第10話 年越し蕎麦

いよいよ明日はこの年の終わりである。

私の実家は元々蕎麦屋を営んでおり、年末のこれからというのは大晦日に向けた仕込みの時間であった。

それが今では年越しの準備を少しはできる身となった。

決して気楽に迎えられるものではないが、この一夜に限って言えば今の方が幾分かよい。

明後日に向けてこれから筑前煮を炊くところであるが、その前のひと時として我が家の年越しそば事情でも語ろうかと思う。


我が家のような家族経営の蕎麦屋にとって年末の稼ぎは翌年一年の計に繋がる重要なものである。

その日の稼ぎなど三万もあれば狂喜する世界に在っては、十万を大いに超える売上は欠かせぬものである。

ただ、店主たる父が老いていることもあり、二百人前も打とうとすれば無理が生じてしまう。

そこで、高校に入ってからは夜通しの蕎麦打ちの手伝いをすることとなった。

大晦日の分の蕎麦は三十日の十八時頃より打ち始めることになるが、そこから朝五時頃まで水廻しなどの木鉢での作業を繰り返す。

休憩こそあるものの、明らかに体力勝負の仕事であり、回数を重ねるごとに重なっていく疲労は終わりへの期待に変換されていく。

その間に母が汁や打たれた蕎麦を詰めてゆき、翌日は引き渡すだけの状態にしていく。

この時に栄養ドリンクの有難さを初めて知ったように思うが、そうすることで自分が他の高校生とは異なる次元にあるのだという妄想を高めていたのかもしれない。

やがて、深夜のラジオが終わりを告げる頃になってすべての準備が終わり、そのまま店に泊まり込む。

朝から帰ってひと風呂浴びて店に出るのだが、こうして準備したものが八つ時までに掃けていくのは年の瀬の寂寥感も相俟って冬本番の訪れを彷彿とさせた。

学生になって間もなく、大晦日に来た寒波によって大雪が降り、原付を押すようにして帰った記憶も今になって蘇ってきた。

帰り道全体に広がる緩やかな上り坂を凍えながら戻り、家で飲んだホットミルクは染みるように旨かった。


売るほどに、というよりも売るために多量にあった我が家の蕎麦であるが、高校に入ってからは家の蕎麦を年越しに食べた記憶がない。

それもそのはずで、苦心して打った蕎麦を自家消費するよりは一食でも多く打って六百円でも売り上げを伸ばした方が良い。

趣味ではなく、あくまでも飯の種なのである。

むしろ、余ったから食べてよいと言われれば行商に出た恐れすらある。

幼少の頃に夜の八時過ぎに蕎麦をいただいていた記憶は遠いものであり、お年玉が年末の稼ぎによるものと知ってからは利潤という言葉が教科書にある文字列ではなくなった。


そこで別の年越しそばをいただくことになったのだが、そうした中で最も安心していただくことができたのはどん兵衛の鴨出汁蕎麦であった。

高校の頃までは手打ちの蕎麦を至上とし、それ以外の蕎麦に見向きもしなかったのであるが、学生時分には雪解けを迎えていた。

特に、カップ麺や乾麺などという大き驕りの塊であった私は、この一杯で大きな転換を迎えた。

その一方で、長崎に在る他の蕎麦屋で満足するものが中々見つからず、年末までに新たな蕎麦屋を試みてみるのだが、年末を過ごす気分にはなれなかった。

それでも、父が店を閉めてから帰省した折に独りで大晦日の浜町へ繰り出したのだが、その時に年越しとしていただいた蕎麦屋の蕎麦にどこか納得がゆかず、結局は例のカップ麺を改めていただいた。

単に味に五月蠅いかと言われれば、昔は確かにそうであったように思う。

それが変化したのは学生時分であり、社会人になってからであったのだが、カップ麺もコンビニの蕎麦も愉しくいただくように変わっている。

それを象徴したのは、ある年の年末をネットカフェで過ごした時のことである。

そのネットカフェでは通常時も時間になるとカレーなどの食べ放題を行っていたのであるが、年越しの時は蕎麦が供されていた。

幼い私であれば見向きもしなかったのであろうが、図体と共に神経までも図太くなったのか、その時の私は二杯ほどいただいたように覚えている。

麺は冷凍のものを茹でたものであろうし、汁も市販のうどん出汁であった。

それでも、実家で過ごすことにたまれなくなっていた私にとっては何か特別な食事のように感じられた。


学生の頃、二度ほど年末年始に一人旅へと出たことがあるが、先に述べた事情があるため出立は大晦日であり、自然と年越しも草枕で迎えた。

そうなると頼もしいのは立ち食いそばであり、夜行快速へと乗り込む前にいただいた一杯で以って年越しの晩餐とした。

それはまだ酒の穢れを知らぬ頃であり、その分だけ汁の温かさが五臓六腑に染み渡った。


このように大分と事情の変わってきた私の年越し蕎麦であるが、昨年はいよいよ手作りに挑戦することとした。

ただし、それは汁の方である。

蕎麦の方は高校の頃から繰り返してきたこともあり、打とうと思えば打てたのであるが、汁の方は手間もあって年末に挑むことはなかった。

そこで、年末の繁忙期へと入る前に生返しをを作り、漬物用の瓶に入れて寝かせたうえで大晦日を迎えた。

本来であれば汁は前々日までに作っておくほうが良いのであるが、繁忙期故にそのような余裕はない。

取り寄せた圧削りの鰹節を丁寧に煮出し、濃厚な出汁を取ったところで返しと合わせて汁とする。

寝かせていない分だけ刺々しさが残るものではあったが、恋しかった関東風の汁があるだけで一年の疲れと憂さが吹き飛ぶような思いがした。

これに合わせたのは乾麺であるが、茹で方をしっかりと学んだことで満足いくものとなった。

井の中の蛙とはよく言ったもので、父の打つ蕎麦には叶わずとも愉しいものだぞ、と私は幼少の自分に笑いかけてやった。


一年の 安寧祈る 白き糸 手繰るは過去に 至る安らぎ


熊本地震のあった年、熊本で初めての年越しは下通にあるウエストそばで一杯ひっかけてからとなった。

そのカウンターで一人楽しくやっていると、私を呼ぶ声がする。

振り返ってみればそこには仕事先の関係者がおられ、私は平身低頭して応対することとなった。

この時、気楽に独り言ちしてからのお声掛けであったために極まりが悪い。

波乱に満ちた年は年越しも波風が立つものであるが、今年はせめて静かに過ごしたいものである。

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