第2話 満ち足りた食堂

 普段、食のエッセイを書く際に心がけていることは紹介した店を批判しないことである。

 あくまでも、私はそのお店を書かせていただいている立場であり、気に入らぬことがあれば書かねばよい。

 実際、熊本のエッセイでは取材までしたものの書いていない店がある。

 これは当時、店から離れて売り出していたために確証がなかったというのが大きな理由であるが、それ以上に料理そのものが紹介できるものではなかったという理由もある。

 長崎の晩餐ばんさんや本作では店への批判を書く場面が登場することとなるが、その際に店の名前は出さぬようにしていく。

 逆に、良い店は積極的に名前を出していきたい。


 さて、今回はいい飯屋、酒場というものに焦点を当てて話を進めていくが、その話をする前に私がどうしても気に入らない店を見ていく必要がある。

 それが先述の言い訳に繋がるのであるが、こればかりは実際に経験したことを書かねばならぬ以上、批判する内容になってしまう。

 そして、その気に入らぬ店ないしは店員の条件とは、客がいる中で他の店員を怒鳴ったり礼を失したりすることである。

 ある時、新しくできた蕎麦屋に嬉々として入ったのであるが、店構えも立派で品揃えも悪くないものであった。

 ただ、母子で営んでいるようであったのだが、店主である息子の母に対する口の利き方がなっていないことに不安を覚えた。

 無論、仕事に粗相があって叱ること自体は仕方のない部分がある。

 しかし、それと礼儀は別物であり、店主の言葉が耳に刻まれるたびに見事な穴子天がその肩身を狭くしていく。

 「裏を返さねえのは客の恥、馴染みにならねえのは店の恥」という言葉が頭をよぎるものの、私はこの店を二度と訪ねることはないだろう。


 また、長崎で知人友人が旨いと言ったうどん屋も、店主が周りの店員を怒鳴り散らすために行けぬ店となってしまった。

 威勢があっていいじゃないかと言う者もあったが、それは酷い勘違いというものだ。

 店内に始終響き渡る怒号はうどんの腰を折り、針のむしろの上で飯を食わされているような気分になる。

 店員の客に対する対応が行き届かぬことについては気にならぬことも多いが、店員同士の険悪な姿はどうにも私の食欲を欠かしめるらしい。


 気に入った店であっても、一人の店員の言葉や経営者の在り方によって遠ざかることもままある。

 何かにつけて暴露や赤裸々として裏の事情を言いふらしたり、相手を責めたりするというのはいただけない。

 飯屋や酒場に私が求めるのは、早春の草原のようなものであり、冬の荒波ではない。

 酒場から離れようとも、飯屋から離れようとも、そのひと時を売った以上、表には出さず裏で片付けるか墓場まで持っていくべきであろう。

 それが客に対する礼儀というよりも、自身の品位を欠かさぬようにするための方策である。


 少々、話がれてしまった。


 では、いい飯屋、酒場とは何か。

 これを言語化するのは少々骨が折れるので、ここでは私の気に入った店を例に引きながら考えていきたい。


 まずは、熊本は水前寺にある「いろは」さんが活気ある店の代表になるであろうが、昨年初めて訪ねた際にはその客と店の活気に圧倒されてしまった。

 今では考えられぬほどに鮨詰すしづめとなったサラリーマンたちは、思い思いに語らい、飲み、食う。

 その合間を慌ただしく駆け回る溌溂はつらつとした店員を眺めるだけで酒が進む。

 まるで一枚の絵画を見るような思いがした。

 それを見かしたのか、

「ね、いいでしょう?」

と訊ねてきた店主に対し、私も、

「最高ですね」

と満面の笑みで答えた。

 コロナウィルスにより客の入りは減っているようであったが、店の自由を許す在り方は変わらぬようで少し安心した。


 また、飯屋などではないが、湯平温泉にある「志美津旅館」さんもまた良いところであった。

 物腰の柔らかな接客に、手間暇をかけた料理は見事でありそれだけで満足せずにはいられぬ。

 そこに、秘境とも言えるほどの静けさ、浮世離れした街の在り方が組み合わさればまた訪ねたいと思うのは自明の理である。

 とはいえ、その思いを強く抱かせたのは四合瓶で頼んでいた酒が、グラスで運ばれてきた時である。

 確認したところ、私の伝え方が悪く上手く注文が通っていなかったらしい。

 そも、一人で四合瓶を空けるとは思われなかったのだろう。

「いかがしましょう」

「では、次に四合瓶を持ってきていただけますか。部屋でもいただきますので」

私の注文を心配され、丁重に受けられた女将さんは、

「押し売りしちゃった」

と去り際に茶目っ気たっぷりの言い方で厨房に戻られた。

 もうそれだけで温かく満ち足りた気分になったのは言うまでもない。

 翌朝、足から張ってしまった根を必死に取り除くような思いで宿を出立した後、すぐに歳時記と充電器を忘れていることを知らせていただいた。

 微に入り細に入り、私の心を喜ばせる宿であった。


 最後は長崎の食のエッセイでも紹介した「ソムパテ」さんの話で締めたいと思う。

 紳士的な店主が一人で切り盛りするカフェ・バーは、いつ何時であろうとも訪れる者を魅了する。

 供される品々が丁寧に仕事をされたものであるのは言うに及ばず、シックでありながらどこか温かな空気が流れるのは卓上の蝋燭ろうそく故か。

 ともすれば人の廃絶を起こしかねない空間を見事にぎょす店主故か。

 いずれにせよ、この店で分を過ぎた飲み方をしたことこそあれど、嫌な思いをしたことは一度もない。

 店の前の急な階段を緩やかな談笑を耳に上り、

「あらー……」

「ごめん、今、いっぱいで」

「じゃあ、また伺いますね」

言い残して戻る際にも、恨めしさよりも安堵感や喜びの方が残るというのは稀有であろう。

 故郷を離れて随分と経つが、時折熊本に欲しくなる店である。


この宵は 酔いも回って 余威を駆る 憂さを残して 浮世逃れて


 こうした店は他にもあり、それを紹介し続けるだけで一冊の本を成すことであろう。

 しかし、そうした店に伺えぬのが今のご時世である。

 飯を食いに出ることすら不自由になってしまった。

 店と客が真正面から向き合うこれらの店が、果たして今年の災禍を乗り越えられるのか。

 不安に飲まれる日々を過ごしながら、せめてその在り方を文章に残したいという思いだけは正直に発露させることとした。

 心が寒風にさらされた後にこそ、こうした店を訪ね回りたいものである。

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