第14話 芋焼酎の諧謔
食のエッセイを私が書く上で避けては通れぬのが酒である。
五歳で芋焼酎を楽しそうに誤飲してからはや三十年が過ぎようとしているのだが、それ以来、数多の酒を飲み、大いに酔った。
時に迷惑をかけることもあり、恥ずかしい思い出もあるのだが、それを隠していても仕方がないと思うほどには大人になった。
いや、正しくは開き直ったというべきだろうか。
ともあれ、こうした酒についての思い出を紐解いていきたい。
さて、先述の芋焼酎誤飲事件が私の呑兵衛遍歴の始まりなのであるが、これは決してよくある「誤飲」と同じにしてはならない。
というのも、あくまでも焼酎を「間違えて」飲んだだけであり、その動機は正月でなくとも「お屠蘇」が飲みたいというものだったからである。
家で留守番をしながら、父の部屋に入って戸棚の中に在った容器から漂う酒の香に、お屠蘇と同じものと確信した私は、これまた近くにあった朱の杯で人生初の酒盛りを始めた。
事が発覚したのは、帰宅した母が泥酔した私を見たからであるが、その様子を見て、
(子供が酒を好き好んで飲むなんて……)
と嘆くよりも、
(この子は将来、大酒豪になる)
と感心したというから中々にいい性格をしている。
その後、その容器は失われたのであるが、
「あの焼酎は、いいお酒だったんだけどねぇ」
とこの話が出る度に惜しみながら捨てたということを母に聞かされたものである。
このように酒豪を嘱望されて育った私であるが、結果としては然程の大酒飲みになることはできず、期待に応えることはできなかった。
事実として、学生時代には浴びるように飲んで飲まされて泥酔し、ご迷惑をかけたことが多々あった。
その中でも特に大きいものが二つあり、いずれも焼酎が絡んでいる。
特にその初回は飲み放題の品数が少なく、散々に芋焼酎の水割りを飲んだ。
その後、泥酔して嘔吐し気を失った私は、飲み会を行ったホテルの一室に担架で運ばれたそうである。
この辺りの記憶は全くない。
ただ、目を覚ますと私は下着一枚にされており、隣にはガウンを羽織って煙草を吸うバイト先の職員の姿。
思わず尻を押さえるほどには混乱していたのであるが、これをもう一度やってしまうのだから我が事ながら情けない。
流石に二回目の失敗を経て、私は焼酎の飲み過ぎには気を配るようになった。
我が家では、店に並べる酒を決める際に家族会議を開くことがあった。
高校の頃ではなかったかと思うが、扱う焼酎の銘柄を変えることになり、この時も家族会議が開かれた。
結果として吉永酒造さんの焼酎である「甑州」が選ばれたのであるが、私だけは同じ蔵元の「五郎」の方を推していた。
これに納得がいかずにいると、
「そうね。あんたはこっちの方が好きやろうね。でも、香りの柔らかい方が売れる」
と母が嗜め、ああ、と納得した。
五郎の方がより強く芋らしい香りを味わうことができたのである。
いずれもいい焼酎ではあったのだが、自らの好みのみを考えた自分に今でも苦笑せずにはいられない。
芋焼酎といえば森伊蔵酒造は「森伊蔵」がよく知られている。
時に量販店に伺うと目玉の飛び出すような値がつけられているが、実家の蕎麦屋では一杯七百円ほどで出していた。
定価自体は二千円から三千円ほどではなかったか。
そうしたことを知っているために、焼酎ブームの当初は安いと驚かれるお客様がいたことに首を傾げていた。
私も「森伊蔵」そのものはいい酒であると思うし、好きな焼酎の一つではある。
ただ、やがて高騰していることを知ってからは自ら飲むのを差し控えるようになった。
それに加えて、より好きな芋焼酎も多々あるため不便はしていない。
「森伊蔵」は飲みやすさ、芋の臭いの無さを追求した名品であるが、先に述べた通り私は芋の香り自体が好きであるため固執する必要がなかった。
学生時代は意地になって飲まなかったようなきらいさえある。
「私は五歳の頃からの芋焼酎呑みなんだ」
という妙な矜持を以て、そうしたブームと相対していたように思うが、単なる偏屈というよりも小僧の戯言と言うべき在り方であった。
熊本に移り住んでから、黄金週間に後輩の家へと遊びに行ったことがある。
垂水市から鹿屋市へと入ったのであるが、そこで同行していた後輩ともども厚い持て成しを受けた。
夜、しゃぶしゃぶの店に伺ったのだが、そのときに初めて水割り燗をいただいた。
水割り燗は、予め焼酎を水で割っておきそれに燗をつける飲み方であるが、割ってから飲むまでに寝かせる時間が必要であるため、呑兵衛たる私にとっては何とも嬉しい逸品である。
肉も良かったのは勿論のことであるが、私が伺うことを知ってからのこの後輩の日々が重なるようで、忘れられぬ味となった。
翌日、焼酎の専門店も紹介してくれて大満足の旅路であったのだが、その時の焼酎は嬉しさに比例して早々となくなってしまった。
またいつかは、と思いつつ既に五年以上が過ぎている。
最も飲んだ芋焼酎といえば、やはり広く販売されている「黒霧島」である。
これを部活の飲み会やバイト先の仲間との飲み会ではよく飲んでおり、そうした事情から私が芋焼酎好きというのは知れ渡っていた。
あまり飲まなくなって久しいが、日常の食卓を彩るうえでは頼もしい存在である。
そして、大学時代の最後の飲みは就職のため神戸へと移住する前日、最後のバイトを終えた後であった。
そこで、後輩たちと酒を酌み交わしたのであるが、そこにも焼酎があった。
とはいえ、持っていく荷物の最後の準備もあり、その日は流石に多くを飲むことはなかった。
その宴の最後に贈られたのは「森伊蔵」の一升瓶であった。
傍から見ればなんと豪勢なことかと見えるだろうが、その内実を知っていれば苦笑せずにはいられない。
元々は、当時のバイト先のトップに贈られたものであり、それを焼酎は飲まないからとある職員が譲られ、その果てに私の手元に来たのである。
袋もない一升瓶は、それまでの五年のお勤めを締めくくるには大きく、どこか諧謔の香りがした。
春の香は 芋の香りか 送り出す 私も友も 笑顔欠かさず
バスもなくなり、タクシーに乗る金もなく、その一升瓶を肩にかけて家まで一時間ほどかけて歩き帰った。
実家に帰省すると、それは魔法のように消え失せていた。
なお、未成年は酒を飲んではいけないことを最後に記しておく。
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