徒然なるままに~三十路男と生きた食卓

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

第1話 ペティナイフと向き合う宵

 熊本は中央区の端くれ、木造二階建てのアパートの一室は深夜というのに暖色の灯りに包まれていた。

 木目の壁紙と散乱する空き缶とペットボトルに囲まれ、窓際に置かれたちゃぶ台の上には、パソコンとひと振りのペティナイフが置かれている。

 正座で相対した三十路男は、それを見据えて沈思する。


(もう、止めにしようか……)


 パソコン画面に映る男性は、満面の笑みで飯を食い、酒を飲む。

 それに自らを重ねようとすればするほど、今の自分の至らなさ、不甲斐なさに突き当たる。

 そうした思案の先にある答えが、止める、であった。


 ナイフのつかを握り、離す。

 自分の思考と決断で生きてきて後悔などないということを自分に言い聞かせてきた男は、しかし、それを自らに突き立てることはできずにいる。

 そもそもが後悔なく生きてきたという言葉そのものが欺瞞ぎまんであり、自分を傷つけたくはないという卑屈ひくつな思いが生んだ産物でしかない。

 それを知りながらも悩むふりをする男に、ナイフの緑のつかは嘲笑うかのように横たわっている。

 情けない、という外行きの感情を声に出して男は大きく溜息を吐いた。


 これが十二月も半ばに差し掛かった私の姿であり、腐臭を放ちそうな男の末路である。




 就職し、転職をして既に六年が経つ身でありながら、今の仕事を上手く回すことができずに叱られてばかりいる。

 それを笑顔の仮面で隠しながら、それも限界にきているのではないかという思いが強く去来している。

 特に、二〇二〇年は積もりに積もったものを旅でも街でも整理することができなくなっている。

 会社からは「要請」という名の強制で行動を制限され、弱い心は寸断された。


 その一方で、書くことに対しても自分の感情が整理できず、思うように進めることができてはいない。

 上梓した作品で誤字を見つける度に落胆し、悲嘆し、目の前が昏くなるように感じる。

 また、公募で何ら結果を出せずにいることに苛立ちよりも、自分が何者でもないという現実を直視させられる恐怖に怯えている。

 天狗になっていた小僧にはいい罰であろうが、重なることでいよいよ自分にのしかかってくるものが大きくなる。


 そうした苦しみの先に至った結論が先の「止める」であり、同時に、それは何もかもを投げ捨ててまでやってやろうという意地を持たぬ自分への甘えでもある。




 右耳の少し上にできた無毛地帯を指で撫でる。

 最早年中行事となった円形脱毛症も、思えば警鐘であったのかもしれない。

 心の中に溜まった澱みを顧みず、あくまでも季節性の皮膚炎であると自分を騙り、惰性に任せて改善を図らなかった自分が今更ながら悔やまれる。

 無気力と気力の暴走とが潮騒のように揺らめくのを御すこともできず、後は酒に逃げ、動画に逃げ、小説に逃げ込むばかりである。

 散らかり放題の部屋はそうした自分を象徴するようで、何か心の病や障害を持つのではないかと思い込むようにし、さらに逃げようとする。

 いや、実際に何かしらの問題があるのかもしれないが、疑ったところで病院にも相談にもいかぬ以上、いずれにせよ逃げてばかりいる。

 而立を過ぎた男の在り方としてはあまりにも無様で、自分で自分を嘲笑うことにも慣れてしまった。


 もう一度、ペティナイフに目を遣る。

 ステンレス鋼の煌めきは幼少のころから変わらず、生家が失われ両親も鬼籍に入った私に残された数少ない物である。


 そも、このペティナイフは両親ともに健在であった頃に買ってもらったものである。

 幼稚園の年長の時、運動会の前日に腹が減ったからだとは思うが、家にある文化包丁を持って蒲鉾を切ろうとした。

 母の姿を見ての真似は、見事に私の親指を深々と切りつけ、わんわんと泣き喚くままに近所の病院に担ぎ込まれたのを今でも鮮烈に覚えている。

 翌日の運動会は包帯で膨れ上がった左手を隠しながら参加したのであるが、このような怪我を経ながらも私はことあるごとに料理をしようとした。

 それを見かねた父母が、小さくて扱いやすく切れ味も良いこのひと振りを買ってくれた。

 緑の柄を握りしめた私がにこにことしながら台所に立っていたのは最早眩しすぎる思い出である。


 思い返してみると、このペティナイフには笑顔が付き物であった。

 それが今では、暗い顔で相対する自分がいる。

 皮肉としか言いようがない。

 ただ、その奥底には自分が忘れかけていたものがあった。


 私が初めて請い願って求めた漫画はうえやまとち氏の『クッキング・パパ』であった。

 当時から何度も繰り返して読んできた作品だが、そこにある美味しそうな料理を舌なめずりしながら見、自分でも実際に作ってみた。

 その理由を幼少期の私は何も考えずにいたが、青年となってそこに広がる笑顔の連鎖に惹かれていたのだと気付いた。

 無論、全ての話が笑顔で結ばれるという訳ではないのだが、至る先には何らかの笑顔が待っている。

 言い換えれば、食が持つ人を幸せにする力を凝縮した作品である。

 この作品を夢見たからこそ、当時の私は包丁を握り、疑似的にでも笑顔を成そうとした。

 ならば、このナイフに与えるべき役割は異なっている。


 ペティナイフの緑の柄が笑っている。

 おもむろに冷蔵庫からレモンを取り出して八つに切り、プラスチック製のマグカップに放り込む。

 丁字を三つと粗目ザラメを加えてウィスキーを注ぎ、熱湯で満たす。

 息を吹きかけてそれを口にすると、一筋流れるものがあり、そして、笑った。

 今宵もまた逃げるのかという奥底の声に、私は笑った。


「逃げてやる。笑ってやる。止めるならせめて、食を描き切ってから止めてやる」


 見苦しいことこの上ないなと笑われるような気がしながらも、私の心は既に定まってしまった。

 考えてみれば、食全般を題材に何かを書き上げたことはこれまでなかった。

 何らかの土俵に区切り、そのうえで書くことをこれまで重ねてきたが、私の生の根本に斬り込んではいない。

 そして何よりも、食の世界に、随想の世界に「逃げ込む」ことが今の私には必要なことである。

 その先にあるものを見据えながら他者の命をいただく行為を、このまま暗澹あんたんたる思いの中で繰り返すわけにはいかない。


 空き缶を 伴に語らう 一人部屋 嘆くも勝手 笑うも勝手


 何の救いも何の改善もなく仕事であれば怒られてしまいそうな在り方を、しかし、私は徒然の名を冠して歩むこととした。

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