第21話 おかしなパン

 繁忙期になると昼食時間を設けることが億劫になり、簡単に済ませることが多くなる。

 これを突き詰めると一日一食への道が開けていくのであるが、繁忙期でも比較的に緩やかであれば日々同じカップ麺をいただくようになる。

 そして、その間に位置するとき、私の昼は菓子パンになっていく。


 今冬の繁忙期の一つを乗り切ったばかりなのであるが、年末年始の忙しさはミニあんぱんで越えたようなものである。

 手軽にいただくことができ、また、腹の具合に合わせて食べる量を調整できるのが良い。

 しかし、何より疲れた時に甘味というのは脳の疲れを癒し、次の仕事への活力を生む。

 これは前職で忙しい時も同様にしており、長距離移動をする合間に車内で頂くあんぱんとコーヒーというのは私を支えてきてくれた。

 これからもお世話になることが多々あるのであろうが、とはいえあまりに何度もお世話になりたくないのもまた事実である。

 なお、旅先で車窓を臨みながらいただくのもまた、よい。


 パンは今やいたるところで目にすることができるが、コンビニにおけるパンの品揃えはその店の在り方が透けて見えるようで面白い。

 繁忙期を避ければ、やはり肉の入ったパンをいただきたいと思うのが私であり、そうした際に某赤いコンビニへ入ると中々これというパンが見つからないことが多い。

 その一方で、かの青いコンビニへ入るとおよそメンチカツバーガーがあるため充足されてしまう。

 それでも、菓子パンや食パンへの心配りは赤いコンビニの方に軍配が上がることが多い。

 ある緑のコンビニでは、パスタと一緒に買い求めるという暴挙に出ることが多いためパン単体での印象は薄いが、それでも不満を持ったことはない。

 気分によってこれらを使い分けられれば良いのだが、そう都合よくいかないのが日常である。

 肉の入ったパンをいただきたいと思いながら、道中に赤いコンビニしかなく、路線変更を迫られることもままある。

 最近は、そうでなくともパッケージ変更によって青いコンビニへ寄ることに恐怖を覚えているから、そもそもの選択肢が減っているのであるが。


 パンといえば長崎は浜屋デパートの一階で、ミニクロワッサンの売り出されていた時期があったように思う。

 当時は何と洒落たものだろうかと目を輝かせていただいたものであるが、今、コンビニで売り出されているものを目にしても当時の憧憬を思い出しこそすれ、そこまでの感動を味わうことはできない。

 博多に出ると、その駅舎にあるミニクロワッサンの店が目につくが、よく人が並んで買い求めているように思う。

 私自身は空いたときに一度だけ買い求めたことがあるのだが、並んでまで買おうと思ったことはない。


 大学一年の頃、私が『壮士』であるとしたドイツ語講師と共にパン屋へと入ったことがある。

 年の頃は五十前後ではなかったかと思うが、御新造とお子様が二人いると伺っており、その生活は中々の荒波であったと耳にしていた。

 そのような先生がネクタイも嵌めずにダブルのスーツを纏い、堂々たる体躯を揺らしながら、小さなピロシキを四つ買い求める。

 家族への土産とするのだという。

 その光景はどこか眩しいものであり、その後、先生は大学から消えてしまったためにそれを喜んでもらえたのかどうかは分からずじまいである。

 しかし、私の中でピロシキを求める老父とミニチョコクロワッサンはどこかでつながっている。


 子供の頃のパンといえば、長崎大学の歯学部付属病院へと定期検診に伺っていたのであるが、その帰りに必ずと言ってよいほど母と立ち寄ったパン屋のものであった。

 子供にとって歯医者ほど嫌なものはなく、それを少しでも慰めたのはアンパンマンのアニメーションと検診後の楽しみであったように思う。

 やや薄暗い建物を出て、検診から半時間を経て後に至る香ばしい匂いは未だ脳漿に残っているらしい。

 スーパーで買い求めるパンや給食のパンも好きではあったのだが、トングで掴むパンはその行いだけで何か品が違うような思いがし、背筋を正して頂いた。

 母はコーヒーや紅茶を片手に、私は牛乳やジュースを片手にいただくのだが、その頃には安堵と美味とに挟まれて何とも幸せな心持がした。

 今は歯科医に行くことが苦痛ではなくなったのであるが、それは成長によるものなのかそれとも下心によるものなのか……。

 いずれにしても、もう二十年近くかのパン屋には立ち寄っていない。


 給食のパンもまた、私にとっては欠かせないものであった。

 以前に書いた通り、私は幼少期からアレルギーを抱えていたため、おかずが食べられないこともあった。

 その時にはパンと牛乳だけが私にとっての頼りであり、全幅の信頼を置いていたように覚えている。

 しかし、いつの頃からかその中にパインパンなるものが混ざるようになり、酵素の失活など知る由もない子供にとっては禁忌の食となった。

 そして、いよいよ牛乳だけの昼食に至ったのは以前にも書いたとおりであるが、その時の裏切られたような思いというのは、それからしばらく給食室を恨めしく眺めるほどには深かったように思う。

 それが高校の頃には笑い話に変わっていたのだが、それは単純に成長したためであったのかそれとも慣れてしまったためなのか……。

 いずれにしても、給食には学校生活の悲喜こもごもが練り込まれている。


 そして、高校生になると通学距離が伸びたこともあって、母も弁当を作り切れずに弁当などを買うように言われることが度々あった。

 その際に購買部で弁当を買い求めたというのは以前に話した通りであるが、それよりも頻繁にいただいていたのはパンであった。

 百円でおやつとなるラスクは別として、その中でも最もよく食べていたのはコッペパンを切り分けた間にホイップクリームを詰め、その上からチョコをかけたものである。

 甘味が好物であった私は、時にこれを三本買い求め、部室でぺろりと平らげたこともある。

 これに合わせるのは紙パックの甘いレモンティー。

 今にしてみれば血糖という二文字が邪魔をして純粋には楽しめぬ組み合わせであるが、青春の味というのは甘酸っぱさの中に在るというのであれば、私のそれは少々甘味に寄り過ぎていたのかもしれない。


 腹の内 包み隠して パンの味 笑わば笑え 泣きたくば泣け

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