第3話 卯月の晩餐
今、ちょうど故向田邦子氏のエッセイ集を読んでいるのだが、東京大空襲の後で食べた天婦羅が酷く実感として心に残った。
私は空襲も戦争も経験したことはなく、家族揃って家を失いかけるという事態に陥ったこともない。
ただ、得意の妄想癖というのはそうした場面が自分に降りかかってきたかのように脳を組み立て直していくようだ。
不謹慎と背徳感の狭間で頂く食事というのは、生死の彼岸で頂く食事というのは願ってもそう経験できるものでもなければ、できればいただきたくはないものである。
思い返してみると、私も戦災ほどではないものの少しは死を間近に感じた瞬間がある。
二〇一六年の四月十四日、震度五強の揺れに巻き込まれた私は元より散乱していた部屋と飛び出した電子レンジのターンテーブルを見て一気に現実へと引き戻された。
揺れの瞬間は職場におり、片付けを翌日に残して帰った私は少し遠回りをして帰宅し、その間にも数度の強い揺れを車内で感じていた。
あまりにも現実離れした出来事に私の頭は夜の白昼夢という処理を行い、どこか遠い異世界にでも迷い込んだかのような感覚でいたように思う。
死んでしまうのではないか、という考えを
その日の夕食が何であったかの記憶はないが、冷蔵庫の上に置いた電子レンジを床に下ろしたのは今にして思えば英断であった。
翌日、出社して社内の片づけをのみして帰り、缶チューハイ三本と簡単なつまみを肴に飲んだのは今でも明確に覚えている。
あの時の酒の味は今にして思えば苦く、その時にしてみればひどく甘美なものであった。
「常識」や「経験」というものは恐ろしく、これで日常に戻れるという自信があったのだろう。
程よく酔った私は炬燵に布団を突っ込んで眠りに就いた。
当時使い込んでいたノートパソコンを胸に抱えていたのは、ご愛敬である。
同十六日一時二五分、私は地面に突き上げられて目を覚ました。
突然の出来事に状況を確認しようと見たノートパソコンは、しかし、次の瞬間に電気と共に落ちた。
空間を覆いつくした闇の先に飛び跳ねる黒が見え、それを冷蔵庫だと認識した時には揺れが身体に移っていた。
パソコンを抱えて炬燵に潜り込む。
天井が落ちてくれば一貫の終わりと、必死に頭を隠す。
緊急地震速報の音が、震源に近いと遅刻することもこの時に知った。
長い揺れの後に部屋を飛び出した私は、もう死から逃げる一匹の犬となってしまっていた。
近所の公園には既に人だかりができていた。
近所に在りながら見知らぬ人ばかりであったが、いずれも屋内での圧死への恐怖を抱いたということでは同じであった。
しかし、その思いを裏切るように、地が揺れ、木々が揺れ、ビルが揺れ、悲鳴が上がり、遅れて緊急地震速報の輪唱が始まる。
前も上も向けぬ恐怖から視線を下に遣ると、地割れが走っていることに気が付く。
繰り返される天地の嘶きに耐えきれず、私は車に独り籠り、逃れられぬ恐怖に震えた。
それでも繰り返される揺れに意を決し、車を走らせた。
途中で、いくらかの日用品を家で積み、会社の先輩を積み、北へ北へと逃げてゆく。
一人でなくなったのは判断力を取り戻すのに効果があり、齎される情報を元に長崎へ一時的に逃れることを決意した。
ともに被災した方々を思うと、一瞬だけ後ろ髪を引かれるように感じた。
しかし、生への意地汚い執着から、私は迂回しながら夜を通して車を走らせ長洲へと至った。
そこからフェリーに乗り長崎を目指したのであるが、この時に船上で口にした熱いコーヒーが酷く甘いものであったのは印象的であった。
その後、島原半島を横切って長崎市に至ったのは十時頃ではなかったかと思うが、暫くは友人の家に転がり込むこととなった。
あの時の恩義は一生かかっても返せぬものと思っているが、熊本に戻るまでの間、三日ほどをそこで過ごした。
その内の一夜は焼肉を食べに友人と出たのだが、この時の思いは向田氏ほど切迫したものではなかったように思う。
むしろ、
「次に赤い肉を存分に食らうことができるのはいつの日か……。ならば、この血肉を食らい、その英気で立ち向かってやる」
という荒々しい覚悟の下、存分に食って、飲んだ。
その陰には、私は熊本から逃げ出した裏切り者なのだ、という後悔が滲んでいたように思う。
しかし、そこは三十路に入る前の気力に依ったのだろう。
その分、肥後の地でできることを返していけばよいと腹を括っていた。
清々しいまでの身勝手さと醜さに、今思い返してみると冷汗が止まらない。
ただ、流石に帰宅したその晩は酒を飲むのが差し控えられた。
熊本地震の直前に私は父を亡くしたのであるが、考えてみれば死を最も身近なものとして捉えたのは、その前後の十日ではなかったか。
父の死の当日は長洲から長崎へ向かい、市街中心部のホテルに泊まったが、ここでの食事の印象はほとんどない。
覚えているのは、父を焼いて骨にした日の夜である。
長距離の移動から諸手続きのバタバタを済ませ、骨となった父を壺に詰めた。
焼き場の職員が見守る中、急いでせっせと小さな壺に詰め、残った骨はどこかへと運ばれていく。
こうした光景は母の際に見慣れたものであったため、特段感じ入ることはなかったのだが、その場を離れて一人になった途端どっと疲れが湧き出してきた。
この後も何かの手続きで市役所方面に向かったのは記憶しているが、どこで何をしていたのかは残っていない。
気付けば日が傾き始めており、宿を取ろうと考えたことだけは覚えている。
友人と飲むかという考えも頭を掠めたが、そのような気分でもない。
結局、茂木の港にあるドミトリーに宿を取り、夕食は近くの鮨屋で摂ることとした。
その時の情景は他のエッセイでも触れたが、長崎らしい粗削りな寿司をいただき、焼かれて旨味を増した鮑に舌鼓を打った。
その鮨をいただきながら酒を飲んでいると、父と交わした盃が蘇ってくる。
その相好は、気性の激しかった父であったにも関わらず、いずれも穏やかなものであった。
そして、宿に戻ると行われていたバーベキューに誘われ、見知らぬ人と語らいながら一夜を共に過ごした。
いつか死ぬ 景色は見えずと 語る人 いただきますと 祈る滑稽
これら二つの食の思い出は、旨さ以上に今の私の原動力にもなっているように思う。
やはり私は食あっての人間なのだろう。
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