第9話 賑やかな鍋と小鍋立て
自炊をしていると、どうにも夕食が偏りがちになってしまうが、特にこの冬の時期は手軽な鍋に走ってしまいがちである。
白菜などを買って帰り、それを刻んでおくだけで満足できるという気楽さは他の追随を許さない。
特に、ここ数年は鍋用に組み合わされた調理済み野菜がスーパーに並ぶようになっており、その敷居の高さは下がるばかりである。
そして、味の決め手となるスープもまた酒肴を凝らしたものが増えており、そうした品々を眺めているだけで心が躍ってしまう。
年の瀬も差し迫った今宵、そうした鍋に思いを馳せるというのもまた一興であろう。
まずは拙著「熊本の夜の街を出歩けなくなったからテイクアウトで食べてみた」で作っていた牛肉と牛蒡の鍋であるが、これはあり合わせで適当に作ったものであるが、中々に酒が進んだ。
要は牛牛蒡のしぐれ煮を応用したものであるが、刻み揚げと糸蒟蒻を加え、生姜を用いずに七味と山椒をかけることで味わいの異なるものとなった。
締めについても田舎蕎麦を用いることで土壌の滋味を全身で浴びることができた。
あの時は、かの作品の再開は企図していなかったのであるが、現在は長いお休みをいただいているものの、再び筆を執る必要性に駆られた。
そして、あの鍋を終話を描いた日以来まだ作っていないのだが、読み返してみると酒が欲しくなるのが困りものである。
思えば、大人になってからの鍋は常に酒の香りが付き纏う。
学生時代の飲み会では鍋の出されることが多々あり、それを豪快にいただいたはずなのであるが、その中で味に記憶があるものは少ない。
それもそのはずで、豪快であったのは私の飲み方であり飲まされ方である。
その夜の乱れた姿と二日酔いに嘆く記憶の方が強く残ってしまい、味どころではなかったのだろう。
その一方で、アルバイト先の職員の方が、
「こう、我々は下品なものでして……」
と言いながら具材を一気呵成に放り込む姿は強く残っている。
旧帝大卒であったその方は、この蛮の中に在ってどのように位置するかで悩まれていたのではなかろうか、と当時から思うところがあった。
学生の機嫌を損なえば仕事が立ち行かなくなるという打算と、そのようなことに気を配ることもない子供らに板挟みにされて見せたその笑みは、私が今時に見せるものと相似を成すように感じる。
幼さというのは恐ろしいもので、そうした職員を嗜めることがあったというのは、今にして思えば冷汗が流れるのを感じる。
ただ、同じ部署のアルバイト生の中で最年長であった私は私で守るべきものがあったことで慰みとしている。
話を鍋に戻すと、私の最も愛した鍋は実家の鴨鍋である。
これは望んでも二度といただくことのできないものであるが、かけそばに用いていた関西風の汁により裏打ちされた鍋は、鴨の旨みも相俟って冬場のご馳走であった。
一家四人で食卓を囲み、我先にと鴨肉を攫おうとして喧嘩になった幼児期。
友人を呼んでの食卓でも出され、その旨みに親睦を深めた少年期。
今でも鴨肉は好きであり、鴨鍋をいただくこともあるが、やはり述懐以上の鴨鍋を心に残すことはできないでいる。
なお、我が家の鴨鍋には鴨の軟骨も入ったつくねがあり、これは食べられる数が決まっていた。
散々に食べて楽しんだ後に、鍋底に残った一つを摘まみ眺めてから口に入れる恍惚は他の鍋にはないものである。
先に述べたように他の人の分まで鴨肉を取って食べようとする卑しさを持った私も、父母の言いつけを守ってこれだけは数を守っていた。
それでも、いつかはこの鴨つくねを満足するまで食べたいという願いはあり、その思いは未だ果たせずにいる。
そして、出汁取りなどを自力で復活させようと試みるも、やはり父のような味を出すことはできないでいるため、これを叶えるには鬼籍に入るより他にないだろう。
ただ、私は地獄に落ちるように望んでいるため、両親と出会えるかは疑問符が残る。
この鴨鍋と並ぶほどに、いや、これを超えるほどに旨かったのが、高二の夏にいただいた対馬のいりやき鍋である。
これは油で鶏肉や鰤などを炒めた後に煮込むことから生まれた名前だそうであるが、この時に使われたのは対馬の至宝たる対馬地鶏であった。
他にも具材がある中で、それら全てを圧倒する旨味は見事の一言であり、育ち盛りもあってこれでもかといただいた。
何より、我々のために貴重な一羽を捌いていただいたというのが堪らなく嬉しく、同時に、堪らなく切なかった。
友人の家の前でカセットコンロやら台やらを並べていただく夕食は、時の流れをどこかに忘れてきたような気分がして別天地にあるような思いがする。
夕方の七時前ではなかったろうか、運航を終えた路線バスの運転手が通りかかり、友人のお父様と談笑されている。
この鍋の締めは私の打った蕎麦であったのだが、その粉は日本の蕎麦の原種ともいえる対馬蕎麦のものである。
私の腕故に出来損ないとなってしまったと後悔しながらいただいたその麺は、そのような気後れを吹き飛ばすような野趣
この対馬をして、当時の私は益荒男の表現を用いたが、その思いは未だに変わっていない。
このように豊かな鍋遍歴をおくってきた私であるが、今の鍋は部屋で一人楽しむものとなっている。
そうした鍋の楽しみとして小鍋立てというものがあるのを知ったのは、三十になってからであった。
池波正太郎氏のエッセイを見ていると舌なめずりしながら自分でも試したくなってくるが、また、実際に準備まではそれに近いことをするが、いまだに自分でやったことはない。
小さな鍋がないわけではなく、あという間に満杯となる小鍋を愛用している。
ただ、どうしても品数を絞り込んで少しずつ煮ていくというのが真似できずにいる。
すき焼きにせよ寄せ鍋にせよ、具材を二・三品に絞り、それをさっと煮て食べ、食べては煮る。
この所作を繰り返しながらいただくのが必要条件なのであるが、私の鍋は気が付けば五種類以上の具材の詰まった煮込みとなってしまう。
思いきりが足りないのか、舐め始めた飴玉をすぐにかみ砕く性根がいけないのか、
陽炎の ごと一昔 浮かび立つ 水菜・春菊 好む身となり
それとも別の理由があるのか。
いずれにしても、こうした小鍋立てを愉しむにはもう少し時間が必要なようである。
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