第15話 家の匂いのするラーメン
熊本にきて驚いたことの一つは、旨いラーメン屋がとかく多いことである。
火の国と呼ばれる所以はこのラーメン熱故かと錯覚するほどであり、一口に豚骨ラーメンと言ってもこれほどまでに異なるものかと感動させられた。
近頃は年越し蕎麦ではなく、年越しラーメンや年越しうどんというものもあるようで、さもありなんと頷かずにはいられない。
仕事も本格的に始まった今宵、サラリーマンの心を温める一杯について語ることを許されたい。
大上段に構えたのはいいものの、私はラーメンについて一家言があるわけではない。
大好物の蕎麦についてであれば愚にもつかないような考えがこれでもかと噴き出してくるのだが、ラーメンについては他の方の意見を素直に伺うことの方が多い。
とはいえ、何も考えを持っているわけではなく、好きなラーメン屋もあればあまり味の好ましくないラーメン屋もある。
その中で特異な位置を占めているのが長崎の「思案橋ラーメン」である。
ある長崎出身の歌手の影響だと聞き及んでいるが、帰省の度に並んでいる観光客らしき姿を目にする。
しかし、その味は格別に美味しいというものではなく、呑兵衛としてどこか安心する味と空間であると評するのが適切である。
少し飲んでからバーなどで一杯ひっかけ、最後に立ち寄るようなところだ。
疲れが顔に浮かぶものの、それと同じぐらいに笑顔の浮かぶ面々を眺めながら、カウンターでコップ酒をいただく。
ラーメンの前に医者が裸足で逃げ出しそうな程に色付いたおでんを摘まむ。
そして、白濁のスープを湛えた丼をいただき、一心不乱に腹へと収める。
決して目立つような味ではないのだが、飲み明かした見知らぬ友たちと共に頂く楽しみというのは確かに堪えられない。
故に、昼間から並ぶ観光客に一礼をして前を通るようにしている。
このようなラーメン遍歴を経ているせいか、はたまた、蕎麦屋の倅という立場に因るのか、バイト先の友人は私の拉麺に対する感想をあまりあてにしていなかったように思う。
私も特にどこどこのラーメンが旨いという話をすることはなかったのであるが、皆で食事へと出かけた際にあるラーメン屋へ入ろうとしたのを止めたことがある。
それより前に独りで伺っていたのだが、その際に味と供し方に難があると感じたためである。
「でも、鶴崎の言うことだからなぁ」
という一言で押し切られた私は、その後で、
「鶴崎も不味いのは分かるんだな」
という妙な謝罪を受けることとなった。
社会人となってからは誰かとラーメン屋に入るということも極端に減ったのであるが、熊本でお付き合いしていた方と「火の国文龍」さんへ伺ったことがある。
濃厚な豚骨スープと入れ放題の大蒜味噌が何とも強力な店であるが、その先のことなど一切考えない二人は大いにそれを愉しんだ。
流石にその後でチョメチョメという流れにはならなかったのであるが、なっていたらいたで話の種になっていたことだろう。
その方とは既に別れたというのは以前に述べた通りであるが、正月にふとラインを整理していると苗字が変わっていることに気付いた。
私のように世相の粗を求めるような人間ではなく、良い方と結ばれたようで安心し、お陰様でより旨い酒をいただくことができた。
なお「火の国文龍」のラーメンは時に発作のように食べたくなる時があり、一種別格のラーメンとして君臨している。
今の上司は「麺食い」であり、殊ラーメンについては非常に詳しい。
熊本といえば豚骨ラーメンという常識が頭に在ったのであるが、この天動説を覆したのもこの上司であった。
まず下通は酒場通りに面した「マルイチ食堂」さんは熊本の誇る地鶏である「天草大王」を使用した塩ラーメンが特徴である。
その清らかな味わいは私にスープを全て飲ませるという偉業を成した。
これについては、ラーメン屋の多量のスープを見ていると、さすがに塩分が怖くなり申し訳ないと思いつつも半分ほどで飲むのを止めるようにしている。
かけ蕎麦の汁やインスタント麺の汁は飲み干す癖に何をやっているのかと怒られそうであるが、この個人の禁忌を捨てさせるほどの美味には脱帽させられた。
特に、
ただ、コロナ禍で営業時間が変更となり、今は伺うことができないである。
まあ、そもそも深夜二時には閉まるため、私が「
もう一軒は平成けやき通りに面した「ラーメン里屋」さんであり、胃を愉しませるような醤油ラーメンを出されている。
昼間に伺い、麦酒の中瓶を一本愉しんだ後で頂く一杯というのは豊かな休日を齎してくれること請け合いである。
ただ、繁華街からは離れているため、最も恋しい酒後の一杯とはならないのが玉に瑕である。
醤油ラーメンといえば、一時期長崎でも美味しい一杯をいただくことができた。
メルカ築町という商業施設が新規開業した際にあった中華料理店の醤油ラーメンは、その建物に不釣り合いなほどに丁寧な仕事のされた味であった。
今はもう望むべくもないが、時に恋しくなってしまうのを抑えることはできない。
熊本は
醤油豚骨という評価が当たっているのかは分からないが、具材自体はきくらげ、
ただ、叉焼の量を見ると注文を間違えたかと疑うほどに多い。
常であれば一枚か二枚乗ったチャーシューを惜しみながら楽しむところを、逆に、麺をいかに残そうかと悩むほどである。
そして、何より店の中が明るい。
一度は平日の昼間というのに酒をやっている方々が複数おられ、思わず生唾を呑み込んでしまった。
その時、ふと「思案橋ラーメン」のことを思い出してしまったのも仕方のないことである。
温もりは 丼一つ 包み込み 麺にスープに 至る喜び
熊本市から車で一時間強の理想郷は、どこかで時間が止まったかのような面持ちのする空間である。
バスで伺えば、私もその輪の中に混ざることができるのであるが、未だできずにいる。
そうしたところもまた、「思案橋ラーメン」の幻想が見える
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます