第13話 新たな年を祝う

新たな年の門出を祝う、というのは年末に働きづめとなった蕎麦屋にとっても変わらぬことである。

ただ、家内には死屍累々が広がっているのも私の原風景でありそれは初日の出以上に私の迎春の思いを強くする。

今年の正月はどこにも出られぬために、そうした正月の在り方が蘇ってきたのであるが、この場を借りて正月の思い出を俎上に乗せるのもまた一興であろう。


祖父がまだ健在であった頃、我が家には多くの親戚が訪ねてきていた。

父が蕎麦屋を始めてからまだ間もなく、体力も十分にあったため家族総出の仕込みもなく、故に母も正月に向けた準備を入念に行っていた。

ただ、おせち料理が出たという記憶は何故かなく、ばら寿司やら魚介やらが出た印象の方が強い。

まだ幼かったために、おせちの存在に気付かなかった、見向きもしなかったということかもしれない。

いずれにしても、訪ねてくる親類の波間で、張り替えたばかりの障子のようにどこか馴染めぬ顔しながらも、無邪気にお年玉を喜び、料理にお屠蘇にと楽しんでいた。

その頃から私は酒好きだったのか、とお屠蘇を見る度に思い返してしまうのだが、こればかりは遺伝もあって仕方がない。

それよりも、屠蘇散という漢方に対する抵抗感がなかったのは、今考えてみても恐ろしい。

そして、親類の一部が煙草を吸うため、正月は家の中に煙草の香りが漂う。

幼少の私にとっての正月は、豪勢な料理とお屠蘇と煙草の香りが付き纏うものであった。


祖父の死後は親類の顔を拝むこともなくなり、我が家の正月はごく静かなものとなった。

中学に上がる前後には寝正月が恒例となってしまい、広い食卓を埋め尽くしていた料理の品数が減るのも自明の理であった。

それでも、年末の疲れを押して母は年始の食膳を整えるのだが、それを当たり前のように澄ました顔で貪っていたのが当時の私である。

全く以て恥ずかしい限りであり、拳骨の一つでも落としてやりたい。

この小生意気な小僧の前には鮃と鮪の刺身が並び、伊達巻と蒲鉾が仲良く鎮座している。

父は鮪の刺身が好物であった。

私はそれよりも、お椀に盛られた雑煮の方が好みであった。

我が家の雑煮はお澄ましに白菜と人参、昆布巻き蒲鉾、そして餅という実に清らかなものであった。

昼前に寝ぼけ眼を擦りながら答えた数だけ餅が入っており、中学に上がってからは三個入っているのが恒例となった。

それをいただく時は喜びというよりも、

(ああ、年末の労苦が終わったのか……)

という安堵感の方が強かったように思う。

この後にお年玉をいただくのであるが、それは年末の労働の対価としての意味合いが強く、貰えて当然という顔をしている。

もう一度、自分の頭を殴りつけておこう。

いずれにせよ、この頃はまだ団欒の中に身を委ねることができ、正月の食膳もまた豊かなものであった。


昨年の正月は、おせちを自分なりに作ってみた。

ただ、以前に触れた通りアレルギー持ちであるため、海老や黒豆を用いる気はなく、自然と好き勝手な料理が並ぶものとなっている。

三の重には筑前煮を一面に敷き詰めたのであるが、その量に圧倒され、食べ終わるとともに人日を迎えた。

二の重は肉料理で占められており、ローストビーフに角煮、葱と鴨の塩焼、叉焼とやりたい放題であった。

そもそもおせちが正月に家事をせずに済むように作られたものであるならば、食べる前に拵えた葱と鴨の塩焼はお門違いもいいところである。

吟醸酒が既に入っていた頭にはそのようなことは細事でしかなかったわけであるが。

ローストビーフは初めて作ったのであるが、火の通りがやや甘く、結局は焼肉と化した。

結局、叉焼と角煮がこの中では堂々と胸を張れるものとなったのであるが、この時の角煮は母の作るものに似た味がした。

試みに本枯節の圧削りで取った出汁、つまり、そばつゆで使うだし汁を加えてみたのであるが、見事に塩馴れして醤油の風味が丸みを帯びた。

母がどのように角煮を作っていたかは分からぬものの、和芥子を付けすぎたのも相俟って目頭が熱くなるのを感じた。

そして、一の重であるが、蒲鉾は既製品であったものの、出汁巻きに酢蓮根に叩き牛蒡と何やら正道に従ったものが並んだ。

本来であればこれに田作りと昆布巻きと栗金団とが並ぶ予定であったのだが、大晦日に音を上げてしまい、ここまでとなった。

ただ、いずれも酒に合うものであり、味自体は上出来であった。

この時、酢蓮根を覗いてみたのであるが、その見通しは明るいものであった。

時におせちも嘘を吐くものらしい。

この時は通潤酒造の純米吟醸「蛍丸」をやりながら、やがて同純米酒の「雲雀」に移ったのであるが、年末の慌ただしさはこのためであったのかと思うほどに穏やかな正月を過ごすことができた。

ただ、その味わいに精彩を欠くところがあったというのは考え過ぎであろうか。


二〇一八年の新年は長崎で、友人たちと共に過ごした。

前夜の八時頃に合流し、茂木の海に面した「長崎ハウスぶらぶら」さんに酒やらつまみやらを持ち込んだ。

この宿は別の拙作において海の都にある宿として紹介しているが、その居心地の良さに変わりはなかった。

その中で童心に帰った三人の三十路男たちは、他愛もない話で盛り上がり、時にボードゲームでもしながら過ごす。

特に、そのうちの一人は深酒をした。

翌朝、深酒の軽い竹箆しっぺ返しを受けた私は、入り口に面した食堂で朝食をいただいた。

それは、長崎らしく甘い味噌汁であり、魚のあらがふんだんに使われている。

五臓六腑に染み渡るのがよく分かり、久方振りに充実した元日の朝を迎えたという思いが私を満たした。


父も母も 家も離れて しがらみの ごと団欒だんらんを 満たす幸せ


さて、ここまでの正月を振り返りながら今年の正月を見てみると、筑前煮と鰤の刺身と角煮とが並び、昨年ほどではないもののそれなりに豪華な晩餐となった。

どこにも出られぬ以上、家の中を明るくするより他にないのであるが、食事の面でも酒の面でも問題はなかった。

ただ、三十路寡には額と右耳の上にしか明るいところはない。

ともすれば沸き起こってくる不安は、しかし、実際には杞憂であった。

時に鳴るスマートフォンと、暖かなご声援とで今年もまた旨い新年にありつくことができた。

来年はどのような新年になるのだろうかと、不安と期待とが既に膨らんでいる。

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