第16話 バーに謳えば

会社から外食自粛「要請」を受けてどれほどになるだろうか。

その間に積み重なったものは大きなおりとして私の中に溜まっており、やがて行き場を失って溢れ出すのではなかろうか。

男の一人暮らしというのは、こうした時に思わぬ弱点を晒す。

女性も同じなのかもしれないが、言及できるほどに私は女性に明るくはない。

常にはどのように過ごしていたのだろうかと振り返ってみれば、ぼんやりとした景色の先に背を正したバーテンダーの姿が見える。

伺えぬのであればせめて戯れにそうした店のことを思い出して慰みとしよう。


私が初めて訪ねたバーは「セラー・ランプライター」さんであり、ここが私にとってのバーの原風景である。

改めて長崎のエッセイで登場していただく予定であるため、店の在り方はその時に譲りたいと思う。

ただ、この中で生意気な小僧は多くのものを教えられた。

特に、反骨精神が旺盛すぎ、何かと自分の知識を外に出そうとした私も、バーの中では控えるということを覚えた。

むしろ、マスターから飛び出す酒にまつわる物語に聞き入ることが多かった。

それはいずれも私にとっては大切な財産であるが、ここで語るのは控えたいと思う。

やはり、その場に在って飲んでこその「物語」である。


この店には友人ともよく通ったが、それ以外にも女性を連れて行ったことがある。

何とも素朴で、触れれば崩れてしまいそうなほどに華奢きゃしゃな方であったのだが、学生時代最大の勇気を振り絞って彼女を誘った。

その時の甘美なひと時は、未だに忘れがたく、今思い返してみても琥珀色に輝いている。

背の低いソファーに腰掛けながら、慣れぬボックス席と雰囲気に戸惑いつつも精一杯の背伸びをしながらそのひと時を壊さぬようにしていた。

いつものように任せるべきはマスターに任せ、要らぬことをせぬようにしていたのは鍛錬の賜物であったのかもしれない。

ただ、私の勇気などここまでである。

淡い気持ちを抱きながらも、どうしても彼女や周りとの関係を崩すことに恐怖を覚えていた私は、それを伝えるには至らなかったのである。

そして、エンジェル・キッスは私にとってほろ苦いカクテルとなったのである。


関西に住んでいた頃、大阪のホテルのバーに伺ったことがあるが、椅子を引いてもらってから腰掛けるというのが何とも可笑しかった。

決して悪い気持ちではないのだが、小僧にしては部不相応な待遇だなという思いがして、緊張こそしなかったもののむずむずしたものを抱えながらギムレットをいただいた。

三十を過ぎてから熊本のホテルのバーに伺ったこともあるが、この時はあまりこそばゆい気もしなかったように思う。


長崎を離れてから広島で過ごした三年ほどは、あまりバー通いをしていなかったように記憶している。

それ以上に足繫く通った店があるというだけの話であるが、珍しく一歩を踏み出すということをしなかったことも大きい。

それでいながら、山口で過ごした一年ではいくつかのバーを訪ねた。

その中で印象的であったのは宇部新川のバーであり、駅周辺の落ち着いた雰囲気とは異なる、何とも明るいところであった。

バーテンダーはそれなりにお年を召されていたのだが、その様子を見ていると往時の繁栄がそれとなく察せられるようであった。

宇部の街といえば、このバーとひどく安いビジネスホテルと霧に包まれた宇部興産の工場群が私には思い起こされる。

いずれもどこか浮世離れしていて、しかし確かな現実性を持った都市である。


熊本に移り住んでからは、伺うバーが二つできた。

下通は城見町通りにある「Barてれすこ」さんがその一つであり、明るい雰囲気でありながら落ち着いた雰囲気の崩れぬ良い店である。

それは気さくでありながら飄々とされたところのあるマスターの在り方と、それに親しむ馴染みの客によって組み立てられているのだが、それでいてその空気は外に開かれている。

そして、最も特筆すべきはマスターが豊かな漫画への愛情で裏打ちされており、その蔵書も見事なところである。

長崎のバーで書斎をモチーフにしたバーもあるのだが、そこはどこか長居することができず、こちらから馴染もうともしなかった。

しかし、こちらの漫画が繋ぐ縁は容易に私の中に巣食ったようで、小粋なやり取りと飾られた漫画家のサインを眺めながら一杯ひっかけていく時間というのは代え難い。


もう一軒は「Bar ビレッジ」さんであり、洒落た外装と落ち着いた雰囲気に魅了されること請け合いの一軒である。

奇をてらうことのないその佇まいは、古き良きバーの在り方をこの肥後に示す。

艶のある空間に揺らめく煙草などがあれば、実に様になってしまう。

煙草はいけないとバーで言う野暮もあるらしい。

しかし、そうしたものとは無縁のこの世界で、私はホットウィスキーをやりながらゆったりと過ごすのが大好きである。

バーといえば入りづらいと考える方もあるだろうが、街場のバーを自負し、それに独特の矜持を持つマスターに接すれば、それがいかに杞憂であったかを思い知ることになるだろう。

それでいて、ホテルのバーとは異なる、確かな技を持つ。

突き出し(敢えてそう呼ばせていただく)もまた乾き物ではなく、何かしらしっとりとしたものがである。

それは伺う度に異なる思い出を残し、時に甘味で疲れを癒し、時にポトフで心を温め、時にグラタンで私を幼児に引き戻す。

そうしたクラブ通りのオアシスは時に軽妙な「異質」を放つ。

それも私にとってはまたとない美味であり、そも「毒」と「薬」の二面性を知ってこその酒の味である。

思えば春菊の苦味を嫌っていた小僧は、今やその苦味を愉しむ身となった。


そして、私が一年半ほど前から執筆活動を本格的に再開させた動機もこのバーにある。

小説を書こうと志された方と出会い、焼け木杭ぼっくいに火が点く形となった私は、それからというもの高校時代以上の勢力で取り組んでいる。

先方の事情をこちらで語るのは野暮であるため差し控えるが、いずれにせよ熊本が私の文芸生活において第二の故郷となり、この店が第二の根となりつつあるのは事実である。


夜の街を 如何に彷徨う 根無し草 引けば呪いの 叫びあるやも


コロナの騒動が落ち着いた暁には、改めてこうした場を求めずにはいられないだろう。

白日の下に曝された寡の姿など、そのまま灰になりかねないのだから

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る