格はやはり麦酒ビールであろう。

特に、缶チューハイという甘く、飲み易い商品がある現代においては態々苦いものを好んで飲もうとする大人というのは、理解し難い物があるのだろう。

かくいう私もそう思った一人であり、本格的に飲み始めた初期の頃は津軽リンゴ酒のソーダ割ばかりをいただいていた。

それがいつの間にか、麦酒を口にするようになり、今では好きな酒の一つになったというのだから舌の成長というのは面白い。

いや、苦味という本来は体にあだすものの排斥はいせき能力が弱くなっているのだから退化と言うべきか。

いずれにせよ、私にとってこれほどに親しみ深く、かつ奇妙な酒は他にない。


初めて麦酒を口にした年齢を問われたところで、お酒は二十歳になってからと返すことしかできない。

ただ、これを初めて口にした時には、

(うへぇ、人の飲むじゃないな……)

と強い拒否感を示したのは先に述べた部分と重なる。

それでも、体育会系の色の強かった飲み会で利尿作用の高い飲み物は必須と感じた私は、少しずつ飲む量を増やし、やがて愛飲するに至った。

嫌い嫌いも好きのうちとは異なるものの、苦手としながらも心のどこかでは、その奥底にある旨味を感じていたのかもしれない。

なお、辛いものが苦手な私であるが、某赤いコンビニに出ている「蒙古もうこタンメン中本」さんのカップ麺は好きであり、北極ラーメンはご勘弁願いたい。


苦いばかりが麦酒でないということを思い知らされたのは、長崎の麦酒をメインとしたバーに伺ってからである。

ベルギー麦酒という、私の中にある独逸ドイツ文化の象徴という固定概念を打ち壊した品々は、同時に、私が麦酒を楽しむ原点となった。

甘味や酸味に加えてベリー系の香りは、しかし、奥に流れる淡い苦味を以って自己の存在証明とする。

これで麦酒への抵抗感を失くした私は、暫く通い、やがて離れた。

それを境に、私は本当に麦酒を飲むようになった。


私が麦酒を口にするとき、ジョッキに注がれた生麦酒よりも瓶麦酒の方を好む。

これは故池波正太郎氏のエッセイに因るところが大きく、コップに少しずつ注ぎながら一口ずつやるのが本寸法である。

こうすることで、温度変化を抑えて長く均等な味を楽しむことができるそうだ。

しかし、真似しようとしたところで注ぎ過ぎてしまい、コップをなみなみと満たしてしまう。

これを一口で、となれば言い訳も立つのだが、今のところはただの若造の格好付けに成り下がってしまっている。

また、ジョッキそのものが重たいため、のんびりやるにはこちらの方が好きである。

そして、実家の蕎麦屋に置いていたのは瓶麦酒だけであったことから、そちらの方が馴染み深い。

中でも、平日の昼間に来ては瓶麦酒を何本も空けていくおじさんがあり、その威勢のいい在り方と不思議な雰囲気に呑まれていたように思う。

今思い返してみれば、堅気の商売をされてはいなかったのかもしれない。

食卓の前ではそのようなことは細事であるのだが、この方の恐ろしいところは蕎麦味噌や板わさだけで十本近くも飲むことがあったところだ。

当時、伝票を見てヱビスの横に並んだ二つの正の字を見ると、誰が来たかが分かるほどであったが、本格的に飲むようになった今、その恐ろしさが身に染みて分かる。

いずれ姿を見なくなったのだが、それも仕方のないことだろう。


瓶麦酒といえば、同じように一家言を持つ、父の知人がいた。

高校生の頃ではなかったかと思うが、父に上咽頭癌の疑いがかかり、PET検査を受けるべく福岡で一泊することとなった。

その際、父の友人が宿を供してくれたのだが、付き添った私も一泊させていただくこととなった。

御新造を亡くされ、息子さんと二人暮らしをされていた男性は、夕食の買出しに当たってこのように語られたのを覚えている。

「いいかい、缶麦酒はね、温度によって缶の成分が解けだして味が変わるから、瓶麦酒の方がいいんだよ」

これを高校生に語った男性もさることながら、そのような話をされたところで専門外であるために味の変化も含めてよく分からぬ呑兵衛となった私も中々なものである。

それでも、家で麦酒をいただく際には、缶で飲もうと瓶で飲もうと最近はグラスに注ぐようになった。

そちらの方が少々口当たりがよい、と感じるからであるが、それを気にするのであればかの男性の言葉の真意を気にすべきなのだろうな、と我ながら可笑しくなってしまう。


麦酒といえば、ノンアルコールビールもあるが、私は酒が飲めぬ食事の席でこれをいただくのが好きである。

自宅でも食事を邪魔せぬものとして、炭酸水の代わりにいただくことがある。

とはいえ、その主戦場は飲めぬ宴会で酌をしあう際の麦酒の代用品となる時である。

前職の飲み会では、その直後に仕事があるために麦酒も酒も飲めぬことがあったが、お構いなしに注ぎに来るパートの小母様方相手に、ノンアルコールビールで乗り切ったことがある。

その時に呑んだ本数は覚えている限りでも八本であったから、実際に呑んだ本数はそれ以上であったのではないか。

その後、周南に向けて高速道路を西に駆け抜けたのであるが、たぷんと鳴りそうな腹を抱えての疾走は苦しくも甘美なものであった。

余談ではあるが、本物の瓶麦酒でも宴会ではそれ以上に瓶を空にする。


前職では、仕事納めの日には最後の二時間ほどで酒が振舞われるのが恒例であった。

それは同じ課の先輩のお兄様が亡くなられた年も同じであり、ただ、葬儀に参列した我々はその後に一本ずつ缶麦酒を空けるに留まった。

日頃は気さくで芯の強い先輩が、顔を真っ赤にして、

「ありがとう、来てくれて」

と泣かれていたのが強く残ってしまい、何とも苦い味がした。

その一方で、父の棺を前に酒を飲んだ。

家族葬というよりも密葬と言うべきそれは、派手な祭壇もなければ立派な坊主もない中で一晩を待つものであり、何とも静かなものであった。

姉夫妻も自宅へ戻り、一人残された私は翌日には骨となる父の分と合わせて二五〇ミリリットル缶を買い、空けた。

それは感謝を示すものであったのか、それとも、償いのためであったのか。

いずれにしても、あの時ほど苦味の淡い麦酒はそれ以前もそれ以降も飲んだことはない。


何故苦い 麦酒飲むのか いぶかしむ 子供の影の 消えた眼差まなざ

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