第20話 病院食

三年前に持病の手術のため二週間ほどの入院生活を経験した。


この持病については、故池波正太郎氏が体操で治したというものと同じであり、復職して最初の会議で、

「鶴崎さんは病の治療から復帰して……」

という司会の紹介において思わず強勢がおかしくなるようなものである。

私の持病はまだ然程に深刻なものではなかったように思うが、それでもできるときに治療しておくべきと一念発起しての決断であった。

人生初の手術ということで緊張する部分もあったが、それ以上に、

(慌ただしさより離れて休める……)

という思いの方が強かったように思う。

そうした舐めてかかった患者は、手術に関する説明を聞くうちに鍛えられた想像力によって緊張の極みに達し、眩暈と吐き気に襲われる。

病院で緊張のあまりにひっくり返ったのは小学校時代の採血以来であったが、久方振りに自分が変わらぬことを痛感させられた瞬間でもあった。


それでも麻酔で鈍痛を味わってからは、平静を保つためにも取り留めのないことを考えるようにしていた。

特に、電子メスで切られていく際に、

(ああ、この香り、焼肉を食いたいなあ)

と思いながら暖かな局部麻酔の感覚に温泉宿にいるような錯覚を覚えた。

術後、担架へと移される際に、

「鶴崎さん、最初の時と同じように腕を胸の前で交叉させてください」

と執刀医に言われ、

「出棺のポーズですね」

と返してその場にいる人を笑わせてしまった。

ツタンカーメンとなった私は、断食明けの食事を思いながら痛み止めの誘う眠りに就いた。


さて、手術の翌日には粥と刻み食が提供されるようになる。

その日の昼食は、粉吹こふき芋と魚の煮付けに青菜のお浸しというしっかりしたものであるが、魚も高野豆腐も青菜も見事に刻まれている。

前職で病院食の提供の手伝いに入ったこともあった私は、

「味気ないもんだよな、作る俺達が言うのもなんだが」

という先輩の言葉を思い出しつつ、手を合わせて美味しくいただいた。


術後四日目にして刻み食の提供が終わり、それに伴って食事の場所もベッドの上から最上階の食堂へと移ることとなった。

リハビリを兼ねてのことなのだが、見晴らしの良い場所での食事は何とも心地の良いものであった。

と、ここで締められれば良いのであるが、私の普段の晩餐はパソコンで動画を見ながら過ごす寛ぎのひと時である。

景色の良さと言っても、それを一人で黙々といただくとなれば話は別である。

そのため、看護師さんに申し入れて五日目にはベッドの上での食事に戻ることとなった。

退院するまで、見知らぬ人たちの中で黙々と食事を摂ることに耐えられなかったというのも笑い種である。


入院中、先輩にお見舞いへと来ていただいた。

その際に差し入れの希望を聞かれた私は缶コーヒーを所望したのだが、そんなものでいいのかと驚かれたものである。

それもこれも充実した三食の下に在ったため、間食という思考に至らず、強いて言うのであれば物語を描く際に頭を切り替えられるものを欲したのである。

先輩はタリーズブラックの缶コーヒーを三本も買ってきてくださった。

私の欠員による多忙への申し訳なさと、その合間を縫ってきていただいたという事実に感謝しつつ、退院するまでに日を置きながら余すことなくいただいた。

その一方で、入院の日に持ち込んだアクエリアスは共に家路に就いている。


病院で出される食事には、配膳票が添えられている。

これは必要なおかずを確認したり誤配を防いだりするうえで非常に重要なものであるが、病院以外にも保育園や老人ホームで出される食事にも利用されることがある。

利用者から見れば、どのような食事が出されてどのような栄養量であったのかを確認するうえで便利なのである。

それを記念にと持ち帰ってしまう私のような患者は、入院しても捨てられない病が治らないようである。

それはさておき、改めて本文を書くにあたってそれを見返してみると、当時の生活が陽炎のように浮かび上がってくる。

私の名前という四字熟語の横に記された病室番号は、やたらと注文の多かった隣のおじさまと程よく光の入る私のベッドを思い出させる。

日付を見れば、中小企業であるために役員らが見舞いに来て恐縮したことや小柄な看護師さんがお隣のカーテンの掛け直しに悪戦苦闘されていたことを思い出す。

栄養量の一覧は、今の私に栄養過多の警鐘を鳴らし、特に七百キロカロリーと三グラム未満の塩分が胸に刺さる。

そして、ご飯の量と禁止食材の一覧を見ると、私の姿が浮かび上がってくるから不思議なものである。

前職でもそうした配膳票を見る度にその人と対しているような気分になっていたが、この表を見て私のことを思った人もいるのだろうか。

私の禁止食材にはアレルギー関連として四つの食材が載っているが、保育園の配膳票ではこれより遥かに多いアレルギー食材が並ぶことも多い。

その一方で、老人ホームでは「とろみ」や「きざみ」という指示があり、そうした方の様子が手に取るように見えてきてしまう。

また、老人ホームでの指示にはアレルギーではない禁止食材が並ぶ。

所謂好き嫌いなのであるが、保育園などの後にこうした配膳票を見ると人生で積み重なってきたものを見るようで複雑な思いがしたものだ。

そして、出産されたお母様の食事は配膳票がなくとも分かるのであるが、そこに並ぶ名前の先にもう一つの名前が炙り出されてくるようで、たまらなく嬉しかった。


私の入院した病院では胃腸の調子を整えるために根菜が多く使われていたのだが、これだけの献立を考え、禁止食材に対応された栄養士の方には頭が上がらない。

退院を前にした夜に出されたコロッケは、患者の思いの如何を別にして日常が流れていることを明確に示す。

入院中は伸びるに任せていたひげり、明後日に控える社会への復帰に身構えていたのであるが、その分だけその晩餐は堪えられなかったように思う。


全て残さずいただいた。それを確認して、私は最後まで静かに手を合わせた。


気の折れる 姿示して 病だれ 奮い立たせし ぐな味


思えば入院中の楽しみといえば食事しかなかったのであるが、三年を経た今でも楽しみではある。

ただ当時の渇望感とは趣を異にするのもまた事実である。

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