第7話 七輪焼きの悦

別のサイトに掲載している作品で申し訳ないが、私には七輪焼きをひたすらに眺めるという小説が存在する。

今どき、七輪などを用いるのは焼肉屋か、練炭でその命を断とうとする者か、もしくは、物好きぐらいのものである。

私は物好きの部類である。

電子調理器もガスコンロもある中で、準備から片付けまで時間のかかる手法で調理を行うのはあくまでも趣味の領域に過ぎない。

それでも愛用するのはどこかに愛着が沸いてしまったところもあるだろう。


さて、七輪焼きをやるには炭を熾すところから始める必要がある。

ガスコンロのようにつまみを捻ればあという間に点くような代物ではない。

本来であれば、紙屑や木屑に火を灯し、それを木炭の欠片から小さな木炭に移して、火を強めていき、やがて大きな木炭を朱に染めるのが正しいやり方なのだろう。

しかし、流石にそこまでのこらえ性はない。

そこでキャンプ用の着火剤をいくつか放り、その火力を以って大きな炭に火を灯すのであるが、これもまた難しいものである。

なお、ネットでカセットコンロを利用したやり方を見たこともあるのだが、それをやるのは何か風情に合わぬという気がして控えているのだが、この違いは何なのだろうか。

その代償は半時間近い炭との格闘となるのだが、その分だけ疲労の溜った状態から宴を始めることとなる。

それでも、初めは小さかった紅が木炭の黒を蝕み、やがて艶やかな肢体を見せるに至る。

宵闇が深まる中で見れば、それは遊女のしどけない姿を彷彿ほうふつとさせ、思わず喉を鳴らしてしまう。

そのような妄想をたしなめるようにぱちりと鳴り、火の粉が蛍のように消えていく。

ここからが七輪焼きの本懐となる。


とはいえ、その間に何もないのではあまりにも寂しい。

そこで何かをアテに酒をやるのであるが、この合間を埋めるのはライターなどで炙ったさきいかがちょうどよい。

それに吟醸香のない酒があれば、入りとしては丁度よいだろう。

冷酒だ燗だということを考えるよりも先に冷をコップでやろうと身体が動く。

七輪を扇ぐ合間に、惜しむようにちびりちびりとやる。

前座の芸を以て真打の登場を待つのはいずこも同じであろう。


話を炭火に戻そう。

ここから網の上に様々なものを乗せ、焼きながらいただいていくのだが、もしも七輪を二つ持っているのであれば、片方で燗をつけながら片方で煮炊きをすることが可能になる。

とはいえ、そこまでの労力を割くのは流石に難しく、酒は電子調理器に任せる精神の堕落を許されたい。

別段、精神的な向上心を持っている訳でもなければ、酒色に溺れている以上はそのような心があっても笑われるだろう。

甲高いチンという音ともに、こちらも熱くなった徳利を傍に引き寄せて焼き始めるのが恒例となっている。


七輪焼きといえば魚が第一であるべきであろうというご指摘を受けそうなものであるが、私がよくやるのは肉の方である。

霜降りのいい肉を買い求めてから赤い身が染まるか染まらぬかといううちに、溶け出した脂と共に頂くのは良いものである。

それよりもたまらないのは、肥後のあか牛を炙ったものである。

和牛の多くは豊かな脂身をたたえ、それは豊満な肉感を持つ女性のようなものである。

こうした女性に抱かれるのは男としての憧れの一つなのかもしれない。

その一方で、あか牛は引き締まりつつも程よく柔らかさを持った清楚な乙女の在り方である。

胸の張りも肉付きも淑やかでありながら、その瑞々しさもまた男を惹きつけてやまない。

これに、軽く塩胡椒こしょうを振り、和芥子からしで頂く。

以前、知り合いにあか牛のステーキを出す店の食べ方として伺ったのであるが、なるほど引き立てるというのはこのようなことを言うのかと頷かされる。

これにはしかとした味を持つ酒を強めに燗付けした方が合う。

七輪で炙るものはいずれも個性や何らかの強さを持ったものが合うように考えているが、そこに幅広く応える酒としては朴訥ぼくとつとした力を持つものが適している。

今の私は通潤酒造の純米原酒「山頭火」でやるのを楽しみにしている。

小説の中でも記したのであるが、この酒には種田山頭火の句が記されており、それもまた浮世離れしたひと時を彩るのに一役を買う。


炙る魚としては、秋に秋刀魚をやる以外はどうしても干した魚をやることの方が多い。

西京焼きを試みたことがあるが、味噌のせいもあって焦げやすく、懲りてしまった。

そこで開きなどを乗せることになるのだが、やはり最も好ましいのは雄の柳葉魚ししゃもである。

たくましいその味は、市販されている子持ちシシャモとは異なり、飲めよ飲めよと酒を勧めてくる。

色も穏やかな暖色を奥に控えており、その姿と北海の潮騒との対比を思うと一つの神話の中に在るような思いがする。

その一方で、柳葉魚ししゃもの雄はやはり雌よりも安い。

子持ちか否かということもあるのだろうが、そこに同情というよりも共感を覚えてしまうのは悲しい性なのかもしれない。

その命を「山頭火」で頂くのとより切なく、より愉しい。


この七輪では焼き鳥をやったこともある。

ただ、串を打つのは下手であり、無様に並んだ身を苦笑しながら塩で頂いた。

とはいえ、味そのものは変わらず、これを瓶ビールをコップに開けながらやっていくのは夏の盛りということもあって心地よかった。

ただ、そうした主役を奪った脇役が獅子唐ししとうであり、串を二本打たれて川の字で炙られたその深緑は程よい苦味と辛味を以て私の舌を愉しませる。

中に激烈な辛みを以て反撃を試みたものもあったが、それを含めても主役以上に輝くものであった。


そして、七輪焼きでは茄子と椎茸が堂々と主役を張る。

茄子はあらかじめ切れ目を入れて乗せ、じっくりと時間をかけて炙っていく。

次第に身を崩していく様を眺めながら、他の肴でやり、焼きあがったところで熱さに顔をしかめながらその皮をく。

丁寧に慎重に取り出したその身に削り節と醤油を垂らして頂けば、溜息ためいき恍惚こうこつとして出てしまう。

椎茸もまた、軸を除いてから炙るのだが、傘の裏に日本酒を少し垂らしてからやるのが何よりも愉しい。

松茸や本しめじも良いものであるが、ことこの地に在っては肉厚の椎茸はそれらを下に置くようである。


炙られし 物を口にし よを過ごす 我が身の至る 姿知らずや


こうした食材の輝きの移り変わりの愉しさは、代え難いものである。

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