第6話 アレルギーを食らう
食のエッセイを何作も書いている私には食物アレルギーがある。
今はエビ・カニなど一部しかないが、小児アトピーの
大豆を筆頭に小麦やオレンジなどの果物、豚肉に牛肉、青魚とよくもまあこれだけ食えないものを抱えながら成長できたものだと感心するほどである。
特に大豆は、
「食えば死ぬ」
と親から釘を刺されるほどであり、私にとって食事は生を得る手段でありながら、同時に死の危険の付き
それでも、消化器の成長に伴ってアレルギーは減っていき、今はおよそ好きなように食事を摂ることができる。
肉も魚も思うがままにいただくことができ、小麦も卵も今では私に欠かせないものである。
酵素の強い果物は未だに生で頂くと口の周りを痛めることがあるが、これも原因が分かり食えるものがはっきりと分かれば怖くはない。
ただ、大豆だけは未だに死の恐怖から口にすることができない。
黒豆と納豆もまた然り。
大丈夫だということを頭では分かっていても、心が追い付くのは随分と先の話である。
大豆もやしもやっと口にすることができるようになった。
いずれとは思うものの、やはり死という言葉が脳裏を
アレルギーで稀有な経験をしたというのは一度では済まない。
まず以って、常にアレルギーによる発疹を
端的に言えば、それを元に虐めを受けたのである。
それを恨む気持ちが全くないと言えば嘘になろうが、今、当時のいじめっ子たちに会ったところで他人行儀に接するだけである。
時に復讐を行っていくような物語を目にするが、私としては目の前に出された飯を食うのに精一杯でそれどころではない。
そうした虐めを受ける身でありながら、幼稚園の頃に私を好いていた女の子がいたのも事実である。
私の通った幼稚園では弁当を持参する必要があり、昼食の時間には各々が持ち寄った食事を楽しくいただいていた。
無論、母はアレルギーのあった私を気遣ってここに入園させている。
故に、先生も私に対しては格別の注意を払い、他の者が食べ物を与えぬようにしていた。
とはいえ、多忙な先生が常に全体を見渡せるはずもなく、ある時、例の女の子が私にグレープフルーツを与えた。
これをよく分からぬままに口にした私は、拒絶反応からかその場に嘔吐した。
気持ちの悪さと状況が理解できずにいた私は、泣き出した女の子と慌てた先生とざわつく観客を、ただ茫然と見詰めるしかなかった。
翌日、例の女の子が虐める側に立った。
全くの笑い話であるが、この時の経験が人の世の暗部を恨むよりも笑う種になったかと思うと全く以て有難い話である。
笑い話といえば、タコもいけないとされていた高校の頃に、大阪城のたこ焼き屋で、
「タコ抜きのたこ焼きを下さい」
と頼んで叱られたことがある。
実際には小児アトピーを過ぎていたために食べられたのだろうが、真面目にアレルギーと付き合っていた当時は笑い事ではなかったのである。
今にして思えば、店主の気持ちの方がよくわかる。
今、呑気にたこ焼きをいただくと時々そのことが思い出され、申し訳なさに酒がほろ苦くなることがある。
なお、チーズたこ焼きがこの歳にして好きである。
アレルギーと真摯に向き合っていた幼少の私に対して、母はもう少し気楽にアレルギーと付き合っていたように思う。
母も様々な病気を抱えており、某政治家への
どうやら青魚はいけないということもでは分かっていた当時、珍しくぶりの照焼をこしらえた母は、
「まあ、少しなら大丈夫でしょ」
と危険な賭けに私を誘い、私も当時にしては珍しくそれに乗った。
翌日、病院の待合室には笑いながらやっぱりだめっだったかという母と逸れに苦笑する子供の姿があったという。
これについてはヒスタミン中毒の疑いも濃厚であったが、まかり間違ってもこのように危険な
このアレルギーとの向き合い方は小学校時代の給食にも様々な彩を与えた。
育ち盛りの少年にとって昼食は何物にも代えがたい活力源である。
それでも、時にもやしがこれに水を差し、何とかそれを外して頂くように努めた。
ただ、これが中々に難儀であり、特に麺類に入っては選別が難題そのものとなる。
例えば、ラーメン。
細麺が主流の九州では給食であってもその在り方は変わらない。
しかし、その太さは見事にもやしのそれと酷似しており、勢いよく
これがちゃんぽんであればまだ太さが異なるために食べやすいのであるが、嘆いたところで始まらぬ。
それに、最大の難敵は同じ長崎名物の皿うどんである。
皿うどんといえば、基本は油で揚げた細い麺にあんをかけたものであるが、長崎の給食では具材と細い油揚げ麺を煮込んだ皿うどんが供される。
この一品、何とも子供には愉しい味なのであるが、もやしに麺が
加えて、もやしの
このように何とか昼食にありつこうとした小学校時代であるが、ついに大きいおかずも小さいおかずもパンも当時の基準では食えぬものが出てくる日が来てしまった。
今であれば、加熱したパインを使用したパンなど問題ないと分かるのであるが、そこは小学生である。
決して裏切らぬと考えていたパンが食えぬと分かった私は、しかし、それと同時にそこに残った牛乳が酷く頼もしいものに思えた。
級友たちは、私への同情か、好奇からか、それとも自分の苦手を押し付けるためか、合わせて七本の牛乳をその日はいただいたが、そのいずれもが
横道は 下味に似て 笑い
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